ー第二十七話ー 夜空から 星降る 浜辺で
孝介は、変な夢をみた。
どんな夢かは覚えていない。
まだ、夜が明けぬ時間に目を覚まし、うっすらと天井を見た。
孝介は、いつもよりも感覚が足りないことに気づいた。
左手で、左足を叩いてみた。
左足は、なにも感じなかった。
腰骨あたりから、下半身の感覚が無くなっていた。
ついに来たか。
孝介は目を伏せた。
北風が吹き始める頃、孝介の居る幸田家の柿の木は、葉が落ち始めた。
幸田家の奥には、柿の木があった。
毎年、11月頃になると、柿が成り、それを収穫していた。
ただ、柿は渋柿で、全て干し柿にした。
祖母がまだ生きていた頃は、祖父がハシゴに乗り、高い所の渋柿もとり、軒下に吊るして、干し柿を作っていた。
たまに吊るしきれずに余り、それらはナイロン袋に入れて、焼酎をかけて、『さわし柿』を作っていた。
孝介が幸田家に居た時は、干し柿よりも、このさわし柿を好んで食べていた。
祖父の英吉からは、こいつは将来、大酒飲みになるんじゃないか、と笑われた。
今は、下から程々に手の届く範囲で英吉がとり、わずかに干し柿を作っていた。
それは、祖父の英吉が食べるのではなく、そのまま年末の挨拶として、中村の家に持っていく分になった。
中村家では、英吉が作った、真っ白に粉の吹いた干し柿を、孝介の兄である洋介の長男の祐が好んで食べ、毎年、英吉にせがんでいた。
祐のために、まだまだ死んどられんな、と英吉は笑った。
翔太と室生の通販サイトの設置の件以来、室生は、孝介の居る幸田家で作業をするようになった。
室生が幸田家にノマド作業をするようになって少し経ってから、孝介は松葉杖から車椅子になった。
突然の変化に、室生は心配したが、孝介は来るべきものが来たと、心配しないよう話した。
孝介の下半身はむくんで動かないが、上半身はまだ体重を支えられるギリギリの筋力が残っているので、家の中では這って動いていた。
玄関からは車椅子に乗り換え、そして外に出ていた。
ただ、集落は坂道だらけなので、基本的に誰かに押してもらわなければ行けなかった。
室生は、幸田家で、自分の会社の仕事と翔太の通販サイトの画像作りの両方を行っていた。
チャットツールtalkWorkを使い、孝介と室生と翔太の3人でやり取りをし、どのような作業を行っていくかなど、その場で孝介がアドバイスをしていた。
基本的に、祖父の英吉は、漁から帰ってきたら、午前は家に居るが午後から外に出る。
それを入れ替えで室生が家にやってくる。
英吉は夜まで帰ってこない。
昼前から日が暮れるまでは、室生と孝介二人きりになった。
「室生さんは、ずっと、この集落にいるんですか?」
孝介は、英吉が二人に切っていった梨を口に入れながら、室生にたずねた。
「将来的にはわかりませんが・・・」
「将来的には。」
「まだしばらく、ここに、居ると思います。」
室生は、梨に手を伸ばした。
「こんな所にいて、暇じゃないですか。」
室生は、梨を口に咥えて、ジッとパソコンのディスプレイを見た。
「仕事に集中できるので、暇じゃないですよ。むしろ、回りに色々ある方が、大変かなぁって思います。」
室生は、軽く笑った。
「私、遊ぶって誘惑に弱いので。」
「そうだったんですか。」
孝介も、釣られて笑った。
「中村さんは、どうするんですか。ずっとこのままですか。」
「僕は・・・」
孝介は、パソコンのキーボードを、意味もなく、タンタンと叩いた。
「魚を食うのが好きで、ここに戻ってきたので、多分、ずっとここですよ。」
孝介は、じっとパソコンのディスプレイを見つめた。
「魚、美味しいですよね。ここ。というか、漁港真隣なので、もはや新鮮では超特急ですからね。」
室生は、孝介の方を向いた。
「そう言えば、漁協の知り合いとか、増えましたか?」
「はい、最初は、本当にアパートの人達ばかりだったんですが、色々出来ることを手伝っていくうちに、年配のおかあさん方の知り合いが増えてきました。」
孝介は、なにか気づいたように、室生を見た。
「この前なんて、秋の野菜の収穫手伝いに行ったんですよ。一日中ずっと手伝ってたら、夕食ごちそうになって、更にお米と野菜もらいました。ついでに冷凍の魚も。」
「どんだけ渡しとるんや、この集落のばぁば連中は。」
「ただ・・・」
室生は、ふと、言葉を止めた。
「ただ、こんな、どこから来たかわからない人間に、こんなにもかまってくれるなんて、思いもしませんでした。田舎ってやっぱり・・・」
室生は、下を向いた。
手の甲に、何か当たる感覚がし、慌ててパソコンを前に押し出した。
「田舎って、つらいって、思ってたんです。でも、街に帰る所無くて、中途半端な所に住むことになって、でも、ここのみんな、優しくて、あったかくて・・・」
孝介は、室生の手の甲に、大粒の涙が落ちているのに気づいた。
辺りを見回し、手の届く棚にハンドタオルを見つけ、体を伸ばしてとった。
「ここの集落の連中は、基本、好き嫌いの激しい連中ばっかりだから、多分、室生さんの、人となりを気に入ってもらったんじゃないですか。」
孝介は、室生にハンドタオルを差し出した。
室生は、ハンドタオルを受け取ると、手の甲を拭き、涙で前髪が張り付いた顔に押し当てた。
「あり、がとうございます。」
「落ち着いたら、再開しましょうか。」
孝介の誘いに、室生はハンドタオルを押し当てながらうなづいた。
「あのですね。」
室生は、ハンドタオルの隙間から目をだし、孝介を見た。
「集落のおかあさん達、私が頻繁に中村さんの所に行ってるので、付き合ってるのかとか、思ってるみたいです。」
孝介は、小首をかしげた。
「どっからそんな結論。」
「一応、否定しましたが、私が一人なので、スキあらば誰か紹介しようとしてるのがわかりました。」
室生は、肩を震わせて笑った。
「なる、ほど。あの、ばぁば連中の娯楽にならんように、要注意してくださいね。いい人達であることは間違いないですけど、なんか、面白いことを探して関わろうとする人等ですから。」
孝介は、口角を上げ、ため息をついた。
「でも、仲良くしたいので、そこそこ関わっていきますよ。」
室生は、涙が引いたのを確認して、パソコンを手元に戻した。
「あ~、涙流したら、スッキリしました。今日のタスクを全部終わらせましょう。」
室生はそう言うと、軽快に作業を再開した。
日が暮れて、夜になり、海からの風で、窓がガタガタ鳴った。
今日の分の作業が大方終わり、室生は、パソコンを閉じた。
「今日、天気よさそうですね。」
孝介は、窓の外から、かすかに見える星空を見つけた。
「無理じゃなければ、浜の方まで今から降りてみませんか?」
孝介の提案を、室生は受け入れた。
玄関から車椅子に乗り、室生にハンドルを持ってもらいながら、漁港まで降りてきた。
冬を感じさせる風が海から陸へと、強く吹き上げていた。
室生の髪が、真後ろになびき、少し目を細めた。
街灯のない海の上の空は、薄く線の様な雲の上に、海に映り込むようなくらいの星が輝いていた。
「あ、これ、撮っておいたほうが良いですよ。写真に。」
孝介は、室生に促した。
「空気が澄んでいて、ここまで星がキレイに揃って光るとか、そうないですから。」
室生は、スマホを取り出し、構えた。
「どこらへんを撮れば良いんですか。」
孝介は海を指差した。
「海の水平線を中心に、空と海が半分づつで映るように、まず一枚撮りましょう。」
室生は、スマホの画面を見ながら、海と空がキレイに割れるように撮った。
「盆祭のときにも、いいましたが、あと、複数の写真モードでも。」
室生は、頷き、それから何枚も写真を撮った。
スマホに写った星空は、まるで、海に光の粒が流れ込んでいるように見えた。
「これからも、こういう素材を沢山撮っておいたほうが良いですよ。いつか役に立ちますから。」
「意識しないと、こんなキレイな光景って、わからないんですね。」
「そうです。それを意識して集めて、そして、人を動かすデザインをするのが、WEBデザイナーの仕事です。」
室生は、深くうなづいた。
「あと、さっき忘れてました。」
「はい。」
「僕の今まで撮った写真をクラウドストレージに上げてるんですが、それを使えるようにさせてください。室生さんの役に立つとおもいますから。」
孝介は、首を上に向け、室生に提案をした。
室生は、孝介の顔を見下ろし、一回、頷いた。
それから数日後、室生は、孝介の所でのノマド作業をやめた。
大体、自分自身で業務が行えるようになりつつあったからだった。
孝介は、室生が、一人で作業をこなせるようになってきたことを確認して、一つ、肩の荷が降りた気がした。
秋深まり、冬の気配がしてきた夜、孝介は、パソコンの画面をじっと見つめていた。
自身でパソコンを使う用事が無くなったので、初期化をしていた。
オペレーティング・システムの入れ直しを行い、残っていたデータを完全に消去する設定を行った。
古いデータは消えていき、再び、パソコンは最初の状態を戻していった。
全てが完了したのを確認し、孝介は、パソコンを消した。