森の中の精霊マリアベル
深緑の森を縫うように、小川のせせらぎが響いている。
俺たちは新たに開墾しようとしている畑の水源を求め、木漏れ日の中を歩いていた。
「このあたりに水脈が、本当にあるのか?」
エルリックが地面を蹴るが、硬くて容易には割れない。
俺は小川のほとりから聞こえるわずかな水音に耳を澄ませた。
――カサリ。木の葉が擦れる音。
「……誰かの声?」
ウィンリーが目を輝かせ、小枝を払いのけると──
そこにいたのは、一人の少女だった。
膝までの蔓に絡め取られ、薄紫のローブは泥にまみれ、表情は震えている。髪は淡い緑色。
額には小さな、花の蕾を思わせる紋章が浮かんでいた。
「た、助けて……」
その声はか細く、しかし確かな意思を含んでいた。
「今助けてやるぞ」
俺は駆け寄り、ウィンリーとイリーナ、エルリックも続く。だが、絡みつく蔓はただの植物ではない。魔力を宿し、鋭いトゲが俺たちを拒む。
「魔縛の蔓……ひと筋ずつ斬るしかない!」
俺は腰の包丁を抜き放ち、一閃。イリーナは風の呪文で棘を吹き飛ばす。
「あと少し……!」
最後の蔓を斬り裂くと、少女は大きく息を吐き地面へ崩れ落ちた。
切り裂いた蔓は枯れ果てて黒い粘液を滴らせている。
「大丈夫か?」
俺がそっと肩を抱えると、少女は震える声で言った。
「……私は、マリアベル。森と植物の精霊を守る者……ドリュアス族です」
泥まみれの顔を上げたその瞳には、恐怖と安堵、そして感謝が混じっていた。
「ドリュアス族………ああ、その種族なら聞いたことがありますぞ。確か植物と会話し、大地を癒すとか」
マリアベルは小さく頷く。
「はい。私たちは“木々の声”を聞き、“花の想い”を紡ぐ役目を持つ者たちです。ここは私達――森の精霊たちの庭なのです」
精霊たちの庭……? 森の精霊というのはドリュアス族、植物族のことを指すのか?
「それが、一体どうしたって言うんだ?」
「この魔縛された蔓はこの森に侵入した瘴気の根――精霊を蝕む寄生種によるものです。私はそれを浄化するために追っていたのですが、逆に捕らわれてしまいました。その“根”を放置すれば、被害は拡大しこの森、いえ、この世界の森を蝕み枯らせてしまうでしょう」
なんだって! 俺たちの野菜も困るじゃないか。
「……この土で、畑を作りたいと思っているんだ。稲を、水を使って育ててみたくて」
「稲……お米?」
マリアベルの目が、初めて好奇の色を帯びた。
「そうだ。地上の文化を取り戻すためにも、炊きたてのご飯を食べたいんだ」
「ふふ……素敵な夢ですね」
彼女の手が、そっと俺の手に触れた。
髪に混じる柔らかな葉のぬくもりが伝わり、その掌には確かな力を感じた。
「その“根”を放置すれば、庭の大地も枯れてしまう。俺たちの野菜も困る。だから、俺たちがこの森を、君を守る。俺たちと一緒に来てくれないか?」
「あなたは?」
「俺は……ミツボシ。料理人だ。マリアベル、ぜひ力を貸してくれ」
俺は静かに言い、手を差し出した。
マリアベルはぬれた髪を掻き上げ、微笑んだ。薄緑の涙が頬を伝う――それは喜びの証だった。
「はい、これからは……共に戦い、共に育てましょう。大地と命のために」
彼女は差し出した俺の手を力強く握り返した。
森と庭と料理をつなぐ、新たな“緑の守護者”として──その日、小さな世界に大きな絆が芽吹いたのだった。