episode.エヴレナ
かつてその兄妹が生粋の人間であったころ、彼らは生まれ育った村の薬師として生活していた。
「——兄様、おばさまはどうでした?」
「順調に回復していますよ。来週には自力で歩けるまでになるでしょうね」
薬草の匂いが充満する小屋に戻ってきたレイナードに、エヴレナが薬草をすりつぶす手を止めた。
「銃創の痕は、やはり残ってしまうのでしょうか」
「ええ、ですがこの戦渦では足が駄目にならないことの方が重要でしょう。私がいなかったのに、貴方はよくやりましたよ。あの大怪我では時間と腕が物を言いますから。頑張りましたね」
手拭いで手を綺麗にした兄の手のひらが、エヴレナの髪を撫でていく。
しばらくされるがままになっていたエヴレナは、紅の瞳で兄を見上げた。
「……私は、兄様がいない中での施術よりも兄様が外に薬草を採りに行くことの方が怖いです。母様も父様も、そうして命を落としました」
「それでも、この村に薬師が必要であるのは確かでしょう? 戦争に巻き込まれないために閉鎖的であるのだから尚更」
鬱蒼と茂る森に包まれる形で存在しているその小さな村は、国から、政府から、全てから逃れるようにひっそりと生活をしている。存在を知られていないその村は、未だかつて空爆の対象にされたことも、敵軍に攻め込まれたこともない。そもそも、その村に生きる人間は、政府からの戸籍すら用意されていない。故に、戦争兵として徴兵されることもない。
しかしひとたび村の外、森林の境界に出てしまえば、そんなことは関係ないのである。どこを見ても武器を持った人間がいて、気取られたら撃たれてしまう。そうして、彼らの両親は命を散らしたのである。この村の所在を知られないため、そうして失くなっていった人々の遺体は手元に帰ってくることはない。
「このまま、もう誰も喪わずに一生を終えられたらいいのに」
ぽつり、とエヴレナが本音をこぼす。それに否定も肯定もせずに、レイナードが薬研を手に取る。
「この村は数百年もの間、政府の目を逃れ続けてきたんです。戦渦に自分から飛び込みたい人間などいないのですから、この戦争が終わるまではこの村も安全ですよ」
「村は、でしょう。薬草のために外に出なければならない兄様の安全は保障されていないではないですか」
「エヴレナ、こういう時は物わかりよく丸め込まれるものですよ」
微かな苦笑いでもってエヴレナを窘めたレイナードは、手際よく手元の薬草をすりつぶし始めた。
けれどもエヴレナはこの後、その村ですら安全ではないことを知った。
まるで世界が生まれ変わろうとしているかのようだった。
過ぎた眩しさは、痛みすらもたらすのだと知った。
否、それは暴露されて傷ついてしまった自身の体のせいなのかもしれないし、覆いかぶさるようにして自身を守ろうとする兄の力の強さ故だったのかもしれない。
とにかく、いたくて、まぶしくて、うるさくて、あつかった。
「兄様、兄様……?」
分厚い布を通して世界を聞いているかのような、自分の体の中で反響した音しか聞こえていないかのような、未知の感覚。
視界に流れ込んでくる、赤い液体。
思い通りに動かない自分の体。
やけに熱くて重い、何か。
「兄、様……?」
からからに乾いてしまった喉から、音が零れ落ちた。
彼が一等大事にしていた妹の呼び声に、彼の瞳が開くことはない。彼が一等大事にしていた妹の重傷を手当てするために、彼の四肢が持ち上がることはない。
エヴレナに医術の心得があったために、彼女はすべてを悟ってしまった。彼女の兄が、両親が、心血を注いで教え込んできた知識が、彼女に現実を突きつける。
「死、ぬの……?」
かつて、エヴレナがまだ幼くて、兄の後を付いて回るだけだった頃。彼が一足先に両親から教えを乞うて、診療所での簡単な治療を任されていた頃。
まだ何も知らなかったエヴレナが、それでも見よう見まねで患者の肩や頭を撫でると、彼らは微笑んで言ったのだ。『エヴレナちゃんのおかげで、早く良くなりそうだわ』と。
それに、兄も優しくエヴレナの頭を撫でながら返すのだ。『エヴレナの手は、世界で一番の薬ですからね』と。
それなのに、エヴレナがどれだけ必死に手を伸ばそうと、彼が目を覚ますことはない。彼が、世界で一番の薬だと、そう言ったのに。
「あ、に……さま……」
血か涙か、頬がさらに濡れた感覚がしたのを最後に、エヴレナの意識も闇の中に吸い込まれていった。




