ー第二十五話ー 祭 揺らぐ影 舞う笛の音(後編)
孝介を乗せた軽トラは、国道から、土がむき出しの農道に入った。
神社は、この農道を一直線に進んだ森の中にある。
真っ黒い農道の両側に水田があり、農道を囲うように、夕日に照らされて、燃えているような朱に染まった、刈り取った稲を吊るしたハサが並んでいた。
農道の端、水田の終わりからは、一面赤く染まった森になっており、農道から続く入り口の奥、真っ暗な闇の中にひっそりと、神社が鎮座していた。
森全体は私有地だが、その地主が神社を含む周辺の森を、鎮守の森として管理しており、神社は、うっそうとした木々に囲まれていた。
農道から続く道の終わりの鳥居が、夕日をまっすぐに受け、金色にかがやきながら、参拝者を出迎えた。
英吉は、鳥居の手前にある開けた場所に車を止めた。
その場所には、何十台もの車が止まっており、参拝の為の駐車場として開けられているところだった。
「さあ、着いたし、降りっかいね。」
運転席から降りてきた英吉は、軽トラの側面を開いた。
孝介は、英吉の体を借りて、松葉杖をしっかりついて、体を降ろした。
室生は、縁から足を垂らして、少しジャンプするように降りた。
鳥居の奥から、神楽が舞われている音が聞こえた。
甲高い笙の音と、シャンシャンと聞こえる神楽鈴の音が、風でかすかにざわつく森の中に、真っ直ぐに響き渡った。
「じぃじゃ、祭りのプログラムってなんや。」
三人は、鳥居に向けて歩き出し、孝介は歩きながら英吉にたずねた。
「祝詞から始まって、今の神楽、獅子舞する連中が、巫女さんらを囲って祈願、そんで、子供の獅子舞、中高生の獅子舞、大人の獅子舞、それから、終いの神楽と祝詞やな。」
英吉は薄暗がりの森と空の境目に目をやりながら、思い出した。
「そんなに長かったけ?」
「そりゃ、孝介、子供の舞の時だけ来て、飽きた言うて、さっさと帰っとったやろ。」
「そやったかいや。」
三人は、獅子舞のための神楽が舞われている本殿へと向かった。
鳥居から境内は、一面、玉砂利が敷き詰められていた。
歩くと、踏みしめられた玉砂利の音が、ジャッジャッと心地良く鳴った。
本殿に近づくにつれ、次第に神楽の笙の音と鈴の音が大きくなっていった。
次第に、孝介達の歩く玉砂利の音が、神楽の音と舞の玉砂利の音に吸い込まれていった。
本殿前に到着すると、本殿の上は夕焼けと夕闇が入り混じり、神楽を舞う二人の巫女が、鳥居から差し込む夕日をまっすぐに受けて、赤く輝いていた。
巫女達を囲う獅子舞や地域の住民達は、座ったり背を低くしたりなどして、巫女達が体一つ高く舞っているように見えた。
巫女達は、自分達を囲うようにしゃがんでいる各獅子舞や童子、天狗の頭上で、神楽鈴を鳴らし、一巡し、最初の神楽は終わった。
巫女達は神殿にまわり、社務所へと戻っていった。
座っていた獅子舞や演者の住人達、そして回りで見ていた住人達は立ち上がり移動し、神楽の時よりも大きな円形のスペースを作った。
そのスペースの真中に、小さな獅子舞と童子が並んだ。
「孝ちゃん、間に合ったじ。」
孝介の横で声がした。
振り向くと、赤い天狗の帽子を持った翔太が立ってた。
「やはり天狗やったか。」
翔太は、この地域の獅子を倒す役、子供なら童子、大人なら天狗の役の衣装を着ていた。
「翔太、いつ練習してたんだよ。」
「せりゃ、俺らは酒飲みながらでも練習できっし。」
「まじかいや・・・」
孝介は、翔太の腕を軽く叩いた。
「あの、写真、撮らせてもらってもいいですか?衣装の。」
横に居た室生が声をかけてきた。
「えっと、こん人は・・・」
「あ、室生さん。集落の入り口にある、アパートに住んでて、今WEBデザインの事で教えとれん。」
「ああ、新しいアパート。干場んちのじぃじゃが、年金代わり自分の畑潰して、アパート作ったってとこか。」
翔太は、ああ~ああ~と言いながら頷いた。
「どうぞ、どんだけでも撮ってください。なんなら、この場で一舞すっし。」
翔太は室生の方に向き直して、天狗の帽子を被り、背筋を伸ばし、くるくると軽やかに回った。
「あ、ありがとうございます。」
室生はスマホを構え、翔太を撮った。
数枚撮った時に、笛の音と軽快な鈴の音が聞こえてきた。
「あ、子供の獅子舞が始まったな。」
孝介が気がつくと、翔太と室生は獅子舞の方を見た。
「獅子舞の獅子頭な、うちの長男がやることになってん。」
「練習ん時の動画通りか?」
「ほうや。来年童子させることになってんけどな。獅子の動き覚えとらんかったら、童子の動きが様にならんし。」
子供達が演じる獅子舞と童子は、暮れかけの夕日の最後の光に照らされ、白く輝いていた。
リズムよく踏む足踏みが、足についた鈴を鳴らしながら、ジャッジャッと玉砂利を鳴らし、獅子が童子にスッっと寄ったかと思うと、獅子頭が力強くカッと空を噛んだ。
軽やかに童子は後ろに避け、素早く獅子舞により背中と足についた鈴を鳴らして飛び跳ね、パァンパァンと杖で玉砂利を叩いて獅子舞を牽制した。
「ちょっと、獅子舞、撮ってきます。」
室生は、人混みを避けながら、獅子舞の方に寄っていった。
「孝ちゃんも、あんなふうにやりたかったけ?」
翔太は自分の子供が演じる獅子頭の方を見ながら、孝介に聞いた。
「いんや。楽しそうに思えっけど、アレで良かったと今思っとる。多分、俺は、集落の人間になれんかったかもしれんし。」
「別に集落外でもよかったかもしれんがやぞ。」
「そりゃ、今の話やろ。あの時代はまだ違うがやろ?」
「かもな。」
孝介と翔太は、まっすぐに通る笛の音に合わせ、体についた鈴と獅子頭と振り回す杖を鳴らす子供の獅子舞を、ずっと見続けていた。
日が暮れ、暗がりが包んだ頃、獅子舞の四方にある松明が灯された。
揺らめく炎の明かりに照らされ、子供の獅子舞が終わった。
「じゃ、俺、準備してくっわ。」
「おう、行ってきまっしね。」
翔太は孝介に手を振り、社務所の方へと戻っていった。
獅子舞が踊る場所の、四方に灯された松明の後ろに離れた場所に、4基のキリコが立っていた。
キリコは、能登に伝わる大きな灯籠で、神輿の担ぎ棒の上に、長方形の火が灯る障子のような柱が立っているものだ。夏から秋へかけての、能登各地の祭りで見られる地域を代表する巨大な灯籠だ。
孝介が住んでいる集落を始め、現在大きく4ブロックに分かれて、この灯籠が保存され、このように、祭りの時に神社に組み立てられていた。
昔は、祭りの前までに、各集落の家々を巡り、獅子舞が演じられ、その最終日として神社の奉納舞が行われていたが、人口減少で神社の祭りだけをするようになっていた。
孝介は、改めてキリコを間近で見ようと、近づいていった。
子供の獅子舞の後に、少し間を置いて、中高生の獅子舞が始まっていた。
笛と太鼓に合わせて、子供の獅子舞よりも力強く鈴が鳴り、玉砂利を踏む音、獅子頭の噛む音、そして杖の叩く音が響き渡った。
中高生の獅子舞から、見る側も場所を変え、本殿側を除き3方を囲むように、人だかりができていた。
キリコは、その松明と人だかりの後ろにあった。人混みに疲れた人は抜け出し、キリコの方で一休みをしていた。
孝介が向かっているキリコの場所で、室生がキリコをスマホで撮っていた。
「室生さん、写真どうですか?」
室生は孝介に声をかけられ、振り向いた。
「結構たくさん、子供の獅子舞が撮れました。結構難しいですね。」
「今のは、中高生のはいいんですか?」
「数枚撮ったんですが、いきなり人混みがきつくなったので、出てきました。」
室生は孝介に近づき、写真を見せた。
最初の写真は速度が合って、止まってる写真が多かったが、時間が進むに連れ、動きがついた写真になっていった。
「最初の方は、素材に使えそうですね。」
「能登を表現する写真としてはいいですよね。」
孝介は、スマホを見ていた顔を上げて、室生の方を向いた。
「室生さん、キリコと一緒に写真撮りましょうか。」
室生は驚いたように固まった。
「自分の写真って撮ってないでしょ。この際、何枚か、撮りましょう。」
「でも・・・」
「どこに行ったか、何をしたか、どういうことだったか、を思い出すのに、自分がそこにいた写真は必要ですよ。」
室生は、黙って頷いた。
孝介は室生からスマホを預かると、室生にキリコの前に立ってもらった。
「じゃあ、室生さん撮りますよ。」
孝介はスマホを構え、シャッターを切った。
キリコと少し緊張で固まった室生が写った。
「室生さん、ちょっと硬いですよ~」
「え?え?・・・」
孝介に言われ、室生は慌てた素振りを見せた。
「そうやろ、一人で撮られたら、そら固まるわいや。」
孝介の背後から腕が伸びてきた。
祖父の英吉だった。
「室生さん、わしがキリコと撮りますさかい、こいつをひっぱって、そっちに立たせてください。」
英吉はニヤッと笑った。
「ちょ、じぃじゃ、今までどこにおってん・・・」
「中村さん、一緒に撮りましょう!!」
孝介の言葉の途中で、室生は孝介をひっぱってキリコの前に立たせた。
「孝介。人に笑え言うときながら、自分も笑わんかい。」
「ええ~」
「中村さん、スマイルですよ、スマイル!」
立場逆転した室生は、満面の笑みで孝介を見た。
「お、撮っとこ。」
英吉は、ふてくされる孝介と、にこにこ孝介をみる室生の二人を、キリコをバックに写真を撮った。
撮れた写真を確認すると、英吉は顔を二人に向けて上げた。
「じゃあ、撮っぞ。孝介、室生さん。」
「わかった。」
「はーい!」
孝介は渋々笑顔になり、室生は笑いながら片手を上げて答えた。
英吉は、室生の腕が下がるのを待って、スマホを構えた。
二人がフレームに収まり、キリコとの位置を調整して、写真を撮った。
「ほい、撮ったぞ。」
英吉は、英吉の所に寄ってきた室生にスマホを返した。
「ありがとうございます。」
室生は、英吉からスマホを受け取ると、撮ってもらった写真を確認した。
遅れてたどり着いた孝介は、覗き込むように室生のスマホを見た。
「あ~、やっぱ、こうなっとるがんか。」
「でも、ちゃんと撮れて、中村さんの言う通り、記憶に残る写真になりましたよ。」
室生は孝介の方を見て笑った。
そんな二人に気付かれないように、英吉は自分のスマホを取り出し、写真を撮った。
中高生の獅子舞が終わり、次は大人の獅子舞の番が回ってきた。
一瞬、人だかりが薄くなったタイミングができた。
「室生さん、大人舞は、動画で撮りませんか?」
「大丈夫なんですか?」
「今、人が空いた、あの松明の下なら、最前列で撮れそうです。」
そう言うと、孝介は指を差した。
「わかりました。先に行ってますので、中村さんはゆっくり来てください。」
室生は、孝介が指差した方に小走りでかけていった。
孝介は、松葉杖で体を支えながら後を追った。
室生が到着して、スマホを操作した。
進んでくる獅子舞、先頭に天狗の衣装の翔太がいた。
無意識にスマホを構えて一枚撮った。
遅れて孝介が到着した。
「間に合いましたね。」
「はい、今からですね。」
室生は、動画撮影に切り替えて、スマホを翔太達に向けた。
獅子と天狗が広場の真ん中に並び、一瞬、全ての音が止まった。
静寂を切るように高い笛の音が響いた。
太鼓の音に合わせて、獅子舞の沢山の足が足踏みを始め、いくつもの足についた鈴がけたたましく鳴り始めた。
カーンカーンと鐘の響く音に合わせて、翔太の扮する天狗が、獅子に向かって飛びついていった。
演目は、天狗が獅子を圧倒し退治する、という内容。
笛と太鼓と鐘のリズムに合わせて、獅子舞と天狗が互いに動き、獅子頭の噛む音が森中に響き、翔太の天狗の杖を玉砂利に叩きつける音が、境内中に鋭く突き刺さった。
互いに獅子が前に出て空を2回噛む、天狗は寸前で後ろにかわし、杖を縦横に振り回しながら、獅子舞の左右の玉砂利に杖を1回づつ叩きつける。
四方を松明に囲まれた、広く開いた玉砂利の広場で、所狭しと獅子舞と天狗は飛び跳ね、移動し続けた。
最初は、松明のギリギリまで獅子舞は天狗を追い詰めたが、天狗は松明あたりを端にして、周囲に沿うように移動し、その輪を少しづつ狭めていった。
次第に獅子舞は、天狗に圧され、ついには、広間の真ん中で獅子は動きを封じられ、頭を垂れて倒れ込んだ。
天狗はその周囲を回り、杖で玉砂利を叩きながら、最後に、獅子頭の前で杖の先を突きつけた。
その瞬間、全ての音が止まった。
天狗は獅子頭のアゴを持ち上げる仕草を見せると獅子舞は立ち上がり、背に天狗を乗せた。
再び、笛と太鼓と鐘がリズムよく鳴らされ、天狗を乗せた獅子は、足についた鈴を鳴らしながら玉砂利の広間をぐるぐると回った。
獅子舞が終わると、室生はスマホの録画を停止して、手元に引き寄せた。
「良い感じに撮れましたか。」
室生は、不意に寄ってきた孝介の顔の近さに驚いた。
「っと、大丈夫です。後で確認します。」
室生は、さっきの動画を少しだけ確認した。
「あ、終いの神楽が始まりますよ。」
孝介がそう言うと、さっきまで翔太達が踊っていた玉砂利の広場を指差した。
来た時と同じように、中心を開けて、三方に獅子舞と童子・天狗が並んでしゃがんだ。
「これも動画ですね。」
「神楽はめったに撮れませんしね。」
室生は再び動画でスマホを構えた。
さっきよりも近い位置で神楽を撮ることが出来た。
笙の音に合わせて、巫女達が神楽鈴を鳴らした。
獅子舞や童子や天狗の所に行って、シャンシャンと鳴らし、松明の明かりを揺らすように、厳かに舞い続けた。
神楽が終わると、宮司が出てきて、終いの祝詞が上げられた。
全てが終わり、獅子舞や童子、天狗が立ち上がり、社務所や人混みから多くの人が出てきた。
今回の祭りの会長、そして宮司の挨拶が終わって、全員で手締めをして終わった。
帰る支度で、一斉ににぎやかになった。
本殿の前から、そのざわめきが森中を揺らした。
獅子舞の輪から翔太が抜けてきて、孝介の元にやってきた。
「どうやった?すごかったやろ?」
「久々にみた。やっぱすごいな。」
翔太は興奮冷めやまぬ状態だった。
「大丈夫です。しっかり動画に撮りました。」
室生は握りこぶしを作って、力強く翔太に伝えた。
「あんやと!!あんやと!! また次んでも見せて!!」
翔太は室生に帽子をかぶったまま、ブンブンと頭を振った。
獅子舞の方から、翔太を呼ぶ声が響いた。
「わぁた!!そっちく!!今日は、あんやとね。またお願い!!」
翔太は全力で獅子舞の方にかけていった。
「翔太さんって、何者なんですか。」
室生は翔太の背中を見ながら、孝介に尋ねた。
「うちん集落で漁師と農家しとって、そんで、俺の同級生です。」
「楽しい人ですね。」
室生は、微笑んだ。
「孝介、帰っぞ。」
本殿側から、出てきた英吉は孝介に声をかけた。
「じぃじゃ、何持っとるがいね。」
「あん?これか?宮司が持ってくまっしねって、よこしたんや。」
英吉の手には、奉納された日本酒2本と食べ物らしきものが収まってた。
「まじで?」
「祭りの保全で、ほうぼうに声かけて資金集めしとるんや。だから毎年お礼をちょっと貰えんがや。」
「ほうぼうにって。」
「会社員関係で顔広いやろ。文化保全でとかで声かけて、来とらんけど金の奉納とかしてもろうとるんや。ここらへんの企業とかの寄付の札、大体わしが集めてきてんや。」
英吉はそう言うと、キリコの背後や境内の色んな所に建てられている、記名された札を指差した。
「そうなんや、知らなんだわ。」
「まあ、高校卒業してから大学も神戸で、ずっと定年までここにおらんかったし、わしなりの、田舎への恩返しか、罪滅ぼしって感じかな。」
「じぃじゃ、すげぇんやな。」
「おうおう、たまには、じぃじゃの事、褒めてくれてもいいがやぞ。」
英吉は満面の笑みで孝介を見た。
その英吉の笑みが、松明で良い感じに照らされていたので、室生はこっそりと写真を撮った。
「さっきのお返しっと。」
「なにかありました?」
「いえ、なんにもないですよ。」
室生は、孝介に見られないよう、自分のスマホのディスプレイを切った。
「さて、帰っかいね。軽トラ戻っぞ。」
英吉は、孝介と室生を促し、乗ってきた軽トラに戻った。
来た時と同じように、孝介と室生は荷台に乗り、英吉は運転席に入った。
軽トラの鈍い振動音が響くと、英吉はバックミラーを確認して、バックで車を出して、鳥居を背にするように車の方向を変えた。
車体がぐっと揺れて、孝介と室生は大きく揺らいだ。
二人は軽トラの縁をしっかり握り、車体が止まった時に顔を見合わせて笑った。
軽トラは、来た時と反対に、森を水田に向けて走り出した。
軽トラのエンジン音がまわりの空気を軽快に揺らがせた。
行きには赤く燃えるようだった稲を干してるハサが、帰りはヘッドライトに照らされ、黄金のカーテンのように輝き、揺らめいていた。