132. ぽよんちゃん
「ウイスキー」
そう言ってサクラがにっこりとマルクスを見あげる。
「……ウイスキー」
マルクスがサクラの言葉を反復する。
サクラはそんなマルクス唇に手をのばす。
「そのときに ここを、こうあげるんです」
唇の両端に手を添えると、くいっ、と持ち上げた。
マルクスの口角が きゅいとあがる。
「うん、素敵な笑顔です!」
サクラはマルクスにお茶をつきあってもらい、アスを待っていた。
今はマルクスと笑顔の練習をしていたのだ。
マルクスの笑顔は怖すぎる。心臓が凍りつくわ!
(悪魔は酒は飲むみたいだから、今度ウイスキー買ってこよう。『ウイスキーダイスキー』で、笑顔の練習だ!)
アスは 小一時間程すると スッキリした顔で戻ってきた。
「ごめんね~子ブタちゃん、お・ま・た・せ♪」
「大丈夫?」
「うん。処理してきたから」
……何を?とは怖くて聞けない。
とりあえずスルーして仕事の話をしよう。
そのために来たんだ。
「それで、化粧品ってどうなりました?」
「コレね」
コトン、と アスがテーブルに口紅を置く。
「なんだかデザインが変わってますね」
サクラが渡したものとは別物みたいだ。
「異世界にない素材は使えないからね、サクラからもらったものを作り替えたのよ」
「へぇ、可愛い」
サクラは手に取ってみる。
プラスチックだった口紅ケースは 形はそのままスティックだが、貝殻のような材質になっており、外側はシェルの波打つ手触りが手に馴染む。滑りにくそう。蓋を開けると、蓋の内側は 真珠のような光沢を放っている。
「綺麗……」
ケースだけでも売れそうだ。
「何か書いてある……コレ、英語!?」
『cherry´s』
スティックの首のところに小さく文字が刻んであった。
アスは 英語が使えるのか。
桜の意味『cherry』に所有を表す『´』をつけてある。
「異世界の人間は読めないから、『cherry´s』と書いて 『チェリッシュ』と読ませるわ。名前の魔法があると 偽物が作れないのよ」
「商品名?」
「そうよ。シリーズの名前。どう?気に入った?」
「うん!」
アスがくすりと笑い、サクラの鼻をむぎゅっ、とつまむ。
「ふがっ!?」
「そうやって笑ってなさい」
「……うん」
「次は、量産ね、ついてきて」
アスはサクラを別の部屋へと促した。
◇◆◇◆◇
アスに連れていかれた部屋の扉をあけると――――
「何も、ない……」
部屋は暗いが、何もないのが見てとれる。
何もない空き部屋のようだ。
工場みたいに人がいて魔法で錬成して、箱詰め作業とかしているのを想像してたんだけどなぁ……
″ぽよ~ん、ぽよ~ん、ぽよ~ん″
何かが跳び跳ねている音がする。
ゴムボールみたいなものが。
″ぽよ~ん、ぽよ~ん″
それはだんだん近づいて来て――――
″ぽよ~ん、、スチャッ″
アスの腕の中にとびこんだ。
「スライム?」
″ぷるるん♪″
キレイな丸い 紫色のスケルトンが アスの腕の中で嬉しそうにふるふるとふるえている。
「かわいい~」
「ぽよんちゃんよ」
そう言ってアスが ぽよんちゃんをサクラにわたす。
ぽよんちゃんは ちょっとひんやりしていて、ハリのある大きな水滴を抱いているようだ。
グレープのゼリーみたいで美味しそう。
「ふふふ、ぽよんちゃんがぽよんちゃんを抱いてるわ」
アスがツボったらしく、うふ、うふふとしきりに笑う。
すいませんね、ぽよんぽよんで。
つるんとしていてゼリーのようなぽよんちゃんは目も、鼻も、口もない。
アスは口紅を取り出すと、ぽよんちゃんの中に沈めた。
″………とぷん″
口紅を飲み込むと ぽよんちゃんはフルフルと振動し――――
″ぶりんっ″
分裂した。
「えっ!」
サクラが抱いている二匹のぽよんちゃんの中には 一匹に一つずつ口紅が入っている。
これは、一個が二個、二個が四個、四個が八個と、倍々になっていくってこと?
二匹のぽよんちゃんはサクラの腕の中からピョンっと部屋に飛び込むと、ふるふると体をふるわせ、大きくなる。
そして、人の丈ほどまでになると――――
″ぱ――――ん!!″
弾けとんだ。
「ぽよんちゃん!?」
ばらばらと、部屋の中には テニスボールの大きさのぽよんちゃんが 床を埋め尽くす。
ジェルビーズのようなぽよんちゃんの中には一匹に一つずつ口紅が入っていた。
大きなガチャガチャカプセルのように。
「こうやって量産するんだ、凄い」
それだけではなかった。
ぽよんちゃん達は跳び跳ねながら 部屋の隅に置いてある箱に自ら入り、口紅を入れると次々と戻ってきて合体し、最終的には元のぽよんちゃんに戻ったのだ。
「賢い!!なんでも増やせるんですか?」
「食べ物以外はね。食べ物は増やしても味がしなかったみたい。人間に食べさせたらそう言ってたわ。匂いはするんだけどね。私が与えた力だから味は無理だったのね」
だったら、と サクラはリュックからローズの街でお土産に買った薔薇のブローチをとりだした。
新しくアルバイトに入ったヒナの分がなくて、みんなに渡せないでいたのだ。
「これがもう一つ欲しいんです」
「いいわよ」
アスが快く引き受けてくれる。
「何をくれる?」
「へ?」
「アタシがソレをあげたら 子ブタちゃんは何をくれるの?」
「えーっと……」
何も持ってない。
「子ブタちゃん(の感情)を 食べてもいい?」
「私の!?」
「うん。イシルだって頼み事のかわりに食べさせてくれるのよ?」
悪魔が人間の感情を食べる時は その人の感情の匂いを摂取する。
だから触れなくても食することができるのだ。
しかしサクラは異世界人、アスの魔法が効きにくい。
アスが初めてサクラを食べた時は 口を塞いで首から吸いだしていた。
サクラはそれを思い出して手で首を庇う。
「首からじゃなくてもいいの」
「手、とかでもいいってこと?」
アスは笑顔で肯定する。
(手の甲とかなら、挨拶みたいなもんだ)
イシルもアイリーンの手の甲にくちづけしてたことを思い出し、サクラはアスに左手を差し出す。
「失礼」
アスはサクラを壁際に寄せると サクラの口を左手で塞ぎ、感情の逃げ場をなくす。
「いただきます♪」
サクラの左手をとると くいっとまげて、サクラの肩のあたりまで手首を持ち上げる。
「?」
サクラの白く柔らかい 手首の内側、
青く 血管のみえる部分。
アスは 桃の実を食むように口をひらくと サクラの手首にくちびるに押し当てた。
(そこなの!?)
伏し目がちのアスの長い睫毛が艶っぽく震えている。
″ちゅぅ――――……″
アスがサクラの手首を食み、感情を吸い上げ、ごくり、ごくりと飲み込んでいくのが見える。
喉仏が……セクシーですね。
「ふぁうぁ!」
サクラの抗議の言葉はアスの手によって塞がれている。
元々聞く気はないらしい。
アスは食事をしながらサクラと目を合わせると、口の中でねっとりと舌を動かした。
「っ///」
視線をからめたまま 目を細めうっすら笑うアス。
確信犯である。
(もう、二度とアスに頼み事はしないっっ!!)
◇◆◇◆◇
「取り分はどうする?」
食事を終えて上機嫌なアスが サクラに化粧品販売の売り上げについて聞いてきた。
「サクラが仕入れだから七割あげるわ」
「いや、半々で」
サクラは間髪入れずに答える。
「あら、いいの?」
「アスとは対等でいたいから」
悪魔に借りも貸しもつくるのはイヤだ。
危なすぎる!さっき体感したばかりだ。
「賢明な判断ね」
「じゃ、今日はこれで」
帰したくない。
アスは サクラが帰らないよう言葉を操る。
「もう帰っちゃうの?イシルのデートの話を聞きに?」
「う……」
サクラの動揺。悪魔でなくてもわかるほどの。
「二人っきりで、イシルは何を囁くのかしらね……」
アスは サクラの動揺を掻き立てるよう嫉妬心をあおる。
「肩を抱いて……キス、する?」
想像させ、それが自分でないことの現実を突きつける。
「…………」
そんなアスの言葉に サクラの切なさが増していくのがわかる。
ああ、なんて純粋な思いなんだろう……これだから人間を味わうのはやめられない。
「そんなに辛いなら ここにいれば?」
アスがサクラを引きとめる。
あえて、軽く。
帰したくない気持ちをさとられないようにして、サクラを誘導する。
「部屋はいっぱいあるし、村にも近いでしょう?」
「そうだけど……」
アスがサクラの心に誘いをかける。
サクラは術はきかないけど言葉の誘導にはめっぽう弱い。
「イシルの家には アタシが遊びに連れていってあげるからさ」
「ありがとう、アス」
「じゃあ、」
アスの声がはずむ。
「でも、帰るよ」
「なんでよ」
「……恋しいから」
やっぱり、駄目か と、アスはあっさりと引く。
「そっか」
深追いして逃げられても面白くない。
アスは サクラを魔方陣の部屋に入れると ローズの館を経由して空間を繋げ サクラをイシルの家へと帰した。
「部屋は用意しておくから。仕事用よ」と 付け加えて。
「サクラ、おかえりー」
家に戻ると リビングでランが ソファーに転がって本を読んでいた。
読書なんて珍しいな。魔法書みたいだ。
目が据わってるけど大丈夫?
「ただいま、ラン、あれから駐屯所にいなかったけど、どこ行ってたの?」
「ん?ん~見回り?」
アスがいたから逃げたんだな……
危機管理能力が素晴らしい。
「イシルさんは?」
「まだ」
「そう。私、疲れちゃったから寝るね」
「大丈夫?飯は?」
「うん、食べてきたから」
ケーキをね。
「ランは食べたの?」
「おう、ギルが奢ってくれた。イシルは遅くなるからってさ。だから……」
すりっ、と ランが、サクラにまとわりつき、背後をとる。
「今日はオレが添い寝してあげようか?この前のお返しに」
サクラのアゴの下をするん、と撫でる。
″スパ――――ン!″
″にゃっ!!″
サクラに弾かれ ランが飛び退く。
「今日はもうおなかいっぱいです。そういうのは」
「にゃっ???」
サクラはぷりぷりと部屋に入る。
「……オレ、なんかした?」
とんだとばっちりである。




