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ー第五話ー 浜辺のなごり雪 海風に舞う桜

 天井の木目が、うっすらっと目に入った。


 都会からの引っ越しで持ち込んだ、いつものベッドの上だった。


 母の実家である幸田の家に引っ越して来て、何日だっただろうか。

 

 1階にある晩年の祖母が過ごした部屋が、孝介の部屋になっていた。

 家の角位置にあり、外側に向けて開かれた縁側から、日中ずっと光が差し込んでいた。

 半寝たきりの祖母の友人達が、よく遊びに来ていた。

 祖母が病気になり半寝たきりになったのは、孝介が高校の終わりの時期で、この病弱の頃の祖母には年1回程度しかあってない。大学の間までは、毎年顔を出していたが、社会人になってからは寄る機会が少なくなり、この数年前に、亡くなった。


 現在の亡き祖母のスペースは、更に家の中にある仏間である。

 

 部屋は東から南へと縁側が開かれており、朝は勢いの良い陽光が差し込む。

 目覚まし時計が要らない。

 要は明るすぎて寝れない。


 少し離れた居間から、物音が聞こえた。

 どうやら、もう祖父の英吉は起きてるらしい。


 孝介は、ゆっくりと体をベッドから降ろして、居間へと歩いて行った。


 『をん、孝介、もう起きとぉったんかい』(うん?孝介、もう起きてきたのか)

 『じぃじゃ、明るぅて寝とられんわ』(じいちゃん、明るくて寝てられなかった)


 居間に入った孝介は、部屋の真ん中にある座卓に行き、あぐらをかいて座った。

 隣の台所から、祖父の英吉は、パンと野菜の乗ったプレート皿とコーヒーを、座卓の孝介のいる前に置いた。


 『明るすぎんなぁ。奥かぁ、ばぁばが使う(つこう)とった衝立持ってきたんぞ』

 (明るすぎるのか。家の奥からばあちゃんが使ってた衝立持ってくるぞ)


 祖父の英吉は、孝介の斜め隣に腰を降ろした。


 『お願ぁいすっわ。こっから陽、登らん早なっし。ちゃんと寝取られんくなる。』

 (お願いするわ。これから太陽が登る時間が早くなるから。ちゃんと寝られなくなる)


 孝介は、祖父の英吉が持ってきてくれたパンを口に咥えた。


 毎食のご飯は、祖父の英吉が作ってくれる。

 祖父の英吉は会社員をしていたが、退職後間際から、船を買って漁業をし始めた。

 祖父の英吉は元々この漁村の生まれ育ちであるが、会社員生活をしていた時は、海外含め単身赴任が多かった為、あまり家にはいなかった。

 孝介が幸田家にいた時期に定年退職をして、それからは年金と漁業の両方からの収入で生活している。

 

 孝介が幸田家にいた時期は、祖母と祖父の英吉が一緒に台所に立っていた。

 後ろからいつも眺めていて、なんか仲いいなぁ、とずっと思ってた。


 祖父の英吉は、空になった皿とコーヒーカップを片付けようと、手を伸ばした。

 『じぃじゃ、天気良いみたいやし、ちょっと外出てくぅわ』

 (じいちゃん、天気良いみたいだから、ちょっと散歩してくるわ)

 『体、たいそぉないんけ?』(体は、しんどくないのか?)

 『なぁん、問題ない。まあ、すぐ戻ってくっし』(なにも問題ない。まあ、すぐに戻ってくるから)

 祖父の英吉は、皿とカップを手に立ち上がった。

 『海ん行くんやったら、もうちょっと、あとにしたらんか。まだ漁の片付けしとっ最中やから』

 (海に行くのなら、もうちょっと、後にしたらいい。まだ漁の片付けしてる最中だから)

 『あぉん、わーた』(うん、わかった)


 孝介は、そのまま体を横に倒しつきっぱなしのテレビを眺めた。


 基本的に、今の孝介は、一度体を倒してしまうと起き上がりにくくなる。

 まだギリギリ生活を出来る体力が残っているが、言い知れぬだるさが体の動きを邪魔し続けてる。


 祖父の英吉が用事で外へ出かけ、気がつけばお昼直前ぐらいになった。

 室内も外もやや暖かくなり、孝介は起き上がれる気がした。

 グッぅっと体を起こすと、壁伝いに玄関から外に出た。


 季節は、冬から春に差し掛かるときだった。

 関東や関西ではすでに春の便りが届いており、至る所で観光客で溢れかえっている。

 だが、能登の春はこれからで、ほんの数日前まで雪が舞っていた。

 元々、能登の海側は、北国にありながら雪がつもりにくい。

 冬の雪雲は大体内陸まで流れていき、海の近い集落にはたまにしか積もらない。

 そのため、勾配のある坂に家を建てている家が多く、そういう坂に沿うように集落が形成されている。


 孝介は、浜への下り坂をゆっくりとゆっくりと下っていった。

 小さい頃、もしくは体が健康な頃は、少しでも早く着こうと思い切り駆け下りていった坂だった。

 坂を降りきるまでの間、なんど小さな頃の自分に追い抜かれただろう。

 孝介は民家の間からチラチラ見える海の光を見ながらそう思った。



 孝介は、幸田家で生活をしていた時、ほぼ毎日海に来ていた。

 時間は関係なく、漁から戻ってきた大人たちが作業してる間も海に来ていた。

 近所の人は、孝介は漁師になりたいんじゃないか、なんて思っていたりした。

 

 小さい時の孝介は、海に年中漂う辛い湿気が好きだった。

 春でも夏でも秋でも冬でも、いつでも漂う同じ空気感が、小さい孝介は好きだった。

 毎日浜に降りるものだから、いつもベタベタになって、祖母を困らせた。

 

 朝早く起きた時は、早朝の漁から帰ってくる祖父の英吉を浜で待っていた。

 沖から漁船が煙を上げて戻ってくるのを見てるのが好きだった。

 大人たちの邪魔にならないように、可能な限り離れていたが、祖父の英吉が戻ってくると海に近づいていった。

 

 たまに、漁が終わってしばらくした後、祖父の英吉が船を出してくれることがあった。

 一緒に船に乗り、沖まで出た。

 海からは、陸がせり出しているのがよく見えた。

 原発のあるところだけ、灰色のコンクリートが鈍く白く光っていた。

 祖父の英吉は、孝介一人だけ乗せる時もあったし、兄たちと3人を乗せることもあった。

 波に合わせて大きく揺れ動く船が面白いと感じた。

 上の兄も同じ様に楽しんでいたが、下の兄はもう乗りたくないと嘆いていた。


 お盆に両親と兄たちが来た時は、にぎやかになった。

 集落以外からも来客があって、数の数えれないくらいの親戚が遊びに来た。

 墓が集落の菩提寺にあって、お堂の濡れ縁で座ってると、いつも学校で会う集落の友達が、その従兄弟を連れてどんどん来ているのを見た。

 ここにこんなにも人が人がいたんだな、って思い眺めていると、なぜか友達が、孝介に次々と近くの商店で買ったアイスを渡してくれた。

 あまりにも多くなるので、食いきれなくなりそうになったら、兄たちに渡してた。

 

 お盆が終わると、まるで潮が引くように、人が居なくなった。

 両親と兄たちが帰った家の中は、シィンと静まり返った。

 夏休みが終わるまでの半月ぐらい、このシィンという静けさと、遠くかすかに聞こえる波打ちの音だけが、家の中に漂ってた。

 

 

 浜まで、孝介は降りてきた。

 漁港は、多くの漁船が繋がれており、見慣れた祖父の英吉の漁船もあった。

 孝介は、ここ数年で一気に集落の人口が減った、と聞いた。

 小さい頃に見たときよりも、漁船の数が少ないかも知れない。

 自分の友だちが多く漁業をしていると聞いているが、どのくらい残ってるか知らない。

 こっちに来てから、孝介は基本寝たきりなので、誰にも会えて無いのだ。

 正直、寒くて動けなかった。

 なんでこの時期に能登に帰ってきてしまったのかと、家に居ながら後悔していた。


 続くように、波が港の護岸壁にぶつかる。

 まるで輪唱のように、波の音が辺りに響いていた。

 冬の日本海は波が荒い。でも春先の一瞬だけぐっと波が落ち着く時がある。

 孝介は、この時期の日本海が好きだった。

 空のように、マーブル模様の様に移り変わっていくのではなく、突然スイッチが切り替わるように、海が変わるからだ。

 だから、無理をしてでも、一度見ておきたかった。


 まだ昼とは言えども外は肌寒かった。

 ジメッとする潮の匂いは昔のままだった。

 やや乾いたコンクリートの地面に、魚から剥がれたと思われる鱗がキラキラ光ってた。


 雪国の冬の空は、薄煙で覆ったような思い灰色をしている。

 それが春に向けて、強い青が斜めに差し込んでくる。

 孝介が空を見上げた時、後ろから強い山風が数枚薄桃色のかけらを押し出してきた。


 孝介は、思わず振り返った。

 そこには、早咲きの桜が、今が盛りと咲き誇っていた。

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