ー第十一話ー 歩きゆく雨 待つ人の雨
今日も朝から、雨が降り続いていた。
孝介はゆっくりと体を起こして、縁側に出て引き戸を開けた。
雨で冷やされた外気が、ふぅっと家の中に流れ込んできた。
薄い明るい灰色の雲から、絶え間なく雨が降り続き、屋根のひさしに激しく打ち付けられていた。
ひさしからは、まとまりになった雨がまるでひとつの流れのように、縁側の外にある踏石に吸い込まれていた。
「今年は、長い雨が多いな。」
孝介は、切れ間のない雲の空を見上げながら、そうつぶやいた。
雨の日で海が時化ているようで、祖父の英吉は居間で暇そうにテレビを見ていた。
「じぃじゃ、やっぱ、海なかったが?」(じいちゃん、やっぱり、海に行かなかったの?)
祖父の英吉は座卓に肘をついてアゴを乗せながらそのまま、孝介の方を見上げた。
「ぁん。冬やないっても、梅雨で雨やったら、危なぅて漁でられん。」(おう、冬じゃないっていっても、梅雨で雨降ってたら、危なくて漁に出られない)
そう言うと、そのまま顔をテレビに戻した。
「一日、なんもねえがんし、そのまま家におるがん?」(一日、なにもないから、そのまま家にいるの?)
孝介は、座卓に手を置きながらゆっくり座った。
祖父の英吉は、座卓にあった自分のスマホを取り出して、なにやら触りだした。
「なぁん、もうちょいしたら、お前のかぁか、サーコんとこ行ってくる。用事あってどっか行くらしいから、あんかのねんねの面倒見てくれって言うさけぇ、行ってくる。」
(ああ、もうちょっとしたら、お前のお母さんのサーコの所に行ってくる。用事があってどこかにいくらしいから、長男の赤ん坊の面倒を見てくれっていうからな。行ってくる)
祖父の英吉は、そう言うと少しめんどくさそうに頭をかいた。
上の兄に2人目の子供がいる。すでに2歳で赤ん坊と言う年齢じゃないが、祖父の英吉からはひ孫が赤ん坊に見えるようだ。
「わぁたわ。気ぃつけて行ってきまっしね。昼やらなんやら、我がで適当にすっさかい。」
(わかったわ。気をつけて行ってきてね。昼ごはんやら自分で適当に済ますし)
孝介は、冷蔵庫か何か台所を探せば、昼ごはんや夕飯のネタになるものぐらいあるだろうと思った。
「でも、今日は冷蔵庫に、なんもねえけどな。」
祖父の英吉はテレビを見続けながら、ニヤッを笑った。
「まじかよ・・・」
孝介は眉間にシワを寄せた。
午前11時頃に、祖父の英吉は、シルバーの4ドアの車に乗って、孝介の母親で英吉の娘である紗也子の家に向かった。
雨は緩急をつけながら、まだ降り続いていた。
浜までの坂が、川みたいになってるんじゃないか。孝介は、外に出るのが億劫になった。
なんで、こんな時に昼飯もなにもないのか、と思っても、祖父の英吉なりに、孝介に少しは運動しろという意思表示だったのかも知れない。
孝介は、来客の時以外、ベッドの上で寝続けている日々が続いていた。
外は長い雨と蒸すような晴れ間が繰り返されて、気温は肌寒さと蒸し暑さを繰り返していた。
ベッドの布団は時折、孝介の汗でじっと重くなっていた。
これは病気にも悪いだろうと、祖父の英吉は折を見て布団を交換しては、別室で布団乾燥機をかけてくれていた。
体が動かせない日は、畳の上で寝転がったまま日を過ごすということもある。
とりあえず、手が動く限りは、スマホやノートパソコンが触れるので、事困ることはない。
ただ、見た目が非常に悪いので、大人としてはどうかと、いつも思う。
ベッドにアームでも取り付けて、寝ながらスマホやパソコンを触れるようにすればいいのだろう。
ただ、そこに金を使うことをムダだと感じていた。
引っ越してきてから、ずっと考えていたが、別にいいかとそのままにしていた。
自力で体を起こせなくなったら考えよう。
孝介は、まだ動く体をフルに使いたいと考えていた。
昼を少し回った後に、孝介は近所の商店に買い物にでかけた。
今食う分と、夜に食う分の確保をしたかった。
雨は一向に止む気配がなく、緩急をつけて雨が降っているので、弱まっているなと感じた時間帯で外に出た。
集落の路地を出て、国道に出て、商店へと向かって北に歩いた。
途中にあるボックス型のバス停に、いつも誰もいないのだが、今日は珍しく人がベンチに座っていた。
孝介と同じくらいの年齢の女性だった。
空を見上げて、バス待ちでもしているのだろうか。
孝介は、そのまま前を通り過ぎて商店に向かった。
集落の国道沿いの商店は、孝介が小さい頃からあった。
過去に数回建て直しているらしく、今の店舗は5年前に建て直しをしたもので、まだ真新しかった。
孝介が店に入ると、奥から顔見知った妙齢の女性が出てきた。
孝介は軽く会釈をすると、目的の食べ物の買い物をして、レジに向かった。
「幸田のじぃじゃ、どしたん?」
「今、うちんとこかぁかんとこに、行っとります。アンカの子供面倒見てくれって言われとったらしくて。」
「ほんに、たいそうな。まあ、あのじぃじゃ、元気すぎて子供ん相手しても疲れんやろうけどねえ。」
そう言うと、女性は大きく笑った。
孝介は釣られて笑った。
会計が終わって帰ろうとした時、女性は孝介に買い物とは別の袋を手渡した。
「幸田のじぃじゃに渡しといてくれんかね?」
袋には季節の野菜が入ってた。
「はぃ、じぃじゃに渡しときます。」
孝介は、袋を抱えて外に出た。
雨は降り止まず、右手に傘、左手に2つの袋を抱えて外に出た。
ちょうど、バス停からバスが出たところだった。
ぶぉんとエンジン音を上げて、バスが孝介の左側を通り過ぎていった。
バス停には、商店に行く途中に見た女性が、まだ空を仰いだまま座っていた。
孝介は、バス停にゆっくりと近づいていった。
「傘持ってないんでしたら、近くでしたら家まで送りますよ。」
孝介が声をかけると、女性はびっくりして孝介の方を振り向いた。
「あ、大丈夫です。待てます。」
「先程からずっと待ってましたよね。多分、雨あがりませんよ。」
女性は少し考え込んだ。
雨はすこし勢いを増し、バス停の屋根を、バタバタと大きく打ち付け始めた。
「じゃあ・・・、すみません、よろしくおねがいします。」
女性が孝介の傘に、頭を入れるように入った。
「家は、そんなにも遠くないので、よろしくおねがいします。」
「濡れないように気をつけてくださいね。」
孝介は女性側に少し傘を傾けた。
「家は、どこですか。」
「あの路地の入り口を少し抜けた・・・、道沿いのあのアパートです。」
女性は指差した方向に、真新しいアパートが建っていた。
「わかりました。では、行きましょうか。」
「あ、あなたはあそこから遠くないのですか?お住まい。」
女性は、ハッと孝介を見た。
「ああ、大丈夫です。通り過ぎる路地を入ったすぐですから。近いですよ。」
そういい、ゆっくりと歩き出した。
雨は引き続きバタバタと、傘と孝介が持っている袋を打ち付けた。
「すみません、ありがとうございます。」
女性はうつむき加減に、孝介にお礼を言った。
「いや、いいですよ。多分このペースじゃずっと雨なので、雨の中ダッシュしないと駄目でしたでしょうし。」
孝介は、まっすぐ前を見ながら返事をした。
「あのアパート、初めて気づいたかも。」
「大家さんが言うには、まだ築2年ぐらいだそうです。」
「なぜここに・・・、あ、羽咋の工場から近いからか。」
「大家さんもそう言ってましたね。近くに工場が増えたので、若い家族を入れるために作ったんだって。そこで私みたいなのが一人で借りに来たんですから、びっくりしてましたけど。」
そう言うと、女性は笑った。
「引っ越して長いんですか?」
「いえ、まだ1ヶ月です。それまで七尾に住んでました。」
「七尾からここに引っ越しって、また思い切られましたね。」
「ええ、とりあえず、一人で生活できる所を探してたので。」
「なるほど。」
孝介が曲がる予定の路地を通り過ぎ、女性が住むアパートがだんだん近づいてきた。
「お兄さんは、何をしてらっしゃるんですか?」
「僕は、冬まで会社員してまして、今は祖父の家でニートしてます。」
「え?ニートって。」
「ちょっと、体壊しましてね、祖父の家で療養中です。」
孝介は冗談ぽく笑った。
女性も釣られて笑った。
二人が笑い歩いているうちに、女性のアパートの前についた。
アパートの入口からは屋根がついており、玄関ドアまで雨で濡れることはなかった。
「さ、着きましたので、僕は帰ります。」
孝介が家の方に振り返郎とした時、女性が呼び止めた。
「あの、今日のお礼に後日お伺いします。お名前・・・聞いてもいいですか?」
「え・・・、幸田・・じゃなくて、中村です。集落の幸田って家に住んでます。」
「中村さん・・・・と。」
女性は頷きながら孝介の名前を反覆した。
「私は、さ・・・室生といいます。」
「室生さんですね。」
孝介も頷きながら、名前を繰り返した。
「ご近所ですので、また何かあったらよろしくおねがいします。」
「こちらこそ、よろしくおねがいします。」
室生と名乗った女性は、孝介に頭を下げた。
孝介は一度お辞儀をすると、そのまま家に向かって振り返った。
雨は少し勢いを弱め、雲間から少しだけ太陽の光が差し込んでいるような気がした。