マタニティ 1
秋の中頃にはなんとかマタニティグッズが完成した。
ブリギッテ一人で作ってたから結構時間が掛かったね。
問題がないか確認した後、丁寧に畳み『締め付けが少なく、体を冷えから守ります。必要であればいつでもご連絡ください』と書いたメッセージカードを添えて梱包する。
文章だけ見れば、これから冬に向けてあったかい商品をアピールしているようにも見える。
しかし、妊娠している人やその周りの人が見れば妊婦さんを守る商品だとすぐにわかるだろう。
え?
なんで恋人もいない男の俺がマタニティ商品を知ってるかって?
そりゃあ従姉妹のアキねぇに、散々買い出しに付き合わされたからだよ。
旦那さんが仕事で忙しいから、と色んな所に連れて行かされたし、荷物持ちやどっちがいいか選ばされたから覚えてる。
あれは初めのうちは羞恥でとても辛かったが、妊婦さんって、子供を産むって大変なんだと本当によくわかった。
アキねぇは、はじめのうちはつわりで栄養が取れなかったり、体質が変わってすげぇ苦労してた。
さっきまで笑ってたのに急にトイレに駆け込んだり、ぐったりと青い顔で座り込んだり。
お腹が大きくなってきたら歩くのすら大変になってたし、こまめに休憩しないとお腹が張ってしんどくなっていた。
お前は絶対奥さんにこうしてやれよ?と事あるごとに座った目で言われた事をいまだに恐怖と共に覚えている。
妊娠中に抱いた旦那への恨みは一生忘れないと言っていたアキねぇはとてもとても恐ろしかった。
絶対奥さんには大事にしないといけないと心に刻んだ出来事だった。
事前にエデルトルート様に連絡をしておき、ブリギッテと二人で納品のフリをして献上しに行く。
エデルトルート様がいつも通り受け取り、中を確認する。
直後、こちらを怖い顔で見た。
いや、睨んだ、と言った方が良いかもしれない。
「どこで、この情報を?」
エデルトルート様の尖った声に、兵士達がぞろぞろと集まって来る。
どの顔もなんとなく見覚えがある。
確か、全員皇妃様の護衛騎士達だ。
その誰もが警戒を浮かべ、険しい表情で俺達二人を睨んでいる。
剣の柄に手を掛けている者まで居る。
もしかしたらこうなるかも、と覚悟しておいて良かった。
ここであたふたすれば、より深く疑われる事だろう。
毅然とした態度で受け答えをしなければ。
「ご注文状況で推測出来ます」
少し声は震えたが、存外はっきりと言葉が出た。
ウチの店で俺以外にこの発想に至った者はいない筈だ。
もしかしたら子育てしたことのあるスタッフなら、と思わないでも無いが、皇妃様の下着を作るのはブリギッテと初期スタッフのみだと聞いている。
まだ出産未経験の女性ばかりである。
注文が途切れたからといってすぐには思考が妊娠に繋がらないだろう。
だからこそ俺にあの手紙が届いたのだ。
普段からあった注文が急に途絶えれば商人はその正当な理由を探す。
皇帝のあの注文数と、皇妃様への愛の重さを鑑みれば自ずとその発想に行き当たるのは自明の理。
皇帝からは未だ定期的に注文が届いているので俺の店で知っているのは俺とこれを作ったブリギッテだけ。
見習いや社員達は誰も知らない。
知らせていない。
ただ、他にも気づいている店があるかもしれない。
ウチみたいに急に変更した注文などは出来る限り元に戻した方が良いのではないだろうか?
「わかりました。その言葉を信用しましょう。くれぐれも余計な事をせぬ様に」
そうだよな。
多分今が一番危険な時期だもんな。
転んだだけで流産の危険があるだろうしね。
安定期に入るまでは絶対に情報を漏らしたく無いんだろう
毛を逆立てたエデルトルート様が落ち着き、俺達は紅茶を淹れてもらい、新しい下着の話や注文を受ける。
もう少しして体型が変わってき始めた時に使用できる下着などをいくつか注文していただいた。
マタニティウェアに関しては皇妃様の着用後改めて呼び出しがあるそうだ。
お茶を飲みながらする話は、やはり妊娠や妊婦さんの事に流れやすい。
既に迷い人だと知られている俺に彼方ではどういう事に気をつけるのか?とか、妊婦さんに特別にすることとかないか?と聞かれた。
未婚の男性なので知らなくても仕方ないけど、すぐに妊娠だと察したのであれば身近な女性が身籠った事があるのだろう?と確信を持って尋ねられる。
まあ、従姉妹のねーちゃんが妊娠してたし、異世界物では良く取り上げられる話題だもんね。
「香料やスパイスなんかも妊婦さんには危険な物が多いらしいし、そういうのも気をつけた方が良いって言われてました」
俺は詳しく無いけど、一つ一つは害ないのに組み合わせたらよろしくない効果が出るヤツとかあるらしいよ。
何かの本で読んだ!
その辺は本当に詳しく無いので、信用できるこの国の植物学者とか薬学者とかその辺の人に訊いてみて欲しい。
「成る程、そういう物もあるのですね。わかりました。すぐ手配します」
エデルトルート様がそう言って目配せすれば、騎士の一人が素早く静かに部屋を出ていった。
素早いわー。
「確かシナモンは心を落ち着ける効果があるけど子宮を収縮させるから流産し易いらしくて、やめておいた方が良かったはずです。でも出産の時は逆にスムーズに産めるように摂取した方が良い、みたいな」
「シナモンですね?他に口にすることを控えた方が良い物はありませんか?」
手帳にサラサラと書き付けながら質問を重ねていくエデルトルート様に、思い付く限りの知識を並べていく。
紅茶やコーヒーはカフェインが多いから妊婦さんは出来る限り飲まない方が良かった筈だし、ハーブティーもあかんやつが多かったはず。
コーヒー好きのアキねぇがブチ切れてたもん。
「お酒が飲めないのは仕方ないにしてもコーヒーが飲めないのは辛いし無理!」と騒いでいたのを俺と旦那さんで必死で宥めたのは良い思い出……ではないな?
確かあの時有名珈琲店でデカフェのコーヒーを見つけて、軽い気持ちでプレゼントしたらそりゃあもう大層喜ばれた覚えがある。
「麦茶なら安心安全だったはずですね。ミネラルも取れるので重宝されていたと思います」
「麦茶……贅沢な事するのですね」
「ビールやエールほどではありませんよ」
「あ、確かにそうですね」
税や主食になる物をお茶として消費するなんて……と驚いているエデルトルート様にお酒の方が贅沢だと話せば笑って肯定される。
「あと、骨を作る成分を赤ちゃんに取られるから牛乳とかいっぱいとった方が良いと思いますよ」
産後骨がスカスカしちゃって骨折しやすくなるらしいしね。
おんなじ理由でタンパク質もしっかり摂らないと肌荒れとかの原因になるってアキねぇが言ってた。
「タバコとお酒は論外です」
「え……?!」
急に横のブリギッテから声が上がる。
今までは「ふーんそうなのかい」とそこそこに聞いていたのに、縋るような目でこちらを見てきた。
「どっちも赤ちゃんの身体の形成に悪影響が出やすいって。自分で吸わなくてもタバコ吸ってる人たちの近くに行くのも良く無いよ」
受動喫煙っていってアウトなやつ、と言うと「さ、酒はどれくらいまで良いのかい?」とオロオロしている。
残念ながらお酒は妊娠がわかった時点で全てNGです。
その答えに死刑を宣告された人みたいな落ち込み方をしていた。
確かにブリギッテはお酒大好きだもんね。
でも、妊娠が判ったならダメだよ。
赤ちゃんの為に諦めて。
そんな感じで世間話の中で、俺の少ない妊婦さん知識を披露すると、ブリギッテもエデルトルート様達も思いの外食いついて来る。
食事は何を積極的に摂ればいいかとか言われても葉酸とカルシウムとタンパク質くらいしかしらないよ。
ブロッコリーと鳥ササミと牛乳しか思いつかない。
とりあえず脂肪と塩分控えめにって言ってた気がする。
なんか高血圧で出産時のリスクが上がるとかなんとか?
基本的に従姉妹の愚痴でしか聞いていないので、かなり偏った知識である。
「安静にして、体調が良ければ体を動かして、妊娠中はむくみやすいから下半身のマッサージしたりして、とにかくストレスを溜めない事が大切なんだとか」
「マッサージですね。お任せ下さい」
マッサージと聞いたエデルトルート様がニヤリと笑う。
なんだろ、ものすごい嬉しそうなんだけど。
ちょっとだけ、そう、ほんのちょっとだけ気持ち悪い。
声に出てないけど、動いた唇が「触れるチャンス」と読めた気がするけどきっと気のせいだろう。
「他にはクラシック音楽は『胎教』に良いって聞きましたね」
「タイキョウ?」
皆がキョトンとこちらを見る。
え?胎教って何かって?
うーんと、お腹の中にいる赤ちゃんは外の音やお母さんの感情を感じ取れるらしくて、そこで「良い物」に触れさせるのが胎教らしいよ。
お腹の中で教えるって書くんだけど、どちらかといえば落ち着く癖をつける?条件付けする?みたいな?
ちゃんと勉強したわけじゃ無いし、合ってるかはわからんけど。
「たしか、お腹の中にいる時に良く聴いていた曲と聴いたことない曲では聴いていた曲の方がリラックスするという統計が出ていたはずです」
「統計を取る者がいるほど其方では有名な話なのですね……!」
エデルトルート様が目をキラキラさせてこちらを見る。
「それで?どんな曲が良いのでしょうか?」
「ええ……と、あんまり詳しくはないのですが……」
どんな曲がって言われても俺、クラシックなんて全然詳しくないよ?
ヴィバルディの春とかチャイコフスキーの花のワルツとかなんか音楽の授業で聴いた程度の知識しかないもんね。
鼻歌で歌ってやるとエデルトルート様も、他の侍女さん達も、護衛騎士達さえも目を丸くしてこちらを見ていた。
瞬く間に宮廷音楽家が呼ばれ、覚えてるクラシック音楽を根こそぎ教える事になってしまった。
ブリギッテが一曲につき小金貨三枚で交渉してくれた。




