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Vibrato  作者: 槇 慎一
2/16

2 カイザーの練習曲の次はなんだろう?

 

 2月生まれのマヤは、ばら組で、最後から二人目という番号だった。各学年二クラスずつ、高等部までそのまま持ち上がる。聖花女学院は私立の一貫校で、マリア像のある、質素なお嬢様学校として有名だった。



 

「マヤ、聞きなさい。例えばね、お友達が10人いたら、走るのが一番速いお友達もいるでしょう。絵が一番上手なお友達もいるでしょう。あなたは一番おりこうさんかもしれません。でも、他の9人のお友達がおバカさんなのではありません。この幼稚部に入りたくても入れなかったお友達がたくさんいるのです。おりこうさんばかり集まっているのです。決してそれを忘れないようにね」


 お母さんは、そんなふうにいつもうるさかった。

 周りのお母さんを見ると、私のお母さんより若いんだなと思った。周りのお母さん達は優しそうだった。年をとるとうるさくなるのかもしれない。


 何日か通ったから、もうわかってる。先生の言うことを聞いてパッとできる子もいるし、できない子もいる。聞いていない子もいる。私は行動が早い。後ろの席のかおりちゃんは、とってもいい子で先生のお話をよく聞いているけれど、行動がおそかった。あまりにもおそい時だけ、ちょっと手伝ってあげている。

「あやちゃん、ありがとう」

 私は「あやちゃん」じゃなくて「マヤちゃん」だけど。かおりちゃんは話すのもゆっくりだし、小さい声だった。でも、にこっとしてかわいかった。かおりちゃんは私より背が高いけど、妹みたいだった。


 それにしても。

 私の生活は、幼稚部に出かける前に音階を一時間、帰ってきてからエチュードを三時間、夜に曲を二時間がお約束だった。

「初等部に行ったら少なくなりますからね。こんなに練習するのは今だけよ、今だけ」

 数字も時間もわかる私は、幼稚部に入る前はもっと練習していたから、幼稚部に行く時間ができた分、練習時間が減るのだとわかった。初等部、中等部と、だんだん少なくなるんだ!私は俄然楽しみになって、脱いだ制服を衣紋掛けにかけた。




 聖花女学院幼稚部は、夏になる少し前に、運動会がある。毎日毎日、午前中は運動会のための練習をした。ヴァイオリンよりも簡単なことばかりだった。午後は今までと同じように自由に遊べた。


 運動会の日は、お母さんと家政婦さんが来てくれた。お父さんはいつもと同じように、朝早く運転手さんとどこかに行った。


 一番最初は、体操だった。幼稚部の女の子全員が並んだ。ばら組の赤い帽子を被ったかおりちゃんが壇上に立った。いろいろゆっくりなかおりちゃんは、毎日お家でお父さんと体操を練習していると言っていた。手がまっすぐにのびていて、年長さんのお友達よりも綺麗な体操だった。かおりちゃんは、ピアノの伴奏の音に合わせて、指先まで美しい、本当に綺麗な体操だった。


 かおりちゃんは、3月生まれだから年少さんの中でも一番小さいのよってシスター先生にいつもいつも聞かされていた。私より背が高いし、私と一ヶ月しか変わらないじゃないの!と思ったけれど、そのゆっくり具合はとても一ヶ月の差とは思えなかった。


 年少組は、ばら組とすみれ組の2クラス。年少組の先生は五人いて、そのうちの一人の先生は、いつもかおりちゃんの近くにいて、何かと面倒を見ていた。かおりちゃんはおとなしくて、だれかをいじめたり、迷惑をかけたりする子じゃなかった。ちゃんと先生の言うことを聞くし、お友達とも仲良くできる。ただ、何だかちょっと遅かったり、うまくいかなくて一人で何とかしようとして失敗して、そのためにすごく遅れたりしているみたいだった。かおりちゃんの近くにいる先生は、かおりちゃんのことを見守って、かおりちゃんがどうしてもできないことを手伝ってあげて、皆が次に何をしているかを教えてあげていた。


 二人組で何かする時は、私と一緒だった。私はかおりちゃんが大好きだったから、いつも一緒に行動していた。かおりちゃんはいつもにこにこしていた。

「あやちゃん、ありがとう」

 マヤだけど。かおりちゃんは、その一つ一つにいちいち止まって私にお礼を言うから、そのためにまた遅れたりしていた。歩きながら言えばいいのに。まだ上手にお話できないのかもしれない。でも、かおりちゃんと一緒にいて嫌な気持ちになることは一度もなかった。


 お昼の時間は、家族でお弁当を食べることになっていた。お母さんが、ばら組の列にいる私を迎えに来た。かおりちゃんのお母さんは、私のお母さんと知り合いみたいだった。もしかして、音楽家?


 かおりちゃんが、私の手をひいて、かおりちゃんのお父さんとお兄ちゃんのいるところに連れて行ってくれた。紹介してくれるのかな。私は聞いてみた。


「かおりちゃんのおにいちゃん?」 

「ううん、しんちゃん」

「かおりちゃんのおにいちゃんじゃないの?」

「うん。しんちゃん」


 かおりちゃんは「お兄ちゃん」という言葉を知らないのかもしれない。だから私は、「しんちゃん」と言う名前のお兄ちゃんなのだと思った。


 私は、いつものようにきちんと気をつけと礼をしてお兄ちゃんとお父さんに挨拶をした。

「こんにちは」

「こんにちは。かおちゃんのお手伝いをしてくれてありがとう」

 お兄ちゃんは私にお礼を言った。

「どういたしまして。かおりちゃんはおともだちですから」

 お兄ちゃんもお父さんも、何か驚いていたみたいだった。何だかわからないけど。おうちでは「かおちゃん」「しんちゃん」と呼んでいるんだなと思った。


 お母さんとかおりちゃんのお母さんは、「じゃあ、また」「えぇ、また」と言って別れた。


 お母さんが、家政婦さんに話していた。

「大学の先生がいらっしゃったの。ピアノ演奏科とソルフェージュ科の講師でね。お嬢様いらっしゃったの知らなくて、驚きましたわ。入学式の日はお父様だけだったから…………」


 私はお弁当を早く食べて、かおりちゃんを迎えに行った。

「かおりちゃん、たべおわった?」

「あやちゃん、メロンたべた」

「お父さんとお母さんとしんちゃんに、いってきますっていって?」

「いってきますって」

 その「て」は、いらないんだけどね……。私はかおりちゃんの手をつないで、ばら組の列に並んだ。


 年少組の徒競走が始まった。徒競走は背の順だった。私は一番最初だったからすぐに終わって、ゴールしたところからかおりちゃんを見ていた。かおりちゃんは年少組の中で一番背が高かったから、かおりちゃんは最後の列だった。

「位置について。よーい、ドン!」の合図は笛だった。かおりちゃんは、勢いよく鳴らされる笛の音が怖いみたいで、目をつぶって両手で耳をふさいで、隣にいてくれる先生に抱えられていた。笛だからこわくないのに。私も一緒にいてあげたかった。私の背がもっと高かったらよかったのに。


 徒競走は最後の列、……かおりちゃんの番になった。かおりちゃんは、耳をふさいで先生に抱えられていたままだった。走る準備をしないと、遅れちゃうよ!


「位置について。よーい、ドン!」

 笛が鳴った。かおりちゃん以外の女の子は走り出した。あぁ、やっぱり。かおりちゃんを抱えていた先生は、

「もう、笛は鳴らないから向こうに走って?」

と言ったのだろう。かおりちゃんは頷いて、ようやく自分で前を向いて走りだした。よし!こっちに来る!

「かおりちゃん!こっち!走って!」

 私はかおりちゃんに見えるように手を振って、大きな声でかおりちゃんを呼んだ。他のお友達も、皆で手を振ってかおりちゃんを呼んだ。かおりちゃんは、走るのは遅かったけれど、一生懸命走ってゴールした。一位の列に並んでいた私のところにきて、また、

「あやちゃん、ありがとう」

と言った。かおりちゃん、がんばったね!


 年少組はそれでおしまいで、後は見るだけ。年中組と年長組のダンスが始まった。小さな椅子が並べられていて、背の順のまま椅子に座った。ダンスはとても工夫を凝らした演目だった。楽しそうで、見ていてわくわくした。来年の運動会は、私もかおりちゃんと手をつないで一緒にダンスをするんだ!私は楽しみだった。


 このダンスの曲は、今練習しているカイザーのエチュードに似てる。来年には、36曲あるカイザーの練習曲は終わっているはず。今度はどんな曲なんだろう?私は、そんな風に新しい曲が楽しみになった。


 ただただにこにこしている、かおりちゃんのことが、かわいくて大好きだった。


 そんなかおりちゃんがますます気になるようになったのは、それから後のことだった。


 

















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