掴み取った幸せ
アシルス帝国、帝都ウォスコムの宮殿にて。
アルセニーとタチアナはユスポフ公爵家とキセリョフ伯爵家の今後のことについて、皇帝エフゲニーに話しに来ていた。
「なるほど……。ユスポフ公爵家先代当主……アルセニーの父であったクジマも其方ら兄弟のことを心配しておったが、こんな結末になるとは思わなかったであろう」
エフゲニーは軽くため息をつく。
「不甲斐なくて大変申し訳なく存じております」
アルセニーは少し肩を落とす。
「アルセニー、其方はこれからだ。あまり気に病む必要はない。私は其方に期待しておる」
エフゲニーはラピスラズリの目を細め、威厳ある笑みである。
「もったいないお言葉、光栄でございます。皇帝陛下のご期待に添えられるよう精進いたします」
アルセニーはマラカイトの目を輝かせた。
これからユスポフ公爵領を立て直すつもりである。
「キセリョフ伯爵家についても、期待しておるぞ」
エフゲニーはタチアナに目を向けた。
「承知いたしました。最大限のことを尽くすつもりでございます」
タチアナは緊張しつつも真っ直ぐ前を向いていた。
こうしてユスポフ公爵家とキセリョフ伯爵家についてはアルセニーとタチアナに任されたのである。
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アルセニーとタチアナはまずユスポフ公爵家の帝都の屋敷へやって来た。
「ユスポフ子爵閣下、ユスポフ子爵夫人。いえ、もうユスポフ公爵閣下とユスポフ公爵夫人ですわね」
マトフェイの妻であるクレメンチーナは神妙な表情である。
マトフェイは裁判で爵位と貴族籍を失い終身刑となった。それによりクレメンチーナもユスポフ公爵夫人ではなくなったのだ。しかし彼女には何も罪がないので一応貴族籍はある。
ちなみに、キセリョフ伯爵家の三人は、タチアナ虐待と誘拐に携わった件で五十年の徒刑が課せられることになった。
「アルセニー・クジーミチ様、タチアナ・ミローノヴナ様、この度は大変申し訳ございません」
心底申し訳なさそうなクレメンチーナ。
「ユスポフ元公爵夫人……いや、敢えてクレメンチーナと呼ぼうか。君が気にすることはないよ」
「アルーシャ様の仰る通りでございます。貴女は何も悪くありませんわ」
アルセニーとタチアナはクレメンチーナを宥める。
「それで、君は今後どうするつもりだ? 一応君への支援はするつもりだが」
少し心配そうなアルセニー。
「クレメンチーナ様、キセリョフ伯爵家の帝都の屋敷を使用していただいても構いませんよ」
タチアナも心配そうである。
するとクレメンチーナはすっきりとした笑みを浮かべる。
「お二人共、お気遣いありがとうございます。ですが、私は大丈夫でございます。私は修道院に入り、天に召された後のマトフェイ様の罪が軽くなるよう祈ろうと思いますの。私達はいずれ生涯を終え、天に召されます。裁判結果は覆りませんが、せめて天に召された後、マトフェイ様の生前の罪を軽く出来ればと思いますわ」
それは夫を思いやる妻の表情であった。
「アルセニー・クジーミチ様、貴方にとってマトフェイ様は酷い弟だったでしょう。確かに彼は至らない部分が多くございます。その結果、今回の事件に繋がってしまいました。タチアナ・ミローノヴナ様にも大変なご迷惑をお掛けしてしまいましたし……」
クレメンチーナは俯く。
アルセニーとタチアナは、黙ってクレメンチーナの話を聞くことにした。
「ただ、私にとってはそれだけではございませんでした。私は子供が出来にくい体質で、社交界でも少し肩身の狭い思いをしておりました。しかし……マトフェイ様はそんな私を守ってくださいました。『気にしなくても良い』と仰ってくださいました。そういう優しい部分もあるのです」
ゆっくりと語るクレメンチーナ。
「ですので、私は修道院に入り、マトフェイ様の罪が軽くなるように祈るのです」
穏やかな表情のクレメンチーナである。
「そうか……」
アルセニーはそれを聞いて少し考える。
(マトフェイ、お前のクレメンチーナへの想いはきちんと伝わっているぞ……)
アルセニーはほんのりと口角を上げるのであった。
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数日後、アルセニーはマトフェイが収容されている牢獄へ向かった。
「マトフェイ」
アルセニーは檻越しに呼び掛ける。
「兄上……」
マトフェイは牢獄の中でやつれていた。
「何の用です? 僕を嘲笑いにでも来たのですか? だとしたら悪趣味ですね」
力なく自嘲するマトフェイ。アクアマリンの目は弱々しく、光が灯っていない。
「生憎私はそこまで暇ではない」
アルセニーはバッサリとそう言った。
「ただ……お前にはきちんと罪を償って欲しい。お前の妻は、本当にお前のことを案じていたぞ」
アルセニーのマラカイトの目は、真っ直ぐマトフェイを見ている。
「クレーマが……」
ほんの少しマトフェイのアクアマリンの目が光を取り戻す。
「ああ。マトフェイ、お前の気持ちはきちんと彼女に伝わっていた」
アルセニーの声は少しだけ優しくなる。
「クレーマ……」
マトフェイのアクアマリンの目からはポロリと涙が零れる。
「僕は……兄上が羨ましかった……。長男に生まれて、何でも持っていて、クレーマの婚約者になれて……」
「ああ」
アルセニーはゆっくりと頷く。
「ただ……欲しかっただけだったんです……クレーマも、ユスポフ公爵家も……」
ポツリと本音を漏らすマトフェイ。
「そうか……。製糸場の事故を引き起こすようなことはせず、もっと早く言って欲しかったな」
アルセニーは苦笑する。
「兄上……本当に……申し訳……ございません」
涙ながらにようやく謝罪が出来たマトフェイ。
「マトフェイ、お前は終身刑だが、素行が良ければ仮釈放されたり、祝い事の際に恩赦が与えられる可能性がある。お前はマトフェイ・クジーミチだ。私はお前のことを信じることにする。だから、しっかり償え」
アルセニーは真っ直ぐマトフェイを見据える。マラカイトの目は力強かった。
「兄上……」
マトフェイのアクアマリンの目に輝きが戻る。それは今までで一番美しい目であった。
「僕は……自分の罪と向き合い、償います。タチアナ・ミローノヴナ様……兄上の奥様にも、きちんと謝罪をしたい」
「ああ。ターニャにも伝えておく」
「ありがとうございます……。兄上……兄上とは、また幼い頃のように、普通の、仲の良い兄弟に戻りたいです」
涙を零しながら、素直な気持ちが溢れ出すマトフェイ。
「ああ、いつまでも待っている」
アルセニーは優しく頷いた。それは兄としての表情であった。
遠回りをしたが、アルセニーとマトフェイは和解出来たのである。
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更に数日後、ユスポフ公爵家の帝都の屋敷にて。
「大分落ち着いて来ましたね」
タチアナはラウラが淹れた紅茶を飲みながらホッと一息ついていた。
「ああ、ここ最近色々あったからな」
アルセニーもフッと笑い、ジャムを舐めてから紅茶を飲む。
二人の間に穏やかな時間が流れる。
「ターニャ、愛しているよ」
アルセニーは不意にそう伝えたくなった。
マラカイトの目は真っ直ぐタチアナを見つめている。
タチアナはその言葉を聞き一瞬驚くが、すぐにヘーゼルの目を嬉しそうに細める。
「私も、愛しておりますわ、アルーシャ様」
どん底だった二人は、見事に幸せを掴んだ。
その道のりは決して平坦ではなかった。しかし、二人は勇気を出してその道を進んだのである。
こうして、今の穏やかな時間に繋がっているのであった。
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