【コミカライズ】本当に欲しいものは口にしない方がよろしくてよ?
「フレデリカ、あなたとの婚約を破棄する」
王家主催の夜会で、私の婚約者はそんなふうに高らかに宣言した。
あまりに声高に言うものだから、周囲の視線が集まる集まる。
婚約者の隣に立つのは、私の腹違いの妹フランチェスカ。
彼女は、私の婚約者にぴったりと体を寄り添わせている。親密さをアピールするように。
「ごめんなさい、お姉様。どうか許して……」
体をふるわせて涙を見せる彼女は可憐で美しい。
やってることと言っていることはともかく、妹のフランチェスカは場の空気を一変させるような美貌を持っていた。
今だって、状況から察して私が理不尽に辱められているというのに、傍観者の方々は気の毒そうにフランチェスカを見ている。
私の妹、フランチェスカはそういう娘なのだ。
私の婚約者のジェラルド様は、フランチェスカの肩をそっと抱き寄せた。
「すまないな、フレデリカ。私は真実の愛を彼女に教えてもらったんだ」
全く済まなそうに見えない婚約者が、口先だけの謝罪を口にする。
だけど、その手はしっかりフランチェスカをホールドしているし、ラブラブっぷりが窺えるというものだ。
フランチェスカが、ジェラルド様の陰に隠れて舌を出してみせるのが見えた。
彼女は、私が嫌いだ。
私にコンプレックスを抱いている。
フランチェスカは妾腹の娘で、非嫡出子だ。
彼女がずっと、私を憎んでいたのには気がついていた。
だから──
私は、何事かとこちらに歩み寄ってくる両陛下に視線を向けた。
ジェラルド様はこの国の第三王子。
そして私は、国内有数の公爵家の娘。
この婚約は、私がジェラルド様に恋をしたから決まった……ことに、なっている。
陛下が、ドーナツの空洞のようになっている私たち3人の元に来ると、彼は厳かに尋ねた。
「これは何事だ」
「陛下。私はフレデリカ・フォレット公爵令嬢との婚約を解消したく思います。そして、彼女……フランチェスカと婚約を結び直します」
「何を言うか。頭がおかしくなったか?」
陛下の言葉はもっともだ。
しかし、この騒動。
もはやなかったことにはできない。
私は扇で口元を隠すと、悲しげな雰囲気を装いながら陛下に声をかけた。
「発言をお許しください、国王陛下」
「おお、フレデリカ。愚息がとんでもない愚行を働いたようだ。この咎は後々ゆっくり……」
「構いませんわ、陛下。私……ジェラルド様との婚約を解消しても、問題ございません。なぜなら……もう彼の心は、彼女にあるのですから。私は……」
細い声で紡ぐ。
震えながら呟くと、陛下は目を細め、痛ましそうに私を見た。
私の亡き母、フォレット公爵夫人は陛下の実妹だ。
だから、少なからず目をかけてもらっている自覚はある。
フランチェスカは、陛下の眼差しが恐ろしいのだろう。
これ以上なく、体をピッタリとジェラルド様につけている。
私は言葉を続けた。
「ジェラルド様との婚約は解消いたします。どうか、ジェラルド様、そしてフランチェスカ。お幸せに」
「お姉様……」
妹は三日月の瞳で笑い、
「フレデリカ……」
ジェラルド様は今になって気まずそうに視線を逸らす。
そのふたりを見て、私は扇の下でこっそり笑った。
(なんて好都合)
時間をかけて罠を仕掛けただけある。
私は、憂いを帯びた目で陛下に懇願した。
「ですが、私は王家に嫁ぐよう教育を受けてきた身。今になって貴族の妻になる……なんて、それなら今までの私の五年間はどうなってしまうのでしょう」
「……ローズマリーに申し訳が立たんな。よい婚約をまとめよう」
私は首を横に振る。
「ジェラルド様がフランチェスカに恋をしたのは、きっと私に至らないところがあったからです」
「そんなことはない」
「いいえ。私が、彼の心に寄り添えなかったから……。ですから、陛下。私にもう一度チャンスをくださいませんか」
「チャンス、だと?」
「私は、この国。アスター国のお役に立つよう育てられてきました。今度こそ、そのお役目を果たしたいのです」
「……だが、王太子のリックは既婚。四番目のエドワードはまだ赤子。二番目のアランはあの通りだ」
「私は、アラン殿下の婚約者になりたく思います。私は、ジェラルド様とフランチェスカの仲を邪魔する気はありません。ですが、どうしても……どうしても!私はこの国のために役に立ちたいのです。どうか、陛下。私のお願いを聞いていただけませんか……!?」
私はそこで、声を張り上げた。
私が声を荒らげるなど滅多にないからだろう。
周囲の人……それに、ジェラルド様や陛下までもが目を見開く。
フランチェスカは唖然とした様子だった。
それを見て、私は密かに笑う。
私の笑みに気付いた彼女は、愕然と私を見ている。
それから──ようやく、思い違いに気がついたのだろう。
好きな人に婚約を解消されたというのに、私が全く堪えた様子がないことに。
私の目に、悲しみの色がないことに。
彼女は突然叫んだ。
「いいえ!!私がアラン殿下の婚約者になるわ!!」
「何を!?」
「フレデリカ、どういうことだ!?」
「間違えてしまったの!私が好きなのは、アラン殿下だわ……!!」
傍から聞いたら意味不明の供述を繰り返すフランチェスカに、ジェラルドは真っ青になっている。
フランチェスカと私は、容姿が対照的だ。
童顔で幼く、身長も低い。
ふわふわとした銀髪に、薄青の瞳。
華奢で少女のように見られがちなのが、私。
大人びて、身長が高い。
黒の巻き毛に紫の色っぽい瞳。
スタイルも良く美しいのが、フランチェスカ。
ジェラルド様の好みは最初からフランチェスカだった。
だけど、私が願ったのだ。
お母様がまだ存命だった時にお願いし、お母様が実兄の陛下に話をもちかけて、この婚約は成立した。
私は知っていた。
妹のフランチェスカが、私を妬んでいたことを。憎んでいたことを。
私の所持品を、私が大切にしているものを奪おうとしていたことを。
『お姉様。それ、私にちょうだい?』
『お姉様が大事にしているのを見ると、私も欲しくなるの。すごく、価値があるように思えるから』
お母様は、可愛い子供同士の戯れだと思っていたけど……私は、すぐに気付いた。
フランチェスカは、私が嫌いだ、と。
だから、わざと違うものを盗るように仕向けた。
相手にジェラルド様を選んだのは、意図的だ。
ジェラルド様は、フランチェスカの容姿が好みのようだったから。
社交界に出てすぐにそれに気付いた私は、この企みが成功することを知った。
彼は、博愛主義だった。いくつもの愛を抱える彼は、きっとフランチェスカにもその愛を差し出すだろう。
私はひとつ、賭けをした。
私の人生を分ける、一世一代の賭け。
もし、私がこの賭けに負けて──ジェラルド様が、私に真摯に向き合ってくれるなら。
私も彼を愛そうと、その努力をしようと決めていた。
だけどもし、彼がフランチェスカに心揺れるようなら、賭けは、私の勝ち。
そして、この賭けは、どうやら私の勝利に終わったようだ。
王に呼ばれ、今日は珍しく夜会に参加していたアラン殿下がやってくる。
くるくるとカールを描く黒髪。
切るのが面倒なのだろう。伸びた髪をひとつで纏めており、いつものように分厚い眼鏡をかけている。
しかし、白衣は着用していなかった。
アラン殿下は、アスター国の変わり者王子、と呼ばれている。
昼夜問わず植物の研究に明け暮れ、怪しげな実験ばかりしている……という噂のある方だ。
だけど、私はそんな彼が好きだった。
幼い頃、彼に会ってから──私の心は彼だけのもの。
呼び立てられたアラン殿下は状況が把握出来ないのだろう。混乱したように私たちを見ている。
「この場で表明しよう!今この時を以て、フレデリカ・フォレットとジェラルド・アスター第三王子の婚約を解消する!
そして、フレデリカ・フォレットは第二王子アラン・アスターと!!
フランチェスカ・フォレットは、第三王子のジェラルド・アスターと婚約を新たに結び直す!!未来ある若者たちに、みな、祝福の拍手を!!」
王がそう宣言するものだから、場は拍手に包まれた。
実際はみな、何が何だか、という状況だっただろうけれど。
唖然とした様子のフランチェスカは、ジェラルドに連れていかれた。
私も、アラン殿下に近づき、そっと囁いた。
「いつかの約束を、果たしにまいりました」
その言葉に、アラン殿下が目を見開いたのが分かった。
☆
私とアラン殿下はバルコニーに移動した。
びゅう、と強い風が吹き、彼のひとつに結んだ黒髪が揺れる。
「すごい風だな……きみは?寒くない?」
今の強風で眼鏡になにか付着したのだろう。
アラン殿下は一度眼鏡を外すと、ポケットからハンカチを取りだし、拭い始めた。
分厚い瓶底眼鏡を外したアラン殿下は──絶世の美青年、というわけではないものの、可愛さを感じさせる甘い顔立ちをしている。
同年代の令嬢より、ご婦人方に好まれそうな見目だ。
彼は、夜会でそういった誘いを受けるのを嫌って、その眼鏡をつけるようになったと昔聞いたことがある。
アラン殿下はバルコニーの柵に凭れると、説明を求めるように私を見た。
「それで、何がどうなってきみがジェラルドと婚約解消することになったんだ?」
「ジェラルド様はフランチェスカと恋に落ちました」
それだけで、彼は全て察したのだろう。
短く舌打ちをすると、くしゃくしゃと自身の癖のある黒髪をかき乱した。
「あのバカ……」
「その代わりに、私はあなたとの婚約を望みました。陛下はこの件に酷く同情してくださっています。今からこの婚約を撤回することはできません」
「……きみはそれでいいの?」
「良いから、お願いしたんです。アラン殿下、お忘れですか?」
私は、夜空を背景に首を傾げるアラン殿下を見ながら、ふわりと微笑んだ。
この五年間、貼り付けていた愛想笑いではなく、心からの笑みを見せる。
「私は、あなたのお嫁さんになりたかったのです」
『私、大人になったらアラン殿下のお嫁さんになりたいわ』
『え?お嫁さん?うーん……どうだろう。僕は王家の出来損ないだからな』
『だめなの?』
『夫人が許してくれるかな』
『お母様が許してくださったら、いいの?』
『……きみが大人になって、同じことを望んでくれるならね』
あの時、私はとても幼かった。
アラン殿下が答えを濁したのはわかっていた。
それでも、約束は約束だ。
果たしてもらう。
そんなつもりで強気に見つめると、アラン殿下は驚いたように目を見開いた。
それから、苦笑する。
「……忘れたのかと思っていた」
「ずっと、覚えていました。ねえ、アラン殿下。ジェラルド様と婚約を結んだのは、あなたを手に入れるためだった……と言ったら、あなたは私を軽蔑しますか?」
尋ねた私に、アラン殿下は眉を寄せる。
一歩踏み出して私は彼の腕にそっと手を添えた。
窺うように見ると、彼は詰めていた息を吐き出すようにため息をつく。
「……理由が、あったんだね」
その一言で、彼は私のことを忘れていなかったことを知る。
それに喜びと、彼を悩ませたかもしれない……ことに胸が痛んだ。
私は勇気を出して、えいやっと彼の胸に顔を埋めると、アラン殿下が苦笑する声が聞こえた。
「……かなわないね、きみには。喜んで、あなたの申し出を受けよう。フレデリカ・フォレット公爵令嬢」
手を取られて、手の甲に口付けを受けた。
☆
アラン殿下に馬車留めまで送り届けてもらう途中、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お姉様!!どうして!?」
走ってきたのは、妹のフランチェスカ。
彼女は私を睨みつけていた。
「嘘をついていたのね!?」
私は、笑って答えた。
「フランチェスカ。本当に欲しいものは、口にしない方がよろしくてよ?」
だって、欲しいものを欲しいと言ってしまったら、意地悪なひとに盗られてしまうかもしれないもの。
だから、大事なものは秘めておくの。
隠しておくの。
先程事情を説明されたばかりのアラン殿下は、何とも言えない、困ったように苦笑している。
「フレデリカ」
呼びかけられて、私はそっとアラン殿下に身を寄せた。
先程の、フランチェスカのように。
その様子に、フランチェスカは確信を得たのだろう。
私が、本当に恋をしていたのはアラン殿下だった、と。
「あなたの幸福を願うわ、フランチェスカ。あなたが、教えてくれたのよ。本当に欲しいものは、口にしない方がいい……って」
だから、私はしたたかになった。
私が大切にしていたぬいぐるみや人形、ブローチ、髪飾りは全てフランチェスカに取られた。
お父様は、彼女に甘いから。
だから、私は隠したの。
この気持ちを、この想いを。
「さようなら、ジェラルド様とお幸せにね」
fin