148 孤児 3
雪が降る真っ暗な街中を、商業ギルドに向かって走る。
雪片が灯りを遮り、足元を頼りなく照らす。
少年には毛皮を掛けて、懐炉を胸に挟んで、少しでも彼が温まる様にした。
暗闇の中、看板の上に吊るされたランタンが目に入る。
「物件を買わせて下さい!」
扉にぶつかる様にして中に入った俺は、ギルド中の視線を集める事になった。
だが今はそんなことを気にしていられない。
少年に積もった雪を払いながら用件を伝える。
時間が時間なので、スムーズにカウンターに通された。
俺達がアルスフィアットで拠点を探していた時に紹介してもらった空き家。
もう借り手が付いたか訊くと、まだ空いていた。
それだけ確認できたら問題は無い。
現金を取り出し、カウンターに叩き付ける様にして置いた。
「売値より高く買います。なので今すぐその家の鍵を下さい」
確か、あの家は小金貨三枚だったはずだ。
倍の六枚あれば文句は出ないだろう。
案の定、商業ギルドスタッフはテキパキと書類を処理してくれ、俺は幾つかのサインをして、購入は終了した。
金払いの良さにカモだと思われたのか、「何か困ったことがあればすぐにご相談下さい」と笑顔で言われた。
それに笑顔を返せる心の余裕は無く、俺は無言で頷いただけだった。
鍵と書類を渡されて、【アイテムボックス】にそれを収めた俺は、すぐに商業ギルドを飛び出す。
途中、積り出した雪に何度も足を取られて転んだ。
その度に子供にヒールを掛け、立ち上がっては走る。
居住区域の外壁近くにその建物はあった。
造りはしっかりしているが、拠点には部屋数と広さが圧倒的に足りなかった為、断念した物件なので良く覚えている。
一般的な一軒家だと見ればなかなかの大きさの物件だ。
そこそこの大きさの庭と小さな畑まで付いている。
鍵を開けて中に入ると、埃とカビの匂いが鼻に付いた。
宿を利用する時と、出る時に使うクリーン魔法で建物の中を全て綺麗にした。
長らく放置されていたのだろう。
家具はどれもこれもぼろぼろで、こべりつく様な冷気と淀んだ空気が漂っていた。
外と室内の温度がほとんど変わらないので、風魔法で雑に空気を入れ替えてからドアを閉める。
真っ暗な部屋を慎重に歩き、あるドアの前で足を止めた。
ーーーギィィィッ
観音開きのドアを押し開けると、錆びて動きの悪くなった蝶番が悲鳴を上げる。
中に入れば、大きな暖炉を中心に掠れて破れた絨毯と、板に布を張っただけのぼろぼろのソファーが置かれていた。
ぼろぼろのソファーの上に少年を下ろし、暖炉に薪を積み上げ、魔法で火を入れる。
少し荒んだ心で火をつけたせいで、ぼふんっと酷い音がして煤が舞う。
黒い煙が顔に掛かり、煙たい。
でも、それよりも心の中の方が煤けている。
(あのオーランドがあんな事を言うなんて……)
チロチロと燃え上がり始めた暖炉の火を見ながらオーランドの言葉を思い返す。
それだけで頭にカーッと血が集まる気がして、無茶苦茶に暴れたい衝動が襲ってきた。
その衝動を歯を食いしばって、堪える。
強く食いしばり過ぎて、奥歯がめきっと嫌な音を立てた。
やっぱり、全然納得できない。
「う……ここ、は?」
後ろで小さな声がして、慌てて振り返る。
少年が頭を抑えながら上半身を起こしていた。
顔色はまだあまり良く無い。
意識的に表情を抑えて声を掛ける。
「気が付いた?」
「!」
出来るだけ静かに穏やかに声を掛けてみたが、俺の声にビクリと肩を跳ねさせて、辺りを見回す。
真っ暗な部屋に暖炉だけが明々と燃えている。
暖炉を背に自分を見る 知らない男に気付き、警戒を強める少年。
油断なく俺を見ながら、部屋を観察している。
もしかしたら逃げる経路でも探しているのかもしれない。
「さっきまで何があったか覚えているかい?」
「……盗んでバレて殴られた」
どうやら意識はハッキリしているようだ。
俺の質問に答えると苦い顔で俯き、自分の上に掛けられた毛皮をギュッと握る。
そこで少し動きを止め、毛皮を見る。
何かに気付いた様子でゆっくりと顔を上げた。
「アンタは、あん時、助けてくれた、人……?」
そして自分の手足を見て、また俺を見る。
身動き出来ないほどに痛めつけられていたはずの身体は、傷一つ無く、痛みは消え去っている。
そこから導き出される答えに、彼は俺に飛びついた。
「い、いもうとが……!妹が病気なんだ!……助けて!どうか助けてっ!何でも、何でもやるからっ!」
暗い部屋の中、彼の話を聞いた俺はすぐに家を飛び出した。
雪が吹き荒び、建物に入って少しだけ上がっていた体温をみるみる奪って行く。
何度も転んで、膝も手のひらもお尻も痛いが、気にしていられない。
ズボンは溶けた雪を吸い込み冷たく重い。
指先は軋み、耳は既に感覚を失っている。
それでも俺と少年は必死で走った。
少年、テオには一つ年下の妹がいて、現在病を患っている。
ここ数週間まともな食事にも睡眠にもありつけず、とうとう雪が降り出してしまった。
なんとか妹の身体を温めて、少しでも何かを食べさせたかった彼は、捕まるのを覚悟で、妹を置いて、盗みに出たのだ。
つまり、この寒さの中、テオの妹は一人寒さと病と飢えに耐えている。
急いで保護しないと、死んでしまう!
正直、もう、間に合わないかもしれない。
「あそこ!」
テオが指差す先にはゴミの山があった。
野菜クズや汚物が混ざっていて、凄い臭気だ。
息をするのも辛い。
発酵しているのか、湯気が見える。
そのゴミの山の中、小さく丸まって埋まった少女がいた。
まだ息がある。
「良かった……っ」
「リーゼ!」
テオがずるりと少女を引き摺り出した。
ドロドロのベタベタで、あちこちにゴミが貼り付いていて酷い状態だ。
テオと同じ様に、まずはクリーン魔法で丸洗いして保護した。
新しく取り出した毛皮に彼女を包み、抱き上げる。
身体が火の玉の様に熱かった。
「キュア!ヒール!」
「……ぅっ」
とりあえず何も考えずにキュアとヒールをぶっ放し、テオにも毛皮を掛けてその場を離れた。
雪の降る真っ暗な街を駆け抜け、なんとか家に辿り着く。
温められた部屋に入り、少女、リーゼの状態を【鑑定】する。
結果は栄養失調に風邪、そして感染症。
風邪と感染症に関しては最初に掛けたキュアでだいぶ軽くなった様だ。
もう一度掛ければ対応できる範囲であったのですぐに魔法を掛ける。
しっかり温めて、栄養と水分をたっぷり摂り、ぐっすりと休めばきっとすぐに良くなるだろう。
そう告げるとテオはクタリと座り込んでわんわん泣き始めた。
緊張の糸が切れたのか、妹が死なずに済んだことに安堵したのか、他に理由があるのかは分からない。
小さく丸まって声のかぎりに泣いている。
暖炉の近くに野営用のマットと毛皮を敷き、リーゼを寝かせると毛布を掛けた。
泣き続けるテオの肩を抱き、そっと促してをリーゼの隣に座らせると、彼の肩にもずり落ちた毛皮を掛ける。
ぐすぐすと鼻を啜りながらも、素直に従って妹の頭を優しく撫でる。
ふ、と目を開けたリーゼは、焦点の合わない目で隣に居る兄を見、ぱちぱちと音を立てる暖炉を見て、少しだけ微笑んだ。
「ぁ……た、かぁぃ……」
蚊の鳴く様な声を溢し、再び目を閉じた。
もしや?!と慌てたが、すぐにすぅすぅと安らかな寝息が聞こえて、ほっと胸を撫で下ろした。
寄り添い合う兄妹を横目に、【アイテムボックス】から調理器具と食料を取り出した。
暖炉の火を使いながら吊り下げた鍋にパンと牛乳と蜂蜜を入れ、甘いパン粥を作る。
絶食が続いている時に急に固形物を食べると身体がショックを起こし、死んでしまうこともあるらしいと何かの本で読んだ。
どれくらいの期間でそうなるのかは知らないが、一日の絶食でも重湯からになるわけだから、作ったパン粥に更に牛乳を加えてとろりとした牛乳レベルにまで薄めた。
涎を垂らしてこちらを見ていたテオにスプーンと共に渡してやる。
「あんまり一気に食べたらお腹を壊しちゃうから少しずつな」
「〜っ、〜っ」
こくこくと勢いよく頷きながらパン粥を夢中で食べ始めたテオに安心した。
リーゼを揺すり起こし、少しずつ冷ましたパン粥を口に含ませる。
はじめはぼんやりとしていたリーゼだが、すぐに目を覚まして奪い取る様にして食べ始めた。
良かった、食欲はある様だ。
お玉にほんのひとすくいのパン粥はすぐに二人の腹に収まった。
うとうとし始める二人に布団を掛けて、俺も薄める前に避けておいたパン粥を食べる。
パン粥を食べつつ、暖炉の火が消えない様に薪を足していく。
暗い部屋に子供二人の寝息と、薪が燃える音だけが響く。
暖炉以外に灯りのない家はまるで穴蔵の様で、胸がギュッと締め付けられた。
今日は彼方の借家には戻りづらい。
もう一度薪を放り込むと、俺も二人の横にマットと毛皮を敷いて横になって寝た。
人生初の無断外泊だった。
いつも俺不運を読んでいただきありがとうございます。
いいね、感想、ブックマーク、評価、毎回励みにさせていただいています。
また、肋骨をご心配いただきました皆様、温かいお言葉、誠にありがとうございます。
未だ咳き込む度に痛みが響きますが、順調に回復しているそうです。
子供が辛い思いをする話は、書いていて胃がぐるぐるしますね。
お話の内容とは別ですが。
ヤツが……!ヤツがまた!湧いてきやがりました!根絶したはずなのに何故?!
ヤツのせいで精神が掻き乱されて、まともに先を書き進められません。
頭の中でまとめていた内容がパーンと飛び散り、集められません……。
もうやだー!




