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ー第二十八話ー 消えていた記憶が浮かび上がる灯火のような時間

 孝介は、長い長い夢を見た。



 目を開けると、四方が木の柵に囲まれていた、何かに寝かされていた。

 背中の感覚から、ベッドだとわかった。

 今とは考えられないくらい若い、父親の祐介と、母親の紗也子が覗き込んでいた。

 二人は笑顔をたたえ、孝介になにか話しかけているようだった。

 孝介は手足を動かした。

 二人はより喜び、笑った。

 釣られて、孝介も笑った。

 何かに呼ばれるように、二人はどこかに行った。

 出ていったドアを方を、首を動かし見送った。

 孝介は、眠さと手足に木枠が当たる感覚とを感じていた。

 ふと疲れて眠った。

 何か揺れる感覚がして目を覚ますと、一人の老女が立っていた。

 目が合うと、眉間にシワを寄せて、不機嫌そうな顔になっていた。

 孝介は、なんだか、気分が悪くなった。

 孝介が、中村の祖母に抱いた、最初の感情だった。

 

 新年の挨拶、孝介兄弟は両親と一緒に、伯父の家に出向き、家長である祖母に挨拶に行った。

 祖母は、自分の部屋にひとりひとり招き入れ、新年の挨拶を受けていた。

 父の祐介と母の紗也子が、挨拶をすると、祖母は父の祐介に日頃の仕事の労をねぎらう言葉をかけた。

 上の兄の純介が挨拶をすると、小学校に入って頑張ってることを褒めた。

 下の兄の洋介が挨拶をすると、もうそろそろ小学校に入る準備をするよう、幼稚園での勉強を励ました。

 そして、孝介が上の兄に習い挨拶をすると、祖母は、表情を変え、孝介を罵倒しだした。

 声が悪い、発音が悪い、姿勢が悪い、挨拶が悪い、いろんな悪いを並べ立て、孝介に怒鳴りつけた。

 孝介は、祖母の顔を見ずに、ひたすらうつむいて、過ぎ去るのを待っていた。


 幼稚園に入ることになり、孝介は制服やかばんや一式を渡された。

 上の二人は、全て、新品で揃えられていた。

 孝介は、全て上の二人のお下がりだった。

 ありとあらゆるものが、上二人のお下がりで、何一つ新品のものが与えられなかった。

 孝介は、祖母と母の会話を聞いていた。


 「孝介は幸せだよ、全部、上二人の子ども達が使ってたものを貰えるんだから。なにも買ってやる必要すらない。何もかも、お兄ちゃん達と同じものが使えるんだよ。それでいいじゃないが。」


 祖母が自分をどう見ているのか、孝介は小さいながらも、薄っすらと理解した。

 

 幼稚園の時、祖母は孝介にこう言っていた。

 「お兄ちゃんを見習え。」

 「お兄ちゃん達は、かたいがんに、なんでお前は、そんなこともできんがんや。」

 「ダラな子どもや。何がまちがって、こんなんが生まれたんや。」

 「ワシに、近づくな。離れとけ。」

 孝介は、祖母の事が嫌いだった。


 小学校の学校用具を揃えるとき、祖母は、孝介に純介が使っていたランドセルを押し付けようとした。


 「純介に新しいの買う(こう)たれ。孝介は弟やから、お古で良いがんや。」


 制服は、兄達が小さくなって着れなくなったものだった。

 文具や道具も孝介の入学に合わせて、二人の兄の分を一新させて、余りを全て孝介に持たせようとした。

 幸田家の英吉はその話を聞き、自身の妻であり、母紗也子の母親である、孝介の祖母に連絡し、制服を除いて可能な限り、新品で揃えた。

 それを聞いた中村の祖母はこう吐き捨てた。


 「あの子は、幸田の子やから、幸田で面倒見れば良いがんや。なんで中村で面倒見な、いかんがや。」

 

 中村家で旅行に行くとき、母と伯母と孝介は、祖母や伯父や父、兄弟や従兄弟達と違う席で予約を取られていた。

 不可解で仕方なかった。

 なぜ、みんな仲良く出来ないのか。

 孝介の不信感は、ますます積もっていった。


 祭事があると、祖母は、伯父と父と上二人の兄を必ず連れて行った。

 冠婚葬祭、全ての祭事で、4人は祖母のお供をしていた。

 兄の洋介は孝介に話した。

 外で、もうひとり兄弟が居ただろと言われた時に、祖母はこう答えていたと言う。


 「あの子は、知恵遅れで、しつけがなってないから、連れてこれないんです。」


 孝介は、あの人は他人に何を言ってるんだ、と思った。


 祖母の兄弟、孝介の大叔父が亡くなったとき、お通夜で大叔父の家に家族総出で行った。

 他の家族は大叔父の家に入ったが、孝介だけ、家の外で待たされた。

 冬が近づく季節で、激しい雨が降り続いていた。

 雪混じりの大粒の雨が家の軒にバタバタ当たり、軒下に居る孝介の靴は、グズグズに濡れてしまっていた。

 1時間、2時間、3時間、雨は弱まらず、次第に気温が低くなってきて、孝介は震えるような寒さを感じた。

 夕方くらいの時間になっただろうか、祖母が家から出てきて、大きな傘を広げて、孝介を見下しながら一瞥した。


 「いつまで、こんな所に、ぼさっと突っ立っとるがいね。こんクズが。」


 スタスタ歩いていく祖母の背中を目で追い、立ち尽くした。

 後ろから、二人の兄が家に入れた。

 孝介の指はかじかんで、靴も靴下も脱げなかった。

 二人の兄が、濡れた靴や靴下を脱がしてくれて、大叔父の家からタオルを借りてきてくれた。


 孝介9歳の頃、夜中に、祖母と、父祐介と伯父が言い合っていた。

 祖母が、孝介を追い出せと、2人に激しく詰め寄っていた。

 祐介が、自分の子どもを今手放すのは、親として保護者として無責任じゃないかと怒鳴り返していた。

 祖母は父祐介の姿勢を罵倒し、怒鳴った。


 「あんな可愛げのない子どもが、中村家の子どもなわけ無いやろ。何を言ってもムスッとしとるがいね!顔もあんたらや他の子らと全然違う。あんな子、どこから拾ってきたんや!」


 祖母は、鬼の形相で父と伯父に詰め寄ってた。

 孝介は、怖くなって、音を立てずにその場を去った。


 あの怒鳴り合いの夜から数日後に、孝介は能登の幸田家に行くことになった。

 父がずっと孝介に謝っていた。

 何も力になれない父ですまんと。ずっと謝ってた。

 孝介が母に連れられて、能登の幸田の家に着いた。

 祖父の英吉と祖母は、孝介を暖かく出迎えた。

 ここには、鬼の形相も、あの怒鳴り声も、見下す目もなかった。

 

 それから3年後、孝介は父や母や兄弟の下に帰ることになった。

 実家に帰ったとき、伯父が出迎えてくれた。

 伯父の家は空気が変わったようだった。

 元凶の鬼が、その家から消えていた。


 中村の祖母は老人ホームに入居をしていた。

 老人ホームに入居中に、一度だけ、家族と一緒に行ったことがあった。

 孝介の顔を見た祖母は、手元にあるものを掴み、孝介に向かって投げつけてきた。

 何度も何度も、孝介の姿が見えなくなるまで投げつけてきた。

 そのうち1つが、孝介の頭に当たった。


 硬いものだった。


 孝介の額に傷ができて、血が流れてきた。

 それでも、祖母の暴力は収まらなかった。

 孝介が握りこぶしを作った瞬間、兄の純介が止めた。

 孝介は兄達に隠されるように、部屋を後にした。

 結局、中村の祖母は、何も変わってなかった。

 ただ単に、家族で看られなくなって、預けることになった。

 ただそれだけだった。

 

 それから数年経ち、孝介が中学2年の終わりに、中村の祖母が亡くなった。

 葬式は大きいものだった。

 中村の祖母は、地域でも有名な不動産管理会社の設立者だった。

 中村の祖母にお世話になった人も数多く居る。

 参列者が数百人、それ以上に及んでいた。

 焼香のとき、孝介が香炉に立つと、背後でざわめきが起きた。

 参列者から声が聞こえた。


 「あれが、中村さんが言っとた、血のとながっとらん孫かいや。」

 「確かに似とらんわ。」

 「中村さんの言う通り、ダラそうな顔をしとる。」


 あの祖母は、家だけじゃなくて、回りにも吹聴していたことを、孝介は知った。


 孝介は、奥歯を強く噛み締めた。


 その時、孝介の顔色が変わったことに、伯父は気がついた。

 伯父が参列者の所に行こうとした瞬間、孝介は香炉を遺影に投げつけた。

 香炉とガラスの割れる大きな音が、斎場に広がった。

 一瞬、参列者が静かになった。

 孝介が振り返ると、一部の、数十人の参列者が、孝介に飛びかかり、詰め寄ろうとした。


 「この不幸もんが!」

 「俺の恩人に、なにしてくれるんや!」

 「お前が、中村家の寄生虫か!」


 孝介を取り囲もうとした大人達を、孝介は、力いっぱい、前に踏み蹴り飛ばした。

 蹴飛ばされた数人、大きくよろめいた所で、孝介は怒鳴った。

 今まで、中村の祖母がしてきた仕打ちを全て叫んだ。

 そして、この参列者全員が、その共犯だと叫んだ。

 孝介の怒号は、斎場外にも響いた。

 孝介は最後に、目の前の大人達に、退きやがれ、と怒鳴りつけた。


 圧倒された大人達は、静静と、入り口までの道を開けた。

 孝介は、落ち着いて、ゆっくりと、そして、怒りに満ちた形相で、扉を開け、斎場の外に出た。

 入り口の扉を閉めると、伯父が何かを言い出した。

 何を言ったかは聞こえなかった。

 扉から遠く離れた長椅子で、孝介は一人、声を出さずに、唇を噛み締めながら、泣き続けた。


 

 「あ、ずっと、気にしてたのは、俺だったか。」

 孝介は、暗闇の中で目を覚ました。

 孝介は、中村の祖母のことを、無意識で忘れていた。

 従弟に、祖母が話していたことを聞かせてもらっても、ただただ笑っていた。

 もう、孝介にとっては、過去の人間にしておきたかった。

 でも、根の怒りは、まだ、収まってなかった。

 中村の祖母は、自分の前だけじゃなく、回りにも吹聴して、孝介のメンツを著しく潰していた。

 メンツなんて、生きていく上で、どうでもいいと、孝介は思っていたが、そうでもなかったようだ。

 しかも、なんでこんな時に、思い出したのか。

 孝介は、再び、目を閉じた。

 

 しかし、今までと違う感覚なのに気づいた。

 背中が貼り付けられたような感覚だった。

 孝介は、自分の体で動ける場所を探した。

 下半身は全く動かない。

 左腕も動かない。

 右腕は指が動く。

 しかし、体全体が、なにか見えないチカラで押さえつけられているような感覚だった。

 その瞬間、孝介の背中から頭にかけて、鈍い痛みが走った。

 「やばい」

 孝介は、消え入りそうな声でつぶやくと、霞んで見えない目を凝らしながら、スマホを取ろうとした。

 右肩に意識を集中して、いつもの場所からスマホに触れた。

 握力なく、弱く握ると、祖父の英吉に電話をかけようとした。

 電話帳から番号を探すとき、指先から液体が流れた感覚がした。

 スマホの画面の亀裂で指が切れたのだ。

 孝介は、それでも止めず、英吉の番号を見つけ、発信した。

 

 発信音がかすかに聞こえたとき、孝介の右手からスマホが床に滑り落ちていった。

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