あめのひはきらいなのです
ざあざあ降りしきる雨は、きっと空の涙なのです。
だから私は、雨が嫌いです。
特に、こんな暗いくらい夜の雨はいけません。
涙にも種類があるのです。
喜びに流れる涙は、きっと春の朝の優しい雨です。真夏の昼の恵みの雨です。
こんな、真夜中の温もりを奪っていくような冷たい雨ではありません。だからきっと、これは悲しみの涙なのです。
そして、悲しみはわるいものを呼び寄せます。だから私は雨が嫌いです。
傘をさします。ぱらぱらと音をたてて弾かれる雨はまるで抗議でもしてるようで、ますます気分が下がります。
歩いても歩いても、雨の音はずっとついてきます。ざあざあぱらぱら、鳴り続ける音は耳の中に遠慮なく飛び込んで、消えないハーモニーを奏でます。
きっとこの雨はしばらく止みません。空は何が悲しくて泣いているのでしょうか。早く泣き止んでくれないかな。
だって、このままでは
「……お嬢ちゃん、こんな夜更けに一人なの? 危ないよ」
わるいものを、ひきよせてしまうから。
「もしかして迷子なのかな?」
じっと声をかけてきた男を見ます。
落ち着いて、まだわるいものとは決まってないのです。こういう時はゆっくり呼吸をしないといけません。すって、はいて、湿った空気を中に取り込みます。
ざあざあぱらぱら、雨はまだ止みません。男が持つ傘は真っ黒で、闇を固めて作ったようでした。
「……お兄さん、実はお父さんと知り合いなんだ。お家に連れていってあげるよ。おいで」
差し出された手をじっと見ます。
だんまりの私に痺れを切らしたのか、男は私の手を掴みました。その拍子に傘を落としてしまいます。空の涙がまるで憐れむように私を濡らして、温度を奪っていきます。
「ぁ……」
「大丈夫大丈夫。ついておいで」
ぐいっと強引に手を引かれてどこかに連れて行かれます。
傘は男が拾いました。子ども用の小さな傘は男が持つとオモチャのようで、なんともバランスが悪いなと思いました。
私がおとなしく歩き出すと男は満足そうにこちらを見ました。
掴まれた手は痛い程の力で握られていて、逃がす気がないといってるようでした。
暗い暗い夜には誰もいません。
一度も人と会うことなく、私は知らない部屋に連れ込まれました。
きっとここは男の部屋なのでしょう。
狭く散らかった部屋は居心地が悪そうだなと思いました。
私を中に突き飛ばして、男は玄関の鍵を閉めます。
ニヤニヤ笑う顔はとても気持ちが悪いです。それは弱い獲物をいたぶるのを楽しむ、獣の顔でした。
「わりと可愛い顔してるけど、オツムは弱いのか? 状況わかってねーの?」
乱暴にのしかかりながら男はそう嘲り、私の身体をさわります。
雨の中歩いたからでしょう。男の手は湿っていて、興奮して荒い息をついているのもあってとても不快でした。
「まぁいいや。久々の獲物だ。たっぷり楽しませてもらうからなぁ」
あぁ、やっぱりこれはわるいものです。悪者です。
私はこれから自分の身に起きることを想像して、そっと涙を溢しました。
「ひっ……! バケモノ……!」
「ゃだ、やだやだやだ痛い痛い痛い」
「やめて、やめてください。お願いします!」
「いや、嫌嫌嫌嫌嫌嫌ぁ!!」
「殺さないで、殺さないでコロサナイデころさないでやめて助けて」
「おかぁさぁん……」
目の前で転がる男だった物体は、最期に母を呼びました。
やめてって言ってもやめてくれなかったくせに。痛いって言っても笑ったくせに。
自分の身体を、自分でも触ったことのない場所を触られる恥辱も知らないくせに。無理矢理自分の中に入ってきた存在がどれ程怖気だつものかもわからないくせに。それを、人に与えてきたくせに。
どうして、最期の言葉は私と同じなのでしょうか。
私は、死にました。
いたくてつらくてくるしいことをされて、死んでしまいました。
その後は暗い雨の中だけが私の居場所。
それからずっと私にひどいことをした男と同じような男を、殺して食べています。そういう存在になってしまいました。
嗚呼、血塗れになった手のなんと美しいことか。
口にすると、極上の甘露なのです。悪者の血はやっぱりとても美味しい。
ぴちゃりぴちゃりと夢中で舐めます。もっと、もっと欲しい。噛み砕いて啜って全て飲み干して、そして私の力の一部に……。
『悪いことはしたらいけないよ。やられて嫌なことは、人にやってはいけないんだよ』
……駄目です。駄目なんです。
優しく笑って頭を撫でてくれた人がいました。もう思い出せないけど、私はその人のことがとってもだいすきでした。
あぁ、私はまた、言い付けを破ってしまいました。
やられて一番嫌だったことをしようとされるといつもこうです。どうしても仕返しをしてしまいます。
どうしたらいいんでしょう。わかりません。
フラフラと立ち上がり、外に出ます。
ざあざあ降り続く雨は、私を憐れむように全身を洗い流します。
大嫌いな雨にうたれてホッとしてしまう私は、やっぱりわるいものになってしまったのです。
どうせなら雨が私を貫いて消してくれたらいいのに、空の涙は私を憐れむように濡らすことしかしてくれません。
仕方がないので、傘をさしてまた歩き出します。
ざあざあぱらぱら、鳴り続ける音は私を責めるようにも、慰めるようにも聞こえました。
あぁ、やっぱり私は雨が嫌いです。
滅茶苦茶思いつきの話。