懐かしさは、時間を越えて。
はじめまして。
この作品は、「懐かしさ」をテーマにした少し不思議な青春物語です。
“ただのタイムリープ”でも、
“ただの恋愛”でもない。
十年前の記憶、過去に置いてきた思い出、
そして「もう一度、会いたい」と願う気持ち。
その全部を、懐かしさが繋げていきます。
切なさ重視 × 恋愛 × ノスタルジックファンタジー
ぜひ最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
「だからねっ、懐かしいなって、そう思ったんだよ――朝日くんっ」
花びらが揺れて、先生の髪に落ちる。
風に乗った桜は、十年越しの想いをまっすぐ届けてくれた。
積もり続けた時間が、今この瞬間、やっと重なった気がした。
だけど、その言葉の続きを、俺はまだ知らない。
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平凡な日々って、意外と居心地がいい。
成績は悪くないし、友達もいる。
特に不満もない。
けど――ふとした瞬間、胸の奥に空洞みたいな違和感が残る。
何かを置き忘れてきた気がする。
いや、もしかしたら――誰かを。
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「おい、坂上、帰るぞ」
「おう、ちょっと待って」
授業が終わり、机に荷物を突っ込んでいたとき。
いつもの声が飛んできた。
振り返ると、髪を無造作に束ねた颯太が、ドアの前で待っていた。
その後ろから、幸郎がにやにや笑いながら答案を覗き込んでくる。
「おい朝日、今日の英語七十点!? お前、いつから優等生キャラになったんだよ」
「うるせぇ、俺だってたまには頑張るわ」
「ちなみに俺、五十点」
「お前はいつも通りだな」
「颯太は?」
「五十三。平均点。……もう行くぞ、カラオケ予約取れねーから」
そんな他愛もない会話が、放課後の廊下に響く。
笑い合いながら靴を履き替え、三人で校門を抜けた。
蝉の声が遠くでじりじりと鳴いている。
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「どうぞー!」
駅前でチラシ配りの女性が笑顔で差し出す。
颯太と俺はスルーしたけど、幸郎だけは嬉々として受け取っていた。
「……なんでもらったんだよ」
「え? 可愛かったから」
「ティッシュじゃなくてチラシだぞ、それ」
「いいの、目が合ったから」
呆れながらチラシを覗き込むと、そこには見覚えのあるタイトル。
「“心のノート”……懐かしい」
「小学校のときのやつ?」
「うん。全員に配られたやつ」
「中見たことねぇけどな」
「お前、心のページ欠落してるからな」
「うっせ。お前もだろ」
幸郎は笑いながら、チラシを軽く放り投げた。
紙の匂いが夏の熱気と混ざって、なぜか胸の奥が少しざわつく。
「“自分を見つめ直して”だってさ。くっそ笑える」
「いや、大事なんだよ。こういうのって」
「見つめ直した結果、可愛いお姉さんに声かけたいです」
「そういう意味じゃねぇ!」
そんなやり取りが、夏の空気の中に消えていった。
その軽さが、いつも通りで、心地よかった。
――けど今思えば、あの放課後が、“普通”の終わりだった。
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帰り道、ふと立ち寄った駅前のフリーマーケット。
古びたぬいぐるみ、黄ばんだCD、そして――それは、目に飛び込んできた。
《モンスタークロニクル》
十年前、小学生の間で爆発的に流行ったカードゲーム。
あの頃、放課後はこれ一択だった。
公園でバトル、放課後にカード交換。
勝ったら自慢して、負けたら泣いて。
そんな時間が、確かにあった。
「懐かしい……」
思わず呟いて手に取る。
擦り切れた箱。角の潰れ。色褪せたパッケージ。
けど、それがかえってリアルだった。
子どもの頃の指先の感触まで、蘇るようで。
「それ、持ってたなぁ」
隣の颯太が覗き込む。
「お前、レアカード欲しさに毎日コンビニ巡ってたじゃん」
「……あったな、そんな時期」
口では笑っても、胸の奥がひりついた。
“あの頃”の記憶がぼやけている。
でも――そこに誰かがいた。
笑っていた誰かが。
けど、顔が浮かばない。
気づけば買っていた。
百円玉ひとつ。
思い出を買い戻すには、あまりにも安すぎた。
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帰り道。
夕暮れの中、何気なく封を切った瞬間――風が止んだ。
世界の音が、一斉に消える。
遠くの車の音も、蝉の声も、全部消えた。
アスファルトの照り返しも、夕焼けの色も、溶けていく。
息を飲む間もなく、景色が“溶けた”。
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「……暑っ」
耳をつんざくようなセミの声。
見覚えのある駅前のロータリー。
けれど――決定的に違う。
看板のデザインも、建物の色も、服装も。
全部、“昔”のままだった。
スマホを取り出す。
日付を確認する。
2015年7月20日(月)
「……は?」
声が漏れた瞬間、近くを歩く人が振り返る。
俺はそのまま、叫んでいた。
「今、何年の何月何日ですか!?」
周囲の視線が一斉に集まる。
その中で――ひとりの少女が、吹き出した。
⸻
「ふふっ、何それ。タイムリープ系?」
夏の陽射しの中、黒髪がやわらかく揺れた。
セーラー服の襟から覗く白い首筋。
少し面倒くさそうで、それでいてどこか楽しそうな表情。
「い、いや……その」
「“今何年ですか”って、やばいでしょ。SNSでバズるよ」
「ごめん、ちょっと混乱してて」
「まあ、夏だしね。頭も溶ける季節だし」
少女はそう言って、ベンチに腰を下ろした。
近くの風鈴が、かすかに鳴る。
「……君、名前は?」
「朝日。坂上朝日」
「ふーん。私は――如月紗夜」
その名前が、胸の奥で静かに反響した。
懐かしい音のように、響いて消える。
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紗夜は意外とよく喋る子だった。
最初の印象は“クール”。でも、話してみると表情がよく変わる。
笑ったり、むくれたり、ほんの少し照れたり。
「友達、いないの?」
「そういう言い方やめてくれる?」
「いや、悪気はなくて」
「まあ、当たってるけどね」
紗夜は空を仰ぐ。
蝉の声が、風に乗って流れていく。
「この街、噂好きの人多いの。顔だけで性格決めつける。くだらないよね」
「分かる気がする」
「でしょ? だから、知らない人と話すの、ちょっと新鮮」
そう言って笑う彼女を、俺はずっと見ていた。
“懐かしい”と思った。
理由は分からないのに、懐かしかった。
⸻
気づけば夕方。
風鈴の音が少し遠くなる。
西日がベンチの端を染める。
「ごめん、トイレ行ってくる」
「うん」
それっきり――戻らなかった。
三十分、そして一時間。
何度見渡しても、彼の姿はなかった。
日が沈みかけた頃、紗夜はため息をつき、ベンチの下を覗く。
そこに、カードが落ちていた。
《モンスタークロニクル》
「……なにこれ」
指で触れた瞬間、微かに光が走った気がした。
紗夜は首を傾げながら、それを鞄にしまった。
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翌日。
いつもの場所で紗夜は待っていた。
昨日の少年――坂上朝日。
けれど、彼は来なかった。
風が吹いて、風鈴が鳴る。
その音の向こうから、小さな声がした。
「お姉さん、それ……カードゲーム?」
小学生くらいの男の子。
人懐っこい笑顔。
手には同じカードの束。
「これ? うん、ちょっとね」
「俺、それ好き! ほら、これ強いんだぜ!」
少年が自慢げに見せたカード。
紗夜は思わず目を見開く。
その目の形。
癖のある前髪。
笑ったときの頬の動き。
――どこかで、見たことがある。
「君、名前は?」
「さかうえ……じゃなくて、さかがみ! 坂上あさひ!」
風鈴が鳴った。
紗夜の心臓が、ひとつ跳ねた。
⸻
「……なんだ、これ」
目を開けると、眩しい夏の日差しが差し込んでいた。
視界に広がるのは、見慣れた駅前の景色。
フリーマーケットの喧騒。子ども連れの家族。
十年前にいたはずの空気が、まるで嘘みたいに消えていた。
俺は、あのベンチの前に立っていた。
さっきまで、紗夜が座っていたはずの場所。
けれどそこには、もう誰もいない。
足元には、買ったはずのカードゲームの箱。
拾い上げる。
確かに、これを開けたその瞬間に――世界が変わった。
「……夢、だったのか?」
つぶやいた声が、自分のものじゃないみたいに響く。
だけど、夢にしては、あまりにもリアルだった。
風の匂いも、蝉の声も、そして――あの笑顔も。
胸の奥がじりじりと痛む。
名前を呼びそうになって、やめた。
「紗夜……」
声に出した瞬間、世界がまた少し揺れた気がした。
でも、何も起こらない。
風が吹き抜けて、蝉の声が戻ってくる。
スマホを取り出す。
日付は、2025年7月20日(月)。
何も変わっていない。
俺だけが、“あの場所”を見てきたのか。
「坂上、どこ行ってたんだよ!」
振り向くと、颯太が手を振っていた。
その後ろで幸郎がアイスを咥えて笑っている。
「お前、またぼーっとしてたろ」
「……ちょっと、な」
笑ってごまかす。
でも、心は笑えなかった。
手の中のカードを見つめる。
ひとつ、見覚えのないカードが混ざっていた。
白地に黒い線で描かれた、手書きのような文字。
“また話そうね。
紗夜より。”
まるで誰かが、今この瞬間に書いたみたいだった。
息が詰まる。
その一枚だけ、まるで新しいカードみたいに光沢があった。
「……おい朝日、どうした?」
「いや……なんでもない」
そう言って、俺はポケットにカードをしまった。
何かを言えば壊れてしまいそうな気がして。
夕陽が落ちていく。
街のざわめきが遠のいて、蝉の声がまた響く。
あの日の声と重なって聞こえた。
「――朝日くんっ!」
思い出しかけた何かが、風にさらわれていく。
けれど、胸の奥の“懐かしさ”だけは確かに残っていた。
⸻
その夜。
ベッドに横になっても、眠れなかった。
机の上には、あのカードが置いてある。
明かりを消しても、わずかに光っていた。
まるで、誰かが呼んでいるみたいに。
「……紗夜、か」
手を伸ばす。
指先がカードに触れた瞬間、空気がわずかに揺れた。
――チリン。
風鈴の音が、確かに聞こえた気がした。
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懐かしさは、時間を越える。
そう教えてくれたのは、十年前の少女だった。
そして――俺は、再び“あの夏”へ向かう。
読んでいただきありがとうございます。
1話は“懐かしさ”が引き金となる物語の始まりです。
朝日と紗夜――
10年前と今を繋ぐ“思い出”が、これから少しずつ形になっていきます。
次話「ラムネの栓を開けた音」では、
再び懐かしさをきっかけに、あの夏が動き出します。
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