3 セヴシックとシュラディックの毎日
お母さんがヴァイオリンの先生だと、「普通の子が、毎週レッスンに行って、よく出来たら合格になる」というサイクルが毎日となる。当然マヤはわかっていないが、普通の子供がお稽古で進むスピードとは、質も量も全く違った。練習量が違う。指導者イコール保護者の意識も違う。仕上がりの完成度も高い。そのため、こんなに小さくても技術の習得に悩む段階になっていた。
音階一つとっても、弓の元から先まで使って弾く「全弓」、元から半分の「元半」、弓の先から半の「先半」、弓の真ん中だけで弾く「中弓」。弓を下げながら弾く「ダウン・ボウ」、弓を上げながら弾く「アップ・ボウ」。アップは息を吸うように、ダウンは息を吐くように演奏する。
一つの音符を演奏するのに、それ以外にもスタッカート、マルテラート、ジュテ、スピッカート、サルタンド、いろいろある。その違いを言葉で説明できなくても、マヤは母親から毎日根気よく、音で弾き方を教えられていた。耳が良く、器用で勝ち気なマヤは、瞬時にコツをつかみ、練習を早く終わらせるために効率よく母親を攻略していた。
母親は母親で、マヤの様子を見ながら練習時間内に最高の成果を上げるよう、日々計画を組み立て、練習時間内でも微調整していた。ある程度出来るようになると、自らやりたくなるような仕掛けづくりに余念がなかった。どんなにマヤが利発な子供であっても、常に母親の方がうわてだった。
つかれた…………。
マヤは口にこそ出さないが、そう思っていた。
いつもなら「我慢して続けるのです」というお母さんのお小言になる筈だったが、今日は違う言葉が出てきた。
「あなたのお友達のかおりちゃん?あの子はピアノを弾くのですってね。相当弾けるらしいわ。ヴァイオリンでいうと、……このあたりかしら?」
お母さんは、そう言って今開いているページの次の次のページをちらりと見た。まるで独り言みたいに。
「え?かおりちゃん、ピアノ弾けるの?」
「えぇ。かおりちゃんのお母様はあたくしと同じ大学のピアノの先生でね、今日会った時にお話してくださったのよ」
私は疲れを忘れてびっくりした。
「お母さん、私もう少ししたらまた練習する。一人でやるから。終わったら呼ぶ」
勝手に口がそう言った。お母さんはにっこり笑って「いいわよ」と言って部屋から出ていった。
今、かおりちゃんも練習しているのかも。そう思ったら嬉しくなった。さっきお母さんが示したページまで、一人で頑張ってみた。できないことはなかった。一人でもできたことに、自分で驚いた。
次の日。
私はかおりちゃんが来てからすぐに聞いてみた。
「かおりちゃん、おはよう!ね、ピアノ習ってるの?」
「あやちゃん、おはよう。……ならってるの?」
言葉がわからないみたいだ。
「ピアノひけるの?」
「いつもきいてる」
「きくだけ?ひいてる?」
「きいてる。ひいてる」
両方とも、しっかりした言葉だった。これは意味もわかって言ってる。私にはわかる。
「ね、ここで弾く真似して?こうやって」
私は机の上でピアノを弾く真似をしてみた。かおりちゃんはすぐにわかったみたいだった。歌いながら両手で手を動かした。
「ソシレソラファソッソッソッ、ソシレソラファソッソッソッ」
ものすごく驚いた。音は出ていないのに、まるで指先が歌っているみたいだったから。その曲は知っていた。バッハのメヌエットだった。かおりちゃんの声は綺麗で「こう歌いたい」という気持ちが、とってもよく伝わってきた。お母さんがいつも言う「歌心」がある!
私はそれからヴァイオリンの練習をもっと頑張るようになった。ヴァイオリニストになるつもりはないけど、かおりちゃんが頑張っている音楽を、私も頑張ろうと思った。まるで『おそろい』みたい。一人っ子の私は、お出かけした時によく見かける、姉妹で同じお洋服を着ている子がうらやましかった。
そうして、それからもたまにくじけそうになると、お母さんが私の譜面台の近くにやってきてこう言った。
「あたくし、今日かおりちゃんのお母様にお会いしたのだけれど、かおりちゃんはヴァイオリンでいうと、このあたりを弾いているらしいわ。ちょっと難しいって言ってらしたわ」
そう言ってまた2〜3ページ先をちらりと見た。
「少し休憩したら、またやる。一人でやる」
お母さんはにっこり笑って部屋から出ていった。
だんだん大きくなるにつれ、かおりちゃんはお話が上手になった。おとなしくて、声も小さくてゆっくりだけど、私達は仲良しだった。
そのうちに、かおりちゃんがいつも私より少し先を進んでいるというのは、お母さんのお芝居なのだということがわかった。ひっかかった私も私だけど、もうそんなことはどうでもよかった。
それから、かおりちゃんのピアノの先生はお母様ではなく「しんちゃん」だということがわかった。かおりちゃんの話ではわからなかったけれど。
かおりちゃんのお母様は病気で、入学式に来たのはお父様。かおりちゃんのお父様、お母様と仲良しのご夫婦が、かおりちゃんのご両親の代わりに運動会に来てくれて、その息子さんが「しんちゃん」なのだということも。
「しんちゃん」のお母様が「槇先生」という、私のお母さんと同じ大学のピアノの先生なのだと。
かおりちゃんは「しんちゃん」のご両親のことを「お父さん、お母さん」と呼び、自分の本当の両親のことを「パパ、ママ」と呼んでいるのだそう。
やっとわかった。
かおりちゃんは、ちゃんとわかって使い分けていた。
いつかかおりちゃんのピアノを聴いてみたいと思いつつ、その機会はなかった。かおりちゃんは普通の行動がとても遅かったから。でも、かおりちゃんが自分と同じようにピアノの練習をしているという事実だけで嬉しかった。
あれからまた教室の机上でピアノを弾いてもらおうとしたら、アウフタクトらしい鋭い息づかいの次の瞬間、あっという間に指が躍りだし、机から指が落ちた。幼稚部の机の幅は、ピアノの鍵盤よりずっと狭い。それは、すごく先に進んでいるのだと、私にもわかった。そして、明るくて華やかな曲を弾いたのだろうということも。
何かと行動の速い私は、何もかもゆっくりなかおりちゃんに、初めて負けたと思わされた。でも、私は悔しくなかった。あの時の歌声が忘れられなくて、あの時以上にかおりちゃんが大好きだった。
練習曲とエチュードを頑張りつつ、セブシックとシュラディックを注意深く練習するようになった。ピアノとヴァイオリンは全く違う。その場所を押せばその音が鳴るピアノ。その音を出すために、その場所を探さなければならないヴァイオリン。明るい曲と暗い曲では、ドミソと順番に弾いても同じ『ミ』ではない。暗い曲で、ドレミファソと弾く時、ドレミファソの『ミ』は、ソファミレドの『ミ』ではない。同じ明るい曲のドミソの『ソ』は、ソドミと弾く時の『ソ』とも違う。
いかなる音も、前後の音程も、一小節のフレーズも、ヴァイオリンの美しい音程を自分で聴いてつくりだすのだと、自分なりに自覚した。