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ー第三十話(最終話)ー そして冬の厚い雲が、声を覆い隠すように、大きな綿毛のような雪を降らし続けた

 室生星美は、飛び込んで来た看護師が、孝介の身体確認をする様子を、少し離れて見ていた。

 看護師が首を横に振ると、スマホのようなものを取り出し、電話をかけた。


 10分ぐらいして、医者が入ってきた。


 医者は看護師からの話を聞き、計器を確認し、孝介の体を確認した。

 医師は一度頷くと、看護師に何か言い、看護師は電子カルテに何かを書き込んだ。


 「奥様でいらっしゃいますか。」

 「あ・・・え・・・」

 「申し訳ありません、私達の力及ばず。」

 「い・・・いえ・・・」


 星美は言葉を出せなかった。目が泳いでしまった。


 「あ、おじいさんに知らせないと。」


 星美は、自分のスマホを取り出し、幸田の家に電話をかけた。


 祖父の英吉は、30分後ぐらいに到着した。

 英吉は、計器の取り外しをしている看護師に、改めて状態を聞いた。そうか、とつぶやくと、そのままじっと、孝介の膨れた頬を左手で触れた。


 「がんばったな。孝介。おつかれさん。」

 英吉は、孝介に、ねぎらいの言葉をかけた。


 星美はそこからの記憶は曖昧だった。


 祖父の英吉は席を外し、自分のスマホで電話をかけ始めた。1軒だけでなく数軒。

 これから忙しくなる、という表情をしていたような気がした。


 そのまま、祖父の英吉に引き継ぎ、星美は自分の家に帰ってきた。

 扉の鍵を回すと、低く、カシャンと鳴った。

 そのまま、コートを脱ぎ、玄関のコート掛けにかけて、室内に入った。

 部屋の電気をつけないまま、窓から入る明かりを頼りに、薄暗い部屋を通り、浴室まで歩いた。

 蛇口をひねり、浴槽にお湯を張った。

 星美は、お湯が入るまで、部屋に戻り、薄暗い中、ベッドに横になった。

 ガス湯沸かし器の音と、お湯が湯船に落ちていく音で、星美のいる空間がいっぱいになった。

 湯船が入り終わると、お湯が自動的に止まり、音が止まった。

 星美はゆっくり起き上がり、服を部屋に脱ぎ散らかしながら、浴室に入った。

 浴槽に入った星美は、なぜか、頭の中がずっとモヤモヤしてたので、その上から自分の頭にシャワーを当てていた。


  『私が、あの場所に居ても、良かったのだろうか。』

  『私が、最後を看取っても、良かったのだろうか。』

  『私は、中村さんに、孝介さんに、連れ添ってても、良かったのだろうか。』

  『そもそも、私は、夫婦でもないし、家族でもない。』


 鼻だけ湯船に浸からない深さの浴槽の中で、シャワーをから出るお湯を頭と肩に受け続けながら、そのまま、星美は、膝を抱えた。



 夜が明けて、孝介の家の周りは、慌ただしくなっていた。

 いつもは多くて一日に2~3人しか見ない家の周辺に、今まさに十数人の人達が忙しく動いていた。

 買い物をする為に外へ出ると、常に違う人が外に居た。

 何台もの車が家に止まっていて、更に多くの車が近くの空き地に車を止めていった。


 人が一人亡くなるということは、こういうことなんだ、と星美は思った。


 朝から、星美はずっと自分の部屋に閉じこもっていた。

 ただ、映し出されるテレビを眺めていた。

 窓から、孝介の家の方向から、沢山の車が入ってるくる音がわかった。


 夕方、日が暮れると、翔太からメッセージが入った。


 ←

 『室生さん、孝ちゃんの通夜に行きましたか。』


 星美は、メッセージをじっと見た。


  →

 『私が行ってもいいんですか。』


 ←

 『当たり前じゃないですか。』


  →

 『一人で行くのはちょっと。』


 ←

 『僕らと一緒に行きましょう。妻と一緒に出ますので、孝ちゃんの家の前に来てください。』

 

 星美は、じっとメッセージを見た。


  →

 『わかりました。すぐに向かいます。』


 星美は、クローゼットの奥に片付けていた喪服を取り出し、着替え、引き出しから取り出した数珠をポケットに入れた。


 外は、晴れ渡り、東の星が輝いていた。

 でも、西にはまだ、夕焼けが残っていた。


 孝介の家、幸田家の前に着くと、翔太夫婦が待っていた。

 幸田家の玄関には、紫の幕が下がっており、2つ提灯が吊るされていた。


 『幸田のじぃじゃも待っとりますし、入りましょう。』

 翔太に促され、後について、幸田の家に入った。


 いつもの玄関は、人に溢れていた。

 玄関の入口の正面にある居間には、何十人もの人が、食事をしたり酒を飲んだりして、賑わっていた。


 翔太は、台所に行き、英吉を呼んだ。

 礼服姿の英吉が出てきて、星美に頭を下げた。

 星美も、英吉に頭を下げた。


 「じぃじゃ、孝ちゃんの顔、見に来たわ。」

 「ほぉか。ゆっくり、拝んどって行きまっし。」

 翔太に返事を返した英吉は、その後ろの星美を見た。

 「室生さん、ゆっくり、孝介の顔を見ていってください。」

 「はい。」

 星美は、静かに返事を返した。


 翔太夫婦と星美は、玄関右手にある、孝介が元々寝起きをしていた部屋に上がった。

 その部屋も、人に溢れかえり、孝介の親族が、多くの弔問客に挨拶をしていた。

 翔太も、孝介の兄2人を見つけ、挨拶をした。

 星見も、翔太に習い、頭を下げた。


 翔太達3人は更に、奥の部屋に移動した。

 孝介が、ここに来た当初に寝起きしていた部屋を抜け、仏壇のある仏間に来た。

 孝介は、仏間に寝かされていた。

 薄暗い仏間には、孝介の父親の祐介と母親の紗也子が座っていた。

 仏間は、ひんやりとして、線香の煙で、白く、薄く、煙っていた。


 「おとうさん、おかあさん、この度は、ご愁傷様です。」

 翔太は、孝介を挟んで孝介の両親の向かいに座り、頭を下げた。

 翔太の妻、そして、星美も、翔太に続いて、横に座った。

 「翔太くん、だったね。こっち来てから、孝介がお世話になって。本当にありがとう。」

 祐介は、翔太に頭を下げた。

 「翔太くん、こちらのお二人は。」

 紗也子は、右手の手のひらを上に向け、左右に振った。

 「僕の隣りにいるのが、妻の美帆、その向こうに居るのは、室生さんです。」

 翔太は、二人を紹介した。

 「孝介とはどんな関係で?」

 紗也子は質問を続けた。

 「孝介くんが、僕の、漁協の手伝いをしてくれてたんですよ。室生さんは、そのパートナーの一人です。」

 「そうだったんですね。本当に、孝介がお世話になりました。ここでの生活も退屈しなくて済んで、本当によかった。」

 紗也子は、星美に頭を下げた。

 「いえ、私は、中村さんに、教えてもらってばっかりで、WEBの事、本当に沢山、教えてもらいましたから。」

 星美は、しどろもどろに答えた。

 「本当にお世話になったのは、私の方です。息子さん、中村さんは、本当に、惜しい人でした。」

 星美は、落ち着いて、頭を下げた。


 「まあ、ここにいてなんなんで、孝介の顔を、見ていってください。」

 祐介は、孝介の顔にかかった布を上げた。

 孝介の顔は、キレイに拭き清められていた。目の下ぐらいの、両頬の内側に、脱脂綿が詰められているように、膨らんでいた。

 少し、ファンデーションを塗られているのか、幾分、顔色が明るく見えた。

 翔太と妻の美帆は、孝介の頭のそばに置いてあった焼香台でお香を炊いて、揃って、手を合わせた。

 二人が星美の後ろを通り、星美の左側、仏間と考介が最初に寝起きしていた部屋との間に移動すると、星美は、体を右に移動し、孝介の顔の横に座った。

 焼香台でお香を炊き、少し、じっと、孝介の顔を見てから、持ってきた数珠を取り出し、手を合わせた。

 

 翔太達3人は、祐介と紗也子に改めて挨拶をすると、孝介が寝かされている仏間を後にした。

 再び、2つの部屋を通り、玄関に戻ってきた。

 星美が靴を履き終えると、台所から、英吉が出てきた。

 「室生さん、これ、持っていきまっし。」

 英吉は、小さいお重のような箱を2つ、袋に入れて、星美に渡した。

 「え、これは。」

 星美が袋を持ち上げると、英吉は首を横に振った。

 「いいがんやいいがんや。持って帰りまっし。元々は、居間とかで、何か食いながら、みんな居るんやけどな、あっこは、わけのわからん、じぃじゃやばぁばばっかりやさけえ、室生さんとか翔太とか、そういうわけにもいかんやろ。」

 星美は、翔太の方を見ると、すでに英吉から先に受け取っていた袋を2つ掲げて、星美に見せた。

 「そう、大したもんは、出せんけど、最後まで見てくれとった、室生さんにせめてもの。ね。」

 英吉は、照れくさしょうな表情を浮かべて、頷いた。

 「ありがとうございます。ありがたく、頂戴します。」

 星美は、息を強めに、袋を頭まで掲げて、英吉にお礼を言った。


 3人は、玄関から外に出た。

 空は、より一層、夜の闇を増し、星がこぼれてきそうなくらい、輝いていた。

 幸田家の敷地から出る瞬間、翔太の妻の美帆が振り返り、星美の両肩を急に掴んだ。

 星美はびっくりして、立ち止まった。

 美帆は、じっと、星美の顔を見た。

 「室生さん。」

 「は、はい。」

 少し離れて、両手に袋を下げた翔太が、二人を見守っていた。

 「室生さん、今日から、あたしらの、パートナーやからね!!」

 「は。」

 「多分、翔太が、なん・・・も言うてなかったっと思うけど、私も、あの人のブログとかSNSとか漁協のサイトとか、一緒にしとるがんよ。」

 星美は、驚いたまま、頷いた。

 「中村さんがいなくなったけど、でも、私達のすることは、ずっと続くから、だから・・・」

 美帆は、一度、息を整えた。

 「だから、室生さんは、ずっと、私のパートナーやからね。」

 美帆は、じっと星美の顔を見た。

 星美は、状態を把握し、笑った。

 「わかりました。これからも、パートナー、同志として、お願いします。」

 美帆と星美は、顔を見合わせて笑った。

 

 星美は、翔太達二人と分かれて、部屋に戻った。

 玄関を開けると、靴箱の上に置いておいた塩を自分にふりかけて部屋に入り、部屋の電気をつけ、英吉からもらった袋を背の低いフロアテーブルに置き、喪服を脱ぎ、元のクローゼットに片付け、数珠を元の引き出しに戻した。

 部屋着に着替えて、フロアテーブルの横に座り込んだ。

 英吉から貰った小さな重箱には、一つには3つの塩にぎりが、一つには海産物を中心とした煮物が詰められていた。

 星美は、塩にぎりを取り上げ、口に咥えた。

 

 両目から、静かに、涙が流れていった。

 

 二筋の涙を止めることもせず、星美はそのまま、塩にぎりをかじり、煮物を箸でつまんで、口に運んだ。

 『中村さんは、本当は、こんなにもたくさんの人達に、支えられていたんだ。』

 星美は、孝介という人物の、見えないかけらに触れた気がした。



 夜が明け、星美が目を覚ますと、孝介の家では葬儀が始まっていた。

 フロアテーブルの上に残っていた、塩にぎり1つと、煮物の残りを、テレビを点けながら、ゆっくりと食べた。

 星美は、お昼少し前になると、外の人の数が多くなった気配がしたので、厚手の冬用のロングコートを羽織り、孝介の家の近くまで行った。


 凍てつく寒さながらも、冬らしからぬ抜けるような青空の下で、孝介の家の前に、宮型の霊柩車と集落中の近所の人達が集まっていた。


 星美は、孝介の家から出てくる棺桶に目が止まった。

 礼服を着た孝介の兄と紹介された若い男性2人が前で、孝介の父親と紹介された少し年をとった礼服の男性と祖父の英吉が後ろで棺桶を持ち、宮型の霊柩車に運び入れた。

 運び込まれる最中の彼らの足元には、子供が3人、棺桶に手を伸ばすような仕草をしていた。


 宮型の霊柩車に孝介を入れた棺桶が納められると、ゆっくりと霊柩車は動いていった。

 その後を追うように、孝介の家族達が乗った車が数台走っていった。


 車を見送ってから、その場に居た人達はザワザワと何か話だし、何かしていた。

 それも40分も経てば、みんな居なくなり、いつもの誰も居ない孝介の家の前に戻った。


 星美は、フラフラと、孝介の家の玄関入り口の横にある、濡れ縁に座り込んだ。

 無意識に顔を上げると、目の前には、青空を覆うようにマーブル模様のような灰色の雲が、海から陸へと流れていくのが見えた。


 星美はそのまま力なく、頭を家の壁に預けた。


 それから何時間が経っただろうか。

 空から細かい雪が振り始め、冬の刺すような冷たい空気と、葬儀の線香の匂いが、辺りを薄っすらと包み込んでいた。


 玄関からぼんやりと道路の方を見ていたら、一台の銀色の四ドアの車が戻ってきた。

 中から祖父の英吉が、遺骨の入った箱を持って降りてきた。

 車から歩いてくると、細かい雪がふわっと舞い上がった。


 「おじいさん・・・」

 「室生さん、いつからそこにおったんや。風邪引くがいね。」


 星美は黙って、祖父の英吉が持った遺骨の箱を見つめた。

 祖父の英吉は、一度、孝介の遺骨の入った箱を見ると、星美の方を向き直した。


 「あいつ、孝介は、なんか言っとったがん?」


 星美は、ぐっと言葉を押し出すように答えた。


 「孝介さんは、「わたしで、よかった」って、言ってました。」


 そう言うと、星美の左目から、スッと涙が流れていった。


 祖父の英吉は、軽くうんと頷いた。


 「・・・そうか、ちょっと待っとりまっしね。」


 そう言うと、祖父の英吉は家の中に入っていった。

 少し待つと、何かを抱えて出てきた。


 「あいつがな、孝介からな、頼まれとったんや。」


 そう言うと、孝介が使っていたノートパソコンを星美に差し出した。


 「孝介は、これを室生さんに、渡して欲しい言うとった。どんなんに使っても良いように、初期化しとると言っとった。」


 星美はゆっくり手を伸ばし、孝介の使ってたノートパソコンを受け取った。


 「あいつが使う(つこ)とたんやから、かなりいい性能らしい。これを使ったら、もっとデザイナーとしての仕事も、楽になるがんやないかと。」


 じっと見つめ、ぐっと体を丸め、ひしっとノートパソコンを抱きしめた。

 強く閉じた両目から堰を切ったように涙が流れ出した。


 星美は、涙と一緒に溢れる声を止められなかった。

 まるで、大切な物を失った少女のように、ただただ大声を出して泣いた。


 厚く灰色に冬の雲が塗り込めた空から、この声を覆い隠すように、音もなく大きな綿毛のような雪が降り続け、背を丸めた星美を、ふんわりと包み込んでいった。



(了)

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