サキュバスの真なる力
バタードラゴンの巨体が大地を割って沈んでいく。
巻き上がる土煙の中、空気がピリついている。
まさか、イリーナの拳ひとつでここまでとは――。
『……グ、ギャァ……』
地面に埋もれたバタードラゴンが、苦悶の唸り声をあげながら身を震わせている。
巨体の鱗がひび割れ、かすかに焦げたような黒煙すら上がっていた。
「ふん、私と主の寝床を壊すなんて死ぬ覚悟があるとかしか思えませんわ」
そう呟くイリーナの姿は完全に“怒れる女”のそれだ。
サキュバスの本来の姿といえば、艶やかで妖しく、誘惑の象徴のような存在だが――
いま目の前にいるのは、そんなものを遥かに凌駕する“破壊の化身”。
だが、まだ終わってはいなかった。
『グガァァァァァァ……!』
沈んだ地面の中から、バタードラゴンが――再び、その姿を現す。
その姿はもはや理性の欠片もない、ただの“災厄の塊”だった。
目が真っ赤に染まり、口の端からは泡のようなものが滴っている。
――激怒している。
「な、なんか……逆にやばくなってない?」
「調子に乗ってますね。上の者を敵にまわす恐ろしさを教えてあげましょう」
えっ、今なんとおっしゃいました!?
バタードラゴンが吼えると、その全身が赤く発光し始めた。
ただの火ではない――これは、“爆炎の呪い”だ。
「やばい、あいつ暴走する気だ! このままだと森ごと吹き飛ぶぞ!」
俺の言葉に、イリーナは小さく舌打ちした。
「チッ……仕方ありませんわね」
そう言って、イリーナの背中に――漆黒の翼が現れた。
蝙蝠のような形をしたその翼は、夜の帳のように闇を揺らし、イリーナの足元からは紫の魔法陣が浮かび上がる。
「サキュバスとしての本気、見せてあげます。……ミツボシ様、下がっててください」
「う、うん……」
俺は一歩後退する。
目の前にいるイリーナから、まるで別次元の気配が立ち昇っていた。
「――《夢魅の深淵》」
その言葉と同時に、イリーナの手のひらに黒い魔力が集まり、球状の塊となって凝縮していく。
空気が圧縮され、草木が揺れ、バタードラゴンですらその気配に怯える。
『グギャァァァ……!』
だが、ドラゴンは止まらない。
赤き呪炎をまとい、炎を超える“災厄の爆心”として、最後の突進を仕掛けてきた――!
「じゃあ――おやすみなさい!」
イリーナが手を振り抜いた。
黒き魔弾が解き放たれると、それはまるで空間ごと飲み込むようにうねり、バタードラゴンの頭部に直撃する。
次の瞬間――。
ズドォォォォォン!!
轟音と共に、大地が揺れた。
辺り一面、紫と黒の閃光が走り、森の木々すら一瞬で吹き飛ぶほどの衝撃。
炎も、風も、音も、すべてを飲み込んだその一撃のあとに――
残ったのは、ぽっかりと空いた巨大なクレーターと、そこに崩れ落ちるバタードラゴンの亡骸だった。
『……ギ、ギィ……』
そのまま、ドラゴンは力尽きたように、息を引き取った。
長い沈黙。
風が吹き抜け、焼け焦げた木々の間を通り抜けていく。
その静寂を破ったのは――
「ふぁぁ……終わった……」
イリーナの気の抜けたあくびだった。
……おい。
「ま、また寝るつもりか?」
「はい、今日はもう、ご褒美に布団で寝る……」
布団、ねぇよ。燃えたんだよ、さっきお前が倒したそいつの炎で。
俺が肩を落としていると、ウィンリーがふわりと近寄ってきた。
「ミツボシ様、イリーナがいればどんな災厄も恐くないですね! さすがサキュバスの王族!」
「……いや、恐すぎて逆に安心できねぇわ……」
こうして、俺たちの家は焼き尽くされ、ドラゴンは倒され――
俺の胃にかかる負担だけが爆上がりしたのであった。