ー第二話ー 最後の生活まで階段を降りていくように
病院の結果が出てから、目まぐるしくて、細かく覚えていない。
病院から出てすぐに上司にかけた電話では、詳しくは聞かれなかったが、翌日、沢山質問された。
いつから調子が悪かったんだ、スケジュールがタイトだったのか、なぜ今まで気づかなかった、いつまで働けるのか。
会社には、半日までしか体力が続かなくなったら辞めることと、その間は後輩ディレクターのサポートにわかること、そして今の案件は全部終わらせることを約束した。
顧客周りもしっかり行った。自分が最後まで行う事、万が一の場合の為に備え、これから後輩ディレクターを同行させること、そしてWEBサービス公開までのガンチャートと計画表。
業界そのものがブラックなので、ある日突然ディレクターが飛んで、案件が炎上することがある。自分の担当案件では、そんなことはさせない。今までどのくらいの炎上案件を片付けてきたことか。
総じて顧客も納得してくれた。
「これからが大変ですね。私は運良く健康ですが。」
顧客にそう言われると、帰りのタクシーの中で後輩ディレクターが泣いた。
「なんで先輩なのですか。なんで前に辞めたあの人じゃないんですか。なんで先輩なんですか。」
なんでなんでと、繰り返す後輩ディレクターの泣き声を聞きながら、会社までの帰路、ずっとタクシーの窓から、過ぎていくビルの町並みを眺めていた。
(いつまで、この道を走っていられるだろう)
明日すぐじゃない、いつかこの都会を去る日を漠然と思っていた。
元々、案件の進行は滞りなく進めていたため、引き継ぎで問題を起こさせなかった。
勤めている会社の案件は、日本でも有名な大企業が多い。でも、その合間を縫って、中小企業の依頼もこなしている。
大企業の案件は、担当者が居て、内容を共有してくれているから問題が少ない。
でも中小企業はそうは行かず、相手が社長とかその息子である専務とかが多い。
こういう癖の強い相手はどうしようか、引き継ぎをするか悩んでいた。
試しに、後輩ディレクターに打ち明けてみた。
「進行が浅い案件は引き継ぎます。終わりそうなのは、引き継がないほうがいいでしょう」
賢明な回答をしてくれた。気が楽になった。
「なら、まだ日が浅いものだけ、明日から引き継ぎをお願いするよ。」
案件を丸投げにせず、一つ一つ内容を教えて、顧客と引き継ぎをする。
顧客も不安に思っている顔をするが、事情は理解してくれている。
そうして、引き継ぎをしているだけで1~2ヶ月が過ぎていった。
自分の手元に残ったのは、終わりかけの案件、それとサポートをしてる大型案件。
終わりかけの案件は、納品までの速度を早めた。予定している時期よりも、ずっと早く進めるのは、自分の体の事を考えてのことだが、顧客には別の理由を伝えた。
会社訪問で、もう納品確認だけ残す顧客のところを訪ねた。
雨がきつい日だったので、先方が別の日にしようかと提案してくれたが、気にしないように伝えた。
「雨の日、大変だったね。ありがとう、ここまで付き合ってくれて」
「納品まで仕事を行うと、最初の話の時にお約束しましたからね。そこは守らないと。」
「終わりかけとは言え、病気のこと、本当に大変だね。俺も人のこと言えないけどね。」
顧客側担当の専務は、そう言うと、自分の腹の肉を掴んだ。
「それは、頑張ってなんとかしないといけませんね。専務、元々イケメンなんですから、今から痩せるべきですよ。」
「イケメンはないない。ただ太り過ぎは、オヤジからも、カミさんからも言われてる。こっちもなんだ言っても、会社をオヤジから引き継がないといけないから。まあ、お互い生きるためにがんばらないとな。」
「ええ、そこは、お互い様ですね。」
改めて、納品するWEBサービスの内容を説明した。この会社にとって、新しい販路の開拓と既存客のサービス向上を担う、大切な基幹システムになる予定だ。
「で、以上でこのシステムの内容になります。前にも話ししましたとおり、マニュアルはPDFで送ってあるとおりです。社員さんへのレクチャー方法も、PDFに書いてあります。そこはきっちりとレクしてあげてくださいね。」
「やっぱ・・・レク、お願い、駄目?」
「駄目ですよ。その分、こちらも値段まけたんですから。後は、専務自身が社員の皆さんにレクすることで『専務、すげー!見直した!!』って士気を上げる・・・予定でしたよね?」
「それ言われるときついな。俺が言い出したんだから、仕方ないけどさ。」
そう言うと、小太りの専務は、体の肉を揺らしながら大声で笑った。
「今回のシステムは、顧客管理もさることながら、専務のこれからの社内環境を整えるためにも重要なシステムです。プレスリリース、もうそろそろでしたよね?」
「ああ、失敗するわけにも、諦めるわけにも行かない。会社を、もう一段階大きくするためのプランだから。そのために、今回のシステムを組んでもらった。本当にありがとう。」
顧客側専務は、日頃下げなれていない頭を深々と下げた。
「私達が作らせていただいたのは、あくまでもツールです。これを活用して会社を大きくしていくのは皆さんの力です。私の力なんて些細なものです。困った事がありましたら、気軽に社までご連絡下さい。社員が引き続き、ご対応をさせていただきます。」
顧客社屋から出る時も雨が降り続いていた。
「やっぱりやまなかったな。まあ・・・、色々と気をつけて。」
「ありがとうございます。」
そう言うと、呼んだタクシーに乗り込んで会社に戻って行った。
検査は月1回ペースで行っていった。
結果が劇的に改善されるわけはない。ただ、少し遅くすることはできているようだった。
(会社の事もいいけど、家の事も少し片付けておくか)
仕事をしながら、今後の事を考えていた。
体が一日動く間は会社に行く。でも半日しか動けなくなったら、会社は続けられない。
休みを使って少しづつ、部屋の物を片付けていっていた。
捨てるもの、引き続き使うもの、そして今の生活は最低限のものにしていく。
(まだ死ぬわけじゃないのに、なんで終活みたいなことしてるんだ)
少し不満に思った。
元々、物を沢山持たない性格だった。だが、人付き合いが増えるごとに、ものが増えていく。
非常にめんどくさい。人付き合いってこんなにもめんどくさいものなのか。
整理しなければ行けない用事もあったので、少しづつ片付けていった。
少しづつだが、自分が居る生活が見えてきたような気がした。
最初の診断から、9ヶ月経った。
体が思うように動かない日が出てくるようになった。
だるさが先行して、起き上がれない。会社にも少し遅れる日が出てくるようになった。
それでも、まだなんとか仕事ができた。新規案件はもう受け持っていないが、サポートと大型案件の仕上げが残っている。
(とりあえず、迷惑はかけられない。これは俺の責任だ)
そう自分を奮い立たせて、会社に向かった。