164 いざ、帝都へ 1
長い冬が終わり、春が来た。
「さあ、新しい人生を作りに行きますわよ!」
「クラーラ様、その様に大きな身振りははしたのうございます」
帝都でよく見た『貴族の馬車』の前でビシッと街の外を指差すクラーラ様。
袖が大きく乱れて腕が見え、付き添いのメイドから即叱られていた。
「まだ帝都に着いてないんだからいいじゃない」とぶちぶち言いつつも、袖のシワを直してもらう。
スッと令嬢の猫を被った彼女は、数分前とは別人の様にお淑やかに見える。
女性とは、げに恐ろしきものである。
『貴族の馬車』は、クッションの効いた、外装・内装が豪華な馬車の事である。
爵位によって使える色が決まっており、万が一、道が渋滞した場合等には身分順に抜けて進める仕組だ。
良く考えられているよね。
男爵家であるクラーラ様は、濃い緑色の馬車を使用している。
クラーラ様の乗る馬車の他にも、使用人やドレスなどの私物を運ぶ高級箱馬車、テーブルや椅子、簡易竈門などの長期移動に必要な道具の入った普通の箱馬車、小間使いや休憩中の騎士が乗る幌馬車(上部に防水布を張っただけの見通しの良い馬車)などがズラリと並んでいる。
総勢十五台。
「はー……圧巻だな」
「だねー。荷物は俺が持とうか?って聞いたら馬車の数も見得の一つですからって断られちゃった」
「臨時収入のチャンスだったんだけどな」
感嘆のため息を吐くオーランドに同意していると、ヤンスさんがやって来た。
折り畳みのボウガンは新しくなっていて、以前より少し大きい物に変わっていた。
俺達はクラーラ様の家の騎士達と共に、徒歩で帝都に向かう。
休憩は幌馬車で交互に行う予定である。
食事はクラーラ様御一行と俺達ハンターが別。
そしてもう一組。
「キリト、オーランド!もう出発するんだって!早くしないと置いてかれちゃうよ!」
レジーナ一行である。
色艶の良くなった赤い髪と、白い肌。
元気にぴょんぴょん飛び跳ねて手を振るレジーナはとても可愛らしい。
恥ずかしいからかヤンスさんを省く物言いがなんとも。
今日はいつもとは違い、町娘らしく萌葱色のワンピースを着ている。
いつもパンツルックなのでスカート姿は新鮮だ。
いや、可愛いよ?ちゃんと似合ってるし、女の子〜って感じがする。
でも、レジーナらしいのはやっぱり活動的なショートパンツ姿だよな。
健康的な脚線美ご馳走様です。
親戚のおばさんだという四十代後半の女性と、レジーナより四、五歳年上っぽい女性が背後に立って笑っていた。
三人とも小さめのカバンを持っている。
中身は、着替え一組と財布、化粧品に少しばかりの手荷物のみ。
ぶっちゃけご近所に一泊する程度の荷物しか入っていない。
それ以外の大きな家具や工具、店のオープンに必要な荷物などは全て俺の【アイテムボックス】に収まっている。
「キリトさん、本当にありがとうねぇ。嫁入り道具のクローゼットまで運んでもらって」
「いえいえ、旦那さんとの思い出の品何ですから大切なのは当たり前ですよ!」
レジーナの親戚のおばさんにお礼を言われて返事を返す。
彼女の荷物は大量の家具と思い出の品だらけだった。
「これは◯◯の時に旦那が買ってくれたものでね、出来たら持っていきたいのだけれど……」と言われた家具は、まるっと【アイテムボックス】に入れている。
泣きそうな目で大切そうに触れる姿に胸が詰まった。
この三人の輸送費はクラーラ様持ちである。
ヤンスさんがノリノリで交渉に行き、ベンヤミンさんにやり込められていた。
とはいえ、安く割り引かれたわけではなく、適正価格に収まっただけの様だ。
大銀貨十五枚と決まったと報告すれば、距離と量を見たらそんなもんだろ?とオーランドが言っていた。
俺的には魔力を使っている意識すら無いくらいなのだけれど、【アイテムボックス】とは本当に便利なスキルである。
ありがとう、神様候補生様。
あ、例の押しかけ高位貴族令嬢は先週親御さんから帰還命令が届いて渋々帰って行ったそうだ。
アルスフィアットに着いたばかりの時はぼろぼろで、倒れて身動きも出来なかったのだが、栄養のある物をたっぷり食べ、ぐっすりと休んだ結果、すぐに復活。
氷雪蘭を見て感動し、お城型のカマクラに興奮し、季節外れの食材に歓喜し、お菓子やお茶を大量に要求し、それはもう十二分に堪能満喫されていたもんな。
俺も何度か紙芝居を読むために呼び出された。
俺、あの娘、苦手。
春以降も此処に居ると駄々を捏ね、困り果てた従者が彼女の両親に報告して、帰還命令が出されたのだとか。
ついでにゴットフリート様からも相手方に苦情を入れたそうだ。
今回は偶然商隊が滞在していたからどうにかなったが、冬の急な大人数の滞在は今後はやめてくれ、と丁寧にお伝えしたらしい。
帝都で彼女が店に注文を入れてきたら一回くらいは拒否ってやろう。
それくらい、許されるよな?
周りに一体どれだけ迷惑を掛けたと思っているのだろうか?
唯一良かったのは、悪い見本をクラーラ様に見せられた事だ。
客観的に主人のわがままがどれだけ周りに迷惑をかける事なのかしっかり理解できたらしく、冬の間大変良い子でお過ごしになっていた。
さて、わがまま娘の話はこの辺にして、現状の説明に戻ろう。
一応俺達の立ち位置としては、指名依頼で護衛クエストを受けたハンターパーティである。
孤児院を二人の先生とベンヤミンさん、マチルダさんにお任せして、借家は丸洗いしてから出て来た。
レジーナ達の荷物を預かり、親父さんにレジーナ達を安全に送り届ける約束をしている。
責任は重大だ。
「あ、レジーナとキリト、後そこの神官はわたしくしの馬車にお乗りなさい。エレオノーレも同乗してよろしくてよ」
「「はい?」」
そう息巻いていたのに、まさかのご指名が入る。
騎士とオーランドから言う通りにしてやれと言われて仕方なく従う。
満足気に笑うクラーラ様は可愛らしいが、此方としては護衛のシフトに大きな影響が出て、気が気では無い。
チラリとオーランド達を振り返れば、新しいシフトを組み直しているようで、頭を寄せ合い話し合っていた。
(ごめん、せめて馬車の中から探知魔法だけは切らさない様にしておくから……!)
心の中で謝って、レジーナ、デイジー、エレオノーレさんと一緒に豪華な馬車に向かった。
六人乗りの大きな馬車で、四頭だてである。
メイドさんが一緒に乗る予定だったが「狭くなるから」と、可哀想にも追い出されてしまい、他の使用人と一緒に箱馬車に乗る様だ。
「ふわふわだわ……っ!」
「んふふふ、そうでしょう?お父様にたっぷりおねだりして、内装にはとてもこだわりましたもの」
座席に座ったレジーナが感動して声を上げ、それに自慢気に応えるクラーラ様。
本人が「こだわった」と言うだけあり、足下に敷かれた絨毯から、窓に付けられたカーテンまで、女の子が好みそうな赤と白とフリルを主体にしたコーディネートである。
俺にはぷりぷりしすぎて、ちょっと落ち着かない。
全員が座った所で、クラーラ様が杖で壁を叩き「出してちょうだい」と声を上げる。
一拍ののち、ゆっくりと馬車が動き始めた。
はじめはおすましして座っていたクラーラ様だが、車輪の音が軽快に聞こえ始めた辺りで我慢できなくなったらしい。
くすくす笑い始め、俺達を見回す。
「うふふふ、お友達とお出掛けってワクワクしますわね。エラも居ないし、のびのび出来そうですわ」
エラとはお付きのメイドの事だ。
冬の間にベンヤミンさんの次くらいに仲良くなった人である。
お転婆なクラーラ様を“お淑やかな御令嬢”に見せる為、日々注意とフォローとを繰り返している。
クラーラ様もやってできないわけでは無いのだけれど、活発な彼女が御令嬢の皮を被るのは窮屈で仕方が無いらしい。
とはいえ、エラさんはいつも締め上げる訳ではなく、気を緩めて良い場所や、信用できる人の前では目を瞑る優しさもある。
ーーー高位貴族のお嬢様の愚痴とかね。
まぁ、ここには平民しかおりませんので安心して寛いで下さいな。
「あ、クラーラ様がお休みになられる時は、俺……じゃなくて、私は馬車からすぐに降りますので、ご安心ください」
「わかりました。その時はお伝えしますね」
この国では御令嬢の寝顔は家族か側仕え、婚約者の母くらいしか見てはならないのである。
まぁ、現代日本でも寝顔なんてあまり異性に見られたいものではないしね。
女性同士であればギリギリセーフだから他の同乗はどうにかなるとしても、俺はアウトである。
それはもう盛大にアウトだ。
なんだったら今の状況も帝都ではアウトである。
なので疲れた時は早めに教えていただきたい物である。
切実に。
カラカラと小気味良く音を立てる車輪、クッションのおかげで心地よく揺れる車体、少女達の笑う声。
以前乗った『グリフォンの嘴』の馬車とも、通常のハンターの移動とも、別世界の移動空間である。
なんとも快適だ。
デイジーも初めは緊張していたが、歳が近くフレンドリーなクラーラ様と、仲良くなったレジーナ、会話が止まったり、答えにくい内容だった時にフォローしてくれるエレオノーレさんのおかげで、年相応の笑顔を振り撒いている。
うむうむ、目にも耳にも心地良い。
馬車内の会話は、女性らしく途切れる事なく次から次へと目まぐるしく移り変わる。
レジーナの店の話をしたかと思えば、帝都の流行りの話になり、美味しいデザートに変わり、日頃の肌のお手入れに変わる。
俺は妹や従姉妹で慣れているから平気だが、普通の男なら耐えられないかもしれない。
薄く窓を開けて、風を通しているので車酔いもなく、会話を楽しめる。
基本的に俺は相槌を打つだけで、メインで話したりはしない。
探索魔法を掛け、この隊列に危険が無いか注意しているだけだ。
コンコン、御者席からノックが聞こえてぴたりと会話が止まる。
「間もなく野営地に到着いたします」
御者の声に返事をして、降りる準備を始める。
カードゲームやお菓子の皿を【アイテムボックス】に収納し、足元に零れたお菓子のカケラなどをクリーン魔法で掃除する。
ついでに女性陣のスカートの上や口元と手のひらもお掃除だ。
一瞬で綺麗になる服と馬車に「これで怒られずに済みますわ」とクラーラ様がはしゃいでいる。
言われるままに出していたけど、やっぱりメイドさんに怒られる事してる自覚はあったのね?
馬車に乗って移動するとはいえ、騎士達やオーランド達は徒歩だ。
移動スピードは少し早足の徒歩と同じである。
つまり、一日目は野営という訳だ。
手早く焚き火とテーブルと椅子、お茶が用意され、クラーラ様が席に着く。
大量にお菓子を食べまくっていた馬車の中とは別人の様に優雅でお淑やかである。
結構沢山食べていたし、お茶も(俺が魔法で淹れた物を)そこそこ飲んでいたので小リスの様にちびちびと口にするだけだ。
お付きのメイドさんは、馬車の中を軽く掃除したあとに、小リスなクラーラ様を見て「お嬢様が人目のない所でもお行儀良くしていますっ!やっと御自覚が!」と大変感激していた。
ごめん、多分それ、お腹いっぱいなだけです。




