115. ローズの街 5 ( side マルクス) ★
マルクスはイケジイ執事さんですよ。
挿し絵挿入しました。(11/2)
イメージ壊したくない方は画像オフ機能をお使いくださいm(_ _)m
我が名は マルクス
悪魔である
ローズの街にて 我に名を与えし館の主に使える身
悪魔は 感情をもたない。
あるのは欲望のみ。
欲望を満たすことで 『快楽』を得られ、
『渇き』から逃れることができる。
悪魔は感情をもたない。
だから 人間の感情を欲する。
喜びは うま味にあふれ
怒りは 辛味を沸き起こす
哀しみは 苦味を呼び
楽しさは 甘味となって満ちる
そこに嗅覚、視覚、触覚がかさなって風味となり
感情をあじわう事が出来る。
悪魔は感情をもたない。
だが、人間の感情を取り込むことにより 学習する。
長く生きた悪魔は 経験や記憶により 感情を持ったような気になる。
我が主は 感情を得ているのかもしれない。
我が名はマルクス 感情を持たない悪魔。
その女は 大変奇妙な人間であった。
この奇妙というのは 感情からくるものではなく、不可解と言う意味だ。
我は主の命により 女を庭園のテラスへと導く。
我は女のために椅子を引く
「ありがとうございます」
礼を言われる筋合いはない。
主の命に従うのみ。
しかし奇妙な女だ。主の術が通用しないのだから。
我も試みてみた。
隙だらけなのに 心に入り込むことが出来ない。
女はケーキの台座を覗き込む。
下段のシャルロットに目を止めた。
我は サーブするためにさりげに準備する。
女の顔に笑みが浮かぶ。
ふわふわのビスキュイと、中の洋梨ムースが香り、ふんわり口の中にとけた。
トッピングの洋梨のコンポートがしゃくしゃくと歯にさわる。
ミルフィーユに フォークを入れると、サクッと割れ
ザクザクのパイとカスタードがまざり、イチゴが程よい酸味をくわえる……
ふつり、女が目線をかえた。
……今、何が起きたのだ?
女は ケーキを食べたわけではなかった。
だが、ありありと浮かんだのだ。
その顔に。
我は幻覚を見たのか?
いや、我は 今 初めてケーキというものを食べた。
我は紅茶の準備をする。
ポットとカップを湯で温める。
女は中段に 目を輝かせる。
中段は手でつまめるものばかり。
ふわっとシナモンの香り。
焦がしバターがナッツのような風味を加え、蜂蜜の甘さがなんともまろやかだ。
これが、フィナンシェ……
しっとりと 上品な味わい。
ダッグワーズにかぶりつく。ふかっとした食感とともにアーモンドの香りが広がる。
パリッと焼けた表面とは裏腹に、ふわっとやわらかい歯ごたえ。
中には滑らかなバタークリーム。
咀嚼するごとに口のなかに優しい甘みがひろがる。
我はごくりとのみこむ。
これが菓子の味
自身の内側が ほんのりあたたかい。
……これは 何だ?
やはり女は どれにも手をつけない。
我は紅茶ポットに熱いお湯を注ぎ、蓋をする。
今度は上段のシュークリーム。
女の口がきゅっと締まり にんまり笑う。
つまんで口にほうり込むと くしゅっ、ふわっと生地が潰れ、中からクリームが沸き上がる。
さらりとした生クリームとまったり甘いカスタード。
二層のクリームが踊る。
これは 喜びの味だ。
我が知っている喜びの味よりも 鮮明で 我の中に 何かを沸き上がらせる。
女は結局どれも眺めただけで 口にはしなかった。
我は カップに紅茶を注ぐ。
女が すうっと、紅茶の香りを胸に吸い込む。
女の顔が 期待に満ちる。
紅茶を口にしたとたん、満面の笑みを浮かべる。
開花……
一斉に 桜の花が 開いた。
そんな光景を見た。
我は満開の桜の木の下で 女と紅茶を堪能した。
別の世界にいるようだった。
女は紅茶を飲み終えると 我に声をかける。
「あの、ちょっと薔薇を見てきますね」
「かしこまりました」
我は気づく。
己の口の端が 少しあがっていることに……
◇◆◇◆◇
女は『サクラ』という。
館の主アス様と旧知のエルフ イシルの連れである。
我はマルクス。
客人が滞在中 つつがなく過ごせるよう命ぜられた者。
アス様はイシルと手合わせに向かわれた。
我は サクラの夕食を用意する。
勿論、調理人はこの館で飼われている人間である。
我に酒以外の人の食べ物の味などわからぬ。
酒は悪魔が造りしものだからな。
イシルは料理人になにやら細かく指示を出していった。
我は サクラの椅子を引く。
サクラが座るのに合わせて軽く椅子を押す。
「ありがとうございます」
少しはにかみながらサクラが礼を言う。
こういうことに慣れていないのだろう。
どの客人も礼など言わぬ。
先ずはサラダ。
イシルがそう指示を出していった。
サクラの前にサラダを置く。
「ニース風サラダ!」
トマト、レタス、ラディッシュ、パプリカ、オニオン、きゅうりと、生野菜の上に
オリーブ、アンチョビ、ツナ、ゆで卵がトッピングされている。
「いただきます……はむっ」
ドレッシングはオリーブオイルと塩。
アンチョビやツナの塩気でサラダを味わう。
「ん~」
サクラが感嘆の声をあげる。
我は またあの感覚に引き込まれる。
術を使っているわけでもないのに、サクラの感情が流れ込む。
「はぐっ、むぐっ」
いや、これは感情ではない。
料理そのものの味。
美味しさがそのまま我に届く。
卵の白身、ぷりっとした食感、黄身のほっくり、濃密な味わい。
シャキシャキのサラダに、アンチョビの程よい塩気……
次は前菜三種。
「うわぁ……キレイ」
目でも楽しむ。
カラフルな色合いの野菜のテリーヌ。
黄色と緑のコントラストが美しいほうれん草のキッシュ。
白身魚で小さなスプラウトを巻いたカルパッチョ。
「もぐっ」
野菜のテリーヌ。ゼリー寄せだ。
口に入れると 野菜のうま味の染み込んだコンソメゼリーが溶け出す。
少し固めに茹でられた野菜の こりっこりっとした食感。
いんげん、ベビーコーン、オクラ、ズッキーニ……やさしい味。
″ぷちっ″
真ん中に 飾りのように入っていたトマトを噛む。
優しいコンソメに トマトの酸味が広がり、味が変化する。
「んふっ///」
ああ、わかった。サクラは自分が充たされることで、まわりをも充足させてしまうんだな、と。
分け与える心の持ち主だ。
サックりとした生地のベーコンとほうれん草のキッシュ、
ぷりぷりとしたカルパッチョまで食べ終え、スープへ。
スープはマッシュルームのクリームスープ。
マッシュルームと玉ねぎを炒め、香りをだし、ミキサーにかける。牛乳、生クリームと合わせる。
スープスプーンですくって口に入れる。
「あむ……」
丁寧に裏ごしされたスープ。
濃厚でなめらか。マッシュルームの香りが鼻に抜ける。
「ん~フランスの香り」
酒はのまないというので、水と天然の発泡水をグラスに注ぐ。
口直しのソルベのかわりに、サクラは発泡水をのむ。
シュワシュワと口の中がリセットされる。
いよいよメインの肉料理。
サクラの前に皿が出される。
「うわ!」
今までの上品な料理とは打ってかわり、ダイナミックに盛られたステーキ。
厚目にスライスされたステーキが二層になって重なっていた。
「男のフレンチ!」
サクラの目が燃えている……
肉を一口大にカットすると、次々と口に入れる。
「はぐっ」
やわらかいのにほどよい弾力
「もぐっ」
溢れる肉汁、香ばしいニンニクの香り
「がうっ」
程よくバランスのとれた脂身の甘み
「んがっ」
サクラはワイルドに、野性味をもってステーキを味わい尽くす。
我も共に連れて。
なんという充足感……
イシルがアス様とサクラを一緒の食事の席に着かせなかった理由がわかった。
パンも、チーズも、デザートも必要ないとのことだった。
少し残念だ。
……残念、とは?
マルクスはサクラにお茶を入れる。
「何になさいますか?」
「コーヒーをお願いします」
マルクスはコーヒーを挽く。
″ガリガリ……″
サクラはテーブルに両ひじをつき、顔をのせ その音に聞き入る。
「いい香り……」
うっとり つぶやく。
我はその顔に見入ってしまった。
一緒になってコーヒーの香りに引き込まれて 手が止まる。
「あ、すみません、行儀悪いですよね」
サクラがテーブルに座り直す。
「ご自由に。貴女様しかおられませんから」
我はコーヒーをドリップする。
丁寧に、時間をかけて。
「あの……」
サクラが遠慮がちに声をかけてきた
「いっしょに飲みませんか?コーヒー」
「…………」
「だめ、ですか?」
「……ご命令とあらば」
サクラはにっかり笑う。
「ご命令デス!」
我はコーヒーをカップに注ぐ。
味などわからぬ。
わからぬ が、
目の前のサクラを見れば
コーヒーアロマに包まれた。
サクラが我に話しかける。
我の名はマルクス。感情をもたない悪魔。
そうして 我は不思議な感覚の中を漂う。
桜の花びらが静かに舞う
コーヒーの香りにつつまれて……




