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Vibrato  作者: 槇 慎一
7/16

7 パガニーニ24のカプリス


 パガニーニとは『悪魔に魂を売ってヴァイオリンの技法を身につけた』と言われた作曲家である。


 練習時間がなくてもこれ一冊弾けばよいとされる、パガニーニの24のカプリス。全曲弾いても約80分。ピアノのハノンの楽譜にも同じようなことが書いてある。そんなの無理に決まってるでしょ〜、と思っていたけれど、いつの間にか普通に日課となっていた。勿論、全部弾かない日もあったけれど、いつでもどこからでもまんべんなくそこそこ弾けるくらいにはなっていた。

 尤も、母親の言う「そこそこ」は、コンクールに入賞するレベルには届かなくても音大入試には通る程度のレベルであり、マヤの言う「そこそこ」は、プロになるわけじゃないしお母さんに文句を言われない程度のレベルのことである。



 





 かおりは、特に何の進展もないまま私達は高等部になった。

 学校でも、仲良しのメンバーも特に変わらなかった。幼稚部からの少人数一貫校で、たまたまこの学年には転入生も編入生もいなかった。皆仲がよくて、転出するお友達もいなかった。良く言えば落ち着いた環境。正直に言えば刺激の少ない毎日。


 それに輪をかけて煮えきらない『かおりの先生』の態度に、私は他人事ながらうずうずしていたが、かおりは黙々とピアノを頑張ることにしているみたいだった。いじらしくてたまらない。かおりってば、本当に可愛い。私が男だったら放っておかないのに。でも、未だに毎日レッスンしているなら「放っておいていない」ということなのだろうか?

 私も未だにお母さんに毎日練習をチェックされている。練習を全部聴かれないにしても、「では、どうぞ」と改めて真正面に座って姿勢を正して聴かれると、緊張感が増す。つまり、くやしいけどお母さんが聴いていなかったらそこまで真剣に弾いていないということ?やってるつもりだけど。

 かおりも、先生が毎日レッスンしてくれるらしいけど、先生が帰ってくるまで一人で練習するって、やっぱりすごい。そのシステムもすごいけど、普通じゃないよ。いろんな意味でプライスレスだよね?


 いずれにしても、ピアノも先生も好きで弾いているかおり、ヴァイオリンはキライじゃないけどお母さんにやらされている私、モチベーションは違って当然よね。


 ちょっとかおりは置いておこう。





 高等部になると、聖花女学院の学校行事のいくつかに、男子校との交流が加わる。都内のミッション系男子高校生が、先生方と生徒会長を筆頭に、私達の学校に制服でやって来るらしい。正門の守衛さんのところで検問ならぬ学生証と入退場の入念なチェックが行われるとか。非常にささやかな、しかし最大級に楽しみにしている行事だった。彼氏がいる、いないは関係なく、学院じゅうがピンク色に色めき立っていた。かおり以外は。


 聖花女学院は、世間一般的には「質素なお嬢様学校」と言われているみたいだけど、お嬢様ったって、こんな子もいますけどね……。そんなもんよ。


 実は、一番質素なお嬢様なのは、かおりなんじゃないかと私は思う。幼稚部からのつきあいだけど、かおりは汚い言葉を使わないし、はしたない振る舞いも見たことがないし、お金を使うところも見たことがなかった。自動販売機があるけれど、飲み物を買っているところを見たことがない。そもそもお財布を持ってきていない。


 皆、ある程度学校の近くに住んでいて、自家用車か電車かバスで通学するけれど、かおりはパパの会社の社宅住まいで徒歩通学とか!この都心の学校に徒歩で来られるなんてすごすぎる!パスケースもお財布も持っていないらしい。生活感がなく、買い物に行った話も聞かないし、私生活どうなってるのか、不思議で不思議でたまらない。家政婦さんやお手伝いさんもいないらしいし、給食以外は何を食べて生きているのか摩訶不思議!まさに『幼稚部のマリア』たる所以だった。


 高等部になって最初の交流会は、規模の小さなダンスパーティーだった。本当はプロムとでもいうのだろうか、規模の大きなダンスパーティーはまた別の機会にあるらしい。つまり、ソレの練習。特にドレスアップもしないし、「質素なお嬢様学校」だから双方制服。ドリンクや、ちょっとしたお菓子はある。私達も、あちらの男子校でもそれぞれの学校の授業でダンスを習い、男子校の皆様がこちらに来てくれる。ここで知り合って結婚するパターンも多くあると言う。というより、もともとそういうつもりでその学校に入れて、自然に出会ったように見せかけてるみたいな?何故か学校の先生が呼び出して、さりげ無くを装って引き合わせている。怪しすぎるでしょ、アレ。絶対に親が絡んでいるのだろう。まぁ、そういう学校。いいなぁ、年が近いって。

 

 思い出したくないけど、私の相手は結構年上らしい。実際に会ってみたらカッコイイとか、絶対にそんなことはあるはずがない。お母さんだったら、私が好きそうなタイプならとっくの昔に紹介してくれている筈。そうじゃないってことは、夢も希望もない。髪もないかもしれない……。だから私はこっそり、親には内緒の彼氏がいたりした。


 でも正直、今までのどの彼氏も、私より頭が悪いなと思う人ばかりだった。とても親に紹介できるような人ではなかった。もちろん、人間は頭の出来だけじゃない。それにしても、それにしてもよ?尊敬できるような人がいなかった。ちょっと遊ぶくらいならともかく、恋愛と結婚は別だなと思った。結婚相手は格好良くなくても仕方ないかと諦めの境地に……なるもんですか!

 私は化粧室でリップグロスを丁寧に塗り直した。



 あれ?浮足立った女子達とは反対方向に向かう女子がいる。かおり?

「かおり、ダンス行かないの?」

「うん。図書委員の日だから」


 そうですか。図書委員の当番ね。残念がるでも何でもなさそう。

 そう。男子も女子も、交流会は必修行事ではないのだ。ダンスの授業は真面目に受けていたのにな。動きが遅いから、いちいちズレていて、本人真剣なだけにちょっと笑いそうになっちゃったけど。『幼稚部のマリア』だから仕方ないか。


 あまりのダンスの勘の悪さに、

「幼稚部の頃、体操が上手だったじゃない?」

と聞いてみたら、あれはパパが毎朝一緒に練習してくれたからで、パパは、体操は知っているけどダンスは知らないって言うし、そもそも覚えて帰ることができないと言う。メモすることもできない。それでもいろいろ工夫して頑張ってみたけど、一人で練習するのは難しかったと。合っているのか間違えているのかもわからないと。納得。そう、何にでも一生懸命なかおりが可愛かった。ううん、そこまでしても普通に踊れないかおりが可哀想になった。それだけ聞いても、相当な時間を費やしたのは明らかでしょ。




 ダンスパーティーは、それなりに盛況だった。普段、女の子しかいない学院なのに、男女二人のペアとか、二人ずつのペアとかで行動する風景に感動した。中等部は別の校舎だったし、私は高等部一年生で初めてだから、初めて見るその光景に、夢見心地だった。品なくイチャイチャするような人は皆無だし、肩に頬を寄せて踊る先輩、パートナーと密着して踊る二人の影、なぜか汗の感じまでこちらに伝わってきそうなカップルもいる!私達はもちろん、男子たちも楽しそう!


 私は気づいた。合コンで知り合う男の子より、こっちの方が全体的なレベルが数段高い!!!私は親のコネだとか、階級だとか、日頃から斜に構えていたものが、ちょっと嫌だなと思う反面、案外貴重な物で、その価値観に自分も染まっていることを自覚した。尊敬できないような男は中身がない、内容がない、希望もない。


 そんな時、どこからかふっと男子の声が聞こえた。

 私の耳アンテナは広い。


「パンフの子、図書室にいたってよ!」

「マジ?本物?」

「多分、てか絶対にそうじゃないかって」


 かおりのことだ!

 私は話していた相手に適当なことを言って切り上げ、図書室に走った。近道を駆け抜けた。

 


 図書室に着いてみると、二人で貸し出し受付をしている、かおりの列だけに男子の行列が出来ていた。かおりの処理は見るからに遅かった。交流会に来る、他校生の貸し出しのマニュアルを見ながらしているからだ。そうでなくても遅いのに!まぁ、一番の原因は、男子が自己紹介をしたり連絡先の紙を渡したりしているからだ。かおりは下を向いて顔をあげないから、男子も困っている。適当にかわすなんて、かおりには無理か……。


 先生!かおりをちゃんとつかまえておかないと!

 私は声にならない声で、先生の学校の方向に向かって叫んだ。先生の学校は何処だか知らないけど。


 かおりは明らかに男子に慣れていないし、顔も見なかったし、彼等だって連絡先を渡したところで、かおりがコレでは誰がどれだかわからない。奥手な男子もそうでない男子も納得いかない筈だ。しかし、そんな様子までたまらないのか何なのか、彼等は帰ろうとしなかった。


 私はリアルで叫んだ。

「前の方から順番にこちらの列にもお並びください。閉館時刻は17時になります。本当〜に本を借りたい方は、こちらの列にお並びください」


 誰も列を動かなかった。笑える。私は小さい声でかおりに言った。

「本の貸し出し手続きをしてほしい人はいないみたいよ。私が後で先生に事情を説明するから、一緒に帰ろう?」


 かおりはこくこくと頷いて、もらった連絡先の紙の数々をそこに置いたまま、下を向いて準備室に隠れるように走った。かおりが走った!!!!


 いつも静かな図書室は、あ〜!なんだよー!みたいな男の声で溢れた。流石の私も、それは恐ろしくてゾゾゾゾゾーっと鳥肌が立った。コワっ!キモっ!


 かおり、モテモテだな。


 私は、こんな学校絡みでなくても、合コンでもなんでもチャンスは自分でつくれる。かおりを守らなければ。高等部専用の通用門から外に出て、かおりの後ろ姿を見送った。


 先生、感謝してよね……。

 かおりは言わないだろうなぁ。私だったら、今日こんなことがあって、どうしよう……って、あざとかわいく持っていくのに。まぁ、そんなキャラじゃないにしても。 


 かおりはそんなこと、しない。絶対にしない。むしろ、してみてほしい。先生はどんな反応をするのだろう。

 

 それからというもの、無遅刻無欠席で皆勤のかおりは、学校行事には参加しても、自由参加の交流会には一切参加しなかった。そもそもあの日だって、かおりは参加していた訳じゃなかった。

 図書委員の日と重なることがわかると、先生に相談して、予め別の日と替えてもらったりしていた。かおりは学習能力が高い。ちゃんと覚えて、ちゃんと考えていた。見直した。


 先生に一途なのが、痛いほどわかる。

 かおりの恋が実らなかったら、どうなるんだろう。


 私は、自分のことよりかおりが心配だった。

 そんな時は、カプリスもうまく弾けなかった。指が、素早く動かなかったし、弓は滑るし、ぼやけた音がした。心がしっかりしていないと、持っているはずの技術がついてこなかった。


 「ヴァイオリンの技術を磨き、ヴァイオリンの技術を磨くことで心を磨いてゆくのです」

と言ったお母さんの言葉を思い出した。









 








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