139 手紙 4
天幕に入り、ゴロリと横になる。
下に敷いているマットは分厚くて、地面の凹凸や底冷えに悩まされることもない。
その上に敷かれた毛皮は触り心地が良く、羽織る毛布は温かい。
背中が少しスカスカするが、腹に抱いた湯たんぽがじんわりと優しい温度を伝えてくるので、そこまで寒さは感じない。
目を瞑り、意識的にゆっくり深く呼吸をする。
普段ならば、眠れなくても身体を休める意識を持つと、身体がずぶずぶと沈んでいく様な感覚になってくるのだ。
なのに何故か今日はドキドキと動悸がして、睡魔が一向に訪れない。
原因に思いを馳せ、やっと気付いた。
「……そうか、ここら辺だったっけ」
ポツリと言葉が漏れる。
この辺りは、俺の初戦闘であるブラックウルフが襲い掛かって来た場所だ。
暗闇から迫る獣の荒い息、唸り声、飛び散る血、初めて奪った命……。
あの時の恐怖が身体に染み付いていたのだろう。
無意識のうちに緊張していた様だ。
違和感を感じて、己の手を見れば小さく震えていた。
「ハハ、あんだけ沢山オークを倒してもやっぱり怖いもんは怖いよね」
小さく声に出して自分の中の恐怖を認める。
チラリと探索魔法に目をやれば、青と白の点が固まって、辺りは小動物と思われる小さな白い点ばかりであった。
「見張りだって居る。大丈夫、今は、安全」
自分に言い聞かせる様に言って、毛布をもう一枚追加する。
くるくると巻いて、抱き枕の様に抱き抱えてまた、目を閉じた。
明方、自分の見張り番が終わった後、浅い眠りではあったが、一応少しは眠る事はできた。
特に何の襲撃もなく、朝がきたとだけ言添えておく。
「ふあぁぁぁ……ッ」
本日何度目かの欠伸が溢れる。
昨日はほとんど眠れなかったので、とにかく眠い。
今はとにかくあったかい布団にくるまって泥の様に
眠りたい。
本来、ヒメッセルトからは一日半程でアルスフィアットに到着する距離なのだが、寒さが酷く到着までに二日も掛かってしまった。
もしかしたら今日の夜には雪が降り出すかもしれない、と皆で先を急ぐ。
無事、昼前にアルスフィアットに到着。
この時期の旅人は珍しいらしく、止められてあれこれ聞かれてしまったが、どちらのパーティも元々この街で働いていたのですぐに解放された。
主にオーランドのおかげといえよう。
チラッと顔を出した門番の隊長さんに「おっ、ゲルトさーん。久しぶりー」と話しかけ、かるーく事情を話したら即許可が出た。
門番としてそれはどうなのかとも思ったが、助かった事に変わりはない。
オーランドにお礼を言うときょとんとされた。
久しぶりに見るあざとさだ。
やっぱりイケメン腹立つ(嫉妬)。
「では僕たちはここで」
「おう、またな」
ハンターギルドの前で、昨日会った少年達『絆』のメンバーと別れた。
同じ街で冬を越すのだからとあっさりとした別れだった。
無事に宿が決まると良いんだけどな。
万が一ダメだったらハンターギルドを通じて俺たちに連絡する様にこっそり耳打ちしておいた。
俺達はレジーナの元に急ぐ。
本当はマチルダさんに挨拶しておきたかったのだが、お貴族様が絡んでいるレジーナの方を優先した。
(話を聞いてそこまで急ぎで無ければ後からマチルダさんに挨拶をしに行こう)
そっと胸の内で決めると、『防具屋オリハルコン』裏手の、レジーナの家のドアをノックする。
「はぁい……どなたぁ……?」
ドアの向こうから気怠げなレジーナの声が響く。
ゆっくり開いたドアの向こうに居たのは、大きな丸眼鏡をかけて、ショートボブの赤い髪を彼方此方に跳ねさせている女の子だ。
胡乱げにこちらを見た明るい緑の瞳が俺達を捉えると、みるみるうちに潤んで溢れる。
「キリトーーーーーーーーーーッ!」
「っと、すみません。遅くなりました」
どかっとぶつかる様に抱きついてくるレジーナを受け止めつつ、謝る。
グリグリと胸に頭を押し付けながら泣き出すその姿に、とても切羽詰まっていたのだな、と申し訳ない気持ちになった。
すぐに中に案内され、お茶を出される。
一年くらい会っていない間に少し身長が伸びた様に感じる。
いやぁ、成長期だなぁ。
「ホントにずっと待ってたのよ?!返事も無いし、もしかしたら何かあったのかもって……し、心配してたんだからね!」
「えっと、なんか、ごめんなさい……」
軽食を用意してくれているレジーナは、泣いてしまった事で居心地が悪いのか、少しツンツンしている。
レジーナの背後に毛を逆立てた猫が見えた気がした。
やんのかステップ踏んでる気がする。
アレコレ言いながらも、惣菜パンの様なパンの中にたっぷりの具材が入ったパンを、オーブンで軽く温めてくれる。
切り分けられたそれは、日本の惣菜パンとは違い、薄めのパンの中にぎゅうぎゅうに具が詰まっていた。
温泉まんじゅうの餡子の部分くらいあるとイメージしてくれたらわかりやすいかもしれない。
肉まんよりもだいぶ具が多い。
思い切って齧り付くと、薄切りにされたいろんな種類のキノコと、玉ねぎ、そして豚肉の小間切れが入っていた。
餡というよりかは野菜炒めに近い。
何かのスパイスが効いていて、ピリッと独特の香りが癖になる程美味い。
出してもらった惣菜パンを皆でモクモク食べながらレジーナを見る。
もう冬なので、以前着ていたピタッとした黒いシャツは黒のタートルネックの長袖に変わっていて、パンツもポケットが沢山付いたカーゴパンツの様なガボっとした長ズボンになっていた。
革手袋はそのままだが、腰に下がっていた工具類は少しラインナップが変わっていた。
以前は見ただけで工具と分かる道具ばかりだったが、今は「それ、何に使うの?」というような不思議な形の物ばかりになっている。
更に、ウエストポーチの様な感じで、小さな箱がベルトに付いていた。
アレには見覚えがある。
ブリギッテがドレスなどの仮縫いする時に使っていた携帯用の裁縫箱だ。
以前はキチンと整えられていたショートボブの赤い髪はあちこち跳ねてぐしゃぐしゃだった。
服もよれていて、多分何日も着たままなのでは無いだろうか?
肌はカサつき、唇は白くヒビ割れている。
目の下にはくっきりとしたクマ。
間違いない。
典型的な睡眠不足である。
「とりあえずレジーナさんは一度休みましょう。店番は親父さんが居ればいいでしょう?一晩寝て、明日の朝詳しく教えて下さい」
「そうですよ。倒れてしまってからでは遅いです。晩御飯はわたし達に任せて、お風呂に入って来て下さい。人数が多いのでエレオノーレさんもお風呂は一緒にお願い出来ますか?」
「ええ、任せなさい。頭のてっぺんからつま先までピカピカにしてあげるわ」
まずは休ませないとヤバい、と提案したら、女性陣がそれに乗っかり、あれよあれよという間に俺までお風呂に連れて行かれてしまった。
勿論俺はお風呂の準備係で、クリーン魔法とお湯張りを命じられた。
魔法でサクッと掃除した後に、たっぷりのお湯を張り、ついでに途中の街で仕入れた香油を数滴垂らした。
カモミールとユーカリの間の様な甘くてスッとする優しい香りが浴室に広がった。
聞き齧った程度のアロマテラピー知識ではあるが、安眠やリラックスできる香りだったはずだ。
一時期妹がハマっていたからなんとなく匂いだけは分かる。
ラベンダーが良いみたいなんだけど、こっちではまだ見たことが無い。
気候的には咲いててもおかしく無いけど、何たって異世界だからな。
同じ植物がなくても仕方ない。
折角なので鏡も大きな物に付け替えておいた。
貴族のお風呂で使えるように考えて作った陶器の縁の鏡である。
とりあえず説明する為に作ったやつなので、模様も何もないとてもシンプルなやつだ。
「お嬢様、準備が整いましてございます」
「あら、ありがとう。もう行って良いわよ」
ふざけて執事ごっこをしてみると、ガチのお嬢様であったエレオノーレさんが、モノホンの対応を返して来た。
油断すると俺の前でレジーナをひん剥きそうだったので目を閉じたまま脱衣所から脱出する。
ドアが閉まった瞬間から「エレオノーレさんっ!自分で出来ますからッ」とレジーナの慌てた声が響いてきた。
俺、グッジョブ。
キッチンに戻ると、ジャックとデイジーが待ち構えていた。
「材料。オーク肉、にんじん、玉ねぎ、ジャガイモ、モロッコマッシュルーム、バター、小麦粉、牛乳、こんそめスープ」
ずいっと手を伸ばされてクリームシチューの材料を要求するジャック。
去年のクリスマスにうろ覚えで作ったクリームシチューをとても気に入ったらしく、寒くなったら鬼リピしている。
折角ならパイ生地を蓋にしてオーブンで焼いてクリームポットパイにしたいな……。
でもパイシートなんて売ってないからなぁ。
パイ生地ってどうやって作るの?
パンの生地にバターを挟んで伸ばして折り返して伸ばすんだっけ?
あれ?それはクロワッサンだっけ?
従姉妹に借りた太陽の手をもつパン職人の漫画にあった気がするけど覚えてないわ。
とりあえず今回は見送ろう。
シチューを煮込み終わる頃には、二人も上がって来ていて、レジーナは既にこっくりこっくり船を漕いでいた。
蜂蜜ゆず茶を出してもう少しだけ頑張って起きている様に言うと「あいー……」と半分寝ている声が返って来た。
親父さんも遅めな昼食の席に着いており、嬉しそうにシチューを頬張っていた。
「ほら、頑張って。あと少しよ」
「ぁぃ。あむ、むぐむぐ、ぐぅ……」
デイジーに支えられ、エレオノーレさんに食べさせてもらいながらほぼ寝ているレジーナが、何だか子供の様で大変に可愛らしい。
最終的には、反対側にいたデイジーにもたれ掛かって熟睡してしまった。
ジャックがひょいと横抱きに抱えて、彼女の部屋に連れて行く。
あまりにも手慣れた動きであった。
これはエレオノーレさん拠点で良くやってるな?
「安心したから一気に疲れが来たな、ありゃ」
「何があったんですか?」
ほっとした表情でレジーナを見送る親父さんに話を聞くと、「実はな……」と話し始める。
以前、グリーンフライフォックスの依頼をしてきたお貴族様のお嬢様がいたが、今回もまた、その人が原因らしい。
無事に納品出来て、お嬢様方の中で最高評価を得たレジーナ。
それに気を良くしたお嬢様は、レジーナに服屋を作らせる権利を与えたらしい。
これは“権利”とは名ばかりの「店を作れ」と言う命令だった。
俺がデザインした小物やミニトート等も、親父さん協力の下作成していたらしく、事の他気に入られて「早く店を立ち上げ次の新作を」と期待され、急かされているのだとか。
春物は間に合わない為、了承を得て夏物を作成したそうだ。
幾つかの小物と、従来のデザインに魔法素材で風を送るタイプで誤魔化したのだそうだ。
涼しく、軽やかなドレスで、知り合いの服飾店に全面協力をいただき、何とか仕上げる事ができた。
「もうその時点でかなり追い詰められててなぁ……。食も細くなって、ちょっと見てられなかった」
「なんか、すみません」
更に、秋物は冬物のデザインを素材を変えて誤魔化して乗り越えた。
その時に「目新しさが足りない」と文句を言われたそうだ。
しかも、そのお嬢様は今年から成人となるので特別な商品が欲しいと、また無理難題をふっかけている。
商品を絶え間なく注文しつつ、店はまだか?との催促まで来て、レジーナはあの状態になってしまった様だ。
「元々デザインなんかそんなに詳しい訳でも無かったからな。そこでだ、ハンターへの依頼では無いが、どうにかレジーナを助けてくれないか?金なら俺が出す」
「わかりました。原因は俺にもありますし、デザインくらいならお手伝いできます」
前回と違い、素材は大量に買い集めているそうだ。
明日レジーナが起きたらどうしたいのか話を聞こう。
まだ時間は夕方に入ったばかり。
眠いけど、やっぱりマチルダさんに一言挨拶に行って、ハンターギルドにも寄ってこよう。
ついでに『絆』がちゃんと宿に泊まれたか確認してみようかな。
泊まれてなければハンターギルドに泣きついているだろうし、一緒に宿に商売に行っても良いだろう。
出来たら空き家を借りれると良いんだけど。
いつも俺不運を読んでくださりありがとうございます。
いいね、ブックマーク、評価とても励みになります。
ありがとうございます!
これからも頑張ってまいります。
さて、現実の季節は初夏に入りましたが、物語は未だ初冬です!
しかも霧斗達の去年の冬は一話で終了しましたが、今年はとても長くなる見込みです。
季節感が狂っていて申し訳ないのですが、もうしばしアルマハルトの冬にお付き合い下さいますよう、伏してお願い申し上げます。




