145 手紙 10
「というわけで、早速帝都に向かうわよ!荷物をまとめておいでなさい」
「「「ええ?!」」」
だーーーっと愚痴を並べ立てていたクラーラ様。
その全ての話を、右から左へと聞き流していたら、唐突に爆弾を投下された。
ほら、エレオノーレさんも執事さんもメイドさんも驚きすぎて固まってるじゃないか。
レジーナが慌てて流石に冬の間の移動は危険だし、準備が整っていないので無理だと説得を始めた。
慌てすぎて言葉遣いが普段通りになっている。
再起動した執事さん達も慌てて止めている。
「お父様に『お父様がいなくてさみしいわ、すぐにでも会いたいの』って手紙を送ればすぐ許可をくれるわよ!お金だってなんだって用意してくれるに決まっているわ!」
まさに我儘令嬢そのままの発言である。
正直生で聞けるとは思っていなかった。
こんな状況ではあるが、少し感動してしまう。
とはいえ、いくらなんでも今の時期からの移動は本当に危険だ。
火も焚けない馬車の中で凍傷になりかねないし、彼女が満足する生活が維持出来るとも思えない。
俺はソファーから降り、クラーラ様の足元に膝をついた。
急に動き出した俺に、周りが言葉を止める。
「お手を失礼致します」と許可を取り両手を優しく握る。
「クラーラ様、言葉遣いが荒れる事をお許しください。いくら何でもこれからの移動は危険すぎます」
下から見上げる形で話し始めた。
この時、絶対に相手から目を離してはいけない。
その瞬間に、言葉の信用が崩れ去ってしまうからだ。
妹、弟達に言い聞かせてきた、兄の言いくるめ術が火を吹くぜ!
「一刻も早くレジーナの店を立ち上げたいと思ってくださっているのですよね?」
「ええ。だからこそ今から帝都に行けば春には店舗を完成させられるでしょう?」
まずは相手の気持ちを認めてやる事だ。
なんだったら褒めても良い。
「ありがとうございます。その気持ちはとても嬉しいです。クラーラ様はとてもお優しいのですね」
「……っ!」
褒めて微笑むと、クラーラ様は反射的に逃げ出す様に俺から距離を取ろうと身を引く。
しかし、そうは問屋が卸さない。
掴んでいた両手に力を込め、しっかり抑える。
この時も絶対に目を離してはいけない。
俺は、掴む力をほんの少しだけ緩めて、悲しい表情を作った。
「しかし、今から帝都に行けば、道中は寒く、長く、辛い旅になるでしょう。これからは雪も降って参ります。ですが、馬車の中では火を焚けません。炭火を利用するとしても、換気をせねば空気に毒が広がり死んでしまうでしょう。そこまでしても、馬車の中が快適な温度になる事はありません。指先は凍え、繊細なクラーラ様であればきっと体調を崩してしまうでしょう」
そして一つ一つ問題点を挙げていく。
それが、どれだけ自分に嫌な結果をもたらすか理解できる様に、丁寧に。
「移動中の食事は、料理長を連れて行ったとしても、すぐに日持ちのする硬いパンと冷たいスープになるでしょう。デザートなどは勿論出て来ません。途中で購入する事も出来ません。更に、道中の街の宿では宿泊を拒絶される事もあるでしょう。今の時期、食料は簡単には手に入りません。一冬分の食料を一つたりとて無駄に出来ないのです」
「そ、そうなのね」
クラーラ様の顔色が悪い。
周りの皆は口を閉ざしている。
どんな思惑があるかは知らないが、邪魔はされていないので良いだろう。
因みにこのタイミングで周りから余計な事を言われれば余計に意固地になってしまうだけなので本当に助かっている。
「現に、私達がこの街に来るときに出会ったハンター達はヒメッセルトで宿泊拒否を受けていました」
「まぁ……」
クラーラ様の瞳に同情の色が宿る。
多分、根は素直な子なのだろう。
ただ、貴族令嬢として甘やかされた結果我儘に見えるだけだと思う。
……思いたい。
「毎日毎日同じ味の冷たい食事、寒い空間で、暇を潰すものも無く、馬車に揺られ続けるのです。貴族の方の馬車はどうか知りませんが、お尻も内臓もかなりのダメージを受ける事でしょう」
「……」
言葉を失い、こちらをジトっと見返してくるクラーラ様。
かなり良心が痛むが、ここで手を緩めるわけにはいかない。
「こんなに苦しく辛い移動を乗り越えて帝都に向かってクラーラ様が手に入れるのは、疲労と苦痛と栄養不足に睡眠不足、そして肌荒れです。更にーー」
「まだ何かあるの?!」
「先日お話された、レジーナが作る春物のコートは手に入りません」
「!!」
おちた。
それはもうストンと容易く。
言い訳の理由を提示する事で、スムーズに前言を撤回しやすくしたのだ。
「コートが出来ないのは困るわ!じゃあ春までは我慢してあげます。その代わり、雪が溶けたらすぐに出発ですからね!」とすんなり引き下がり、帝都の物件の図面を用意して待つとまで言わしめた。
その代わり、冬の間は定期的にここに来て、店内のデザインや、商品について話し合う事を約束させられた。
暇なんだな?
話し相手くらい良いよ、別に。
間が保たなくなったら、紙芝居でもすれば暇は潰れるでしょ。
まぁ、ぶっちゃけ、さっき挙げた問題点のほとんどは俺がいれば解決出来るものばかりではあったが、それは内緒である。
なんとか無事、事を収めて部屋を出る。
先程とは違い、執事さんが案内してくれた。
「先程はお嬢様を宥めてくださってありがとうございます。ああなってしまうとこちらの話を聞いてはくださらなくなるので本当に助かりました」
「いえいえ、アレくらいどうってことはありません。弟妹の癇癪に比べれば言葉が通じる分、言いくる……ゴホン。ご、ご理解いただく事が出来ますので」
部屋から充分に離れて、周りの目がない場所で頭を下げられた。
お嬢様に日々振り回されているんだろうな。
お疲れ様でございます。
うっかり“言いくるめる”と言いそうになったけれど、苦笑いで流してくれたよ。
ありがとうございます。
あ、冬の間に我慢できないやっぱり行く!と言われない様にコタツをプレゼンしておこう。
俺にお貴族様に通用するコタツは用意できないけど、仕組みさえ教えとけばお抱え技師に依頼してくれるでしょ。
「執事さんちょっと今お時間よろしいでしょうか?」
「ええ、構いません。いかがされましたか?」
「冬の間クラーラ様が動きたくなくなるアイテムがあるのですが、一度見ていただいてよろしいでしょうか?」
その言葉に頷き、メイドさんを呼びとめ、部屋を用意してくれた。
先程の部屋よりもこぢんまりとしているが、キチンと客を受け入れる部屋に見える。
恐らく、来訪者の身分に合わせた部屋なんだろう。
とはいえ、それでも学校の教室程度の広さはある。
多分、身分別だと考えると、俺たちはかなり良い部屋に入れてもらっていたんだな、と思う。
中央に置かれたテーブルとソファーをジャックに避けてもらい、コタツ用の椅子とテーブルを取り出す。
火鉢を中にセットして設置完了である。
すぐには温まらないが、執事さんに椅子にかけてもらって、説明をする。
「これは私の国にあったコタツというものです。今はまだ温まっておりませんが、次第に程良い温かさになってきます」
「なるほど」
「寒ければ寒いほど効果は絶大です」
説明をしながらこっそり魔法でコタツ内の温度を上げる。
普段はもっとゆっくり温まるので、お嬢様が使う前に事前準備が必要だ。
じんわりと温まってくるコタツに執事さんの顔が綻ぶ。
「ほうほうほう。これは何とも心地よい……」
「例えばこの環境で、外に買い出しに出なくてはならないとなった場合どう思われますか?」
膝の痛みが引いていく、と喜んでいる執事さんに質問すると、きょとんとした後、とても嫌そうな顔になり、納得の表情に変化する。
俺の言いたい事がわかった様だ。
「素晴らしい!これはどちらで購入できるのでしょうか?」
「販売はしておりません。ただテーブルに布を掛けて天板を置いただけですし、椅子も足の部分に布を巻いただけですので。中の火鉢も普通の物です」
「なんと」
「私の手持ちでは貴族の方に相応しい物はご用意出来ませんが、設計図はお渡し出来ます。お抱えの家具職人さんにご依頼されては如何でしょうか?クラーラ様を抑える為だけであれば無料で利用していただいて構いません」
商人としてはあり得ない大盤振る舞いである。
執事さんも目を見開いていたが、ふと難しい顔になり「もう一つ無料使用権を足していただきたい」と言う。
「オマケで私が利用する分も作らせて下さい」
彼はニカっとお茶目な笑顔で交渉してきた。
あまりの答えにみんなで笑い合った。
答えは勿論イエスである。




