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声なし王女と教育係  作者: 白藤結
第一部
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一章(3)

 ちょくちょく休みながら、ルークは貴族の邸宅が並ぶ地区を歩いていた。まだ春とはいえ、太陽が燦々と輝く昼日中。重たい荷物を両手に長時間歩みを進めるのはひどく疲れることで。ようやっと、何時間もかけてたどり着いた目的地――貴族の邸宅としては小さいほうだが、ルークの家よりは何倍もの大きさを持つ屋敷――を見上げ、思わずほっと息をついた。これで解放される、と思うとたいそう胸が躍る。達成感が胸に溢れる。早く家に帰って休みたい。


 門から玄関まで荷物を下ろすことなく歩き、扉の前に経つと、ルークはノッカーを叩いた。数歩下がり、扉が開かれるのを待つ。

 ……しかし、いくら待っても扉が開かれることはなくて。


(またか)


 はぁ、とため息をつき、ルークは勝手に玄関の扉を開けた。いつものことだが、扉はなんの抵抗もなしにあっさりと開かれる。相変わらずこの屋敷の防犯はどうなっているんだ、と、再度呆れきったため息をついて、ルークは荷物を両手に持つと器用に扉の隙間に滑り込んだ。


 仮にも貴族の屋敷であるにも関わらず、ひどく質素な場所だった。廊下に絨毯は敷かれているものの、それはところどころほつれており、よくあるような絵画や花瓶などのオブジェの類は一切ない。ところどころ埃が溜まっているのは、今も通いの使用人が一人いるだけ、という環境だからだろうか。一人であんな面倒な主人の世話に加え、屋敷を綺麗に維持するのが不可能なのは目に見えている。


(あいつは、まったく……)


 額を押さえたいが両手の荷物がそれを許さないため、盛大なため息だけをつくと、ルークはどうせ彼のいるであろう地下室へ向かい始めた。途中、屋敷の奥で、唯一の使用人である老女と出会い、「坊っちゃまは地下室ですよ」と微笑まれながら言われた。そのことに礼を言って、ルークはそそくさと、だけど右に左にと大きく揺れながら、歩みを進めた。


 二階の一番奥の、屋敷の主のための私室に入る。生活している気配の感じられない無機質な部屋で、ルークは一旦荷物を置き、壁際にある本棚――ちなみにかなり雑多な内容が集まっており、学術書から流行りの小説まであった――の、上から三段目、左から五冊目の本をぐいっと手前に傾ける。

 その途端、ガコン、という音ともに、本棚の一部が扉のようにわずかに開いた。ルークは本から手を離すと、再度荷物を両手に持ってその隠し扉の中に入っていく。


 明かりも何もない、空虚な闇が広がっていた。ルークはまたもや荷物を置いて後ろ手に扉を閉めると、闇に溶け込むようにして進んでいった。何も見ることができないが、そこには下へと続く階段があって、一歩一歩確かめながら、慎重に下りていく。

 ……しばらく歩き進めていれば、やがて下のほうにぼんやりとした光が見えてきた。それを目指すようにして、うっすらと見えるようになってきたため、ルークはわずかに足を早める。


 たどり着いたのは、本や骨、はたまたいつから放置してあるのかわからない汚れのこびりついた皿など、雑多な物に溢れた地下室だった。燭台はあるものの広範囲は照らしておらず、四隅に闇がうずくまっていて、うすぼんやりとしている。

 部屋の中心には机があり、ルークの青みがかった黒髪とは違い、闇のような漆黒の髪を持つ男性が、こちらに背を向けて座っていた。だらしなく背筋を丸めているが、おそらくまた〝骨〟を観察しているのだろうと、長い付き合いであるルークには察せられた。


 そっと息をついた。「オリオン」と呼びかける。

 ……しかし、呼びかけられた当人――オリオンは一切反応を示さなかった。ただひたすら、目の前にあるであろう骨に夢中になっている。

 こうなってしまえば中々戻ってこないだろう、というのは容易にわかった。彼とは幼いころからの知り合いだし、ルークも研究者のはしくれ。学院を卒業した専門家だ。王城に勤めてはいるものの今でも研究は好きで、その最中に邪魔されるのが嫌だというのは心得ていた。


 邪魔にならないよう部屋の隅にあった物――彼の研究対象である動物の骨や研究書以外――を退け、スペースを確保すると、その場に座り込む。

 そしてそのままじっと待った。ルークの気配を察知し、こちらを振り返るのを、ただひたすら。


 ……ようやっとオリオンがこちらを振り返ったのは、かなりの時間が経ってからだった。


「あれ、ルーク。いつの間にここに?」

「かなり前から」


 呑気な彼の言葉に呆れながら、ルークはそう返した。実際、正確な時刻はわからないものの、それなりの時間が経ったのだろう。ここには窓なんかないし、時計もない上、時刻を知らせる鐘の音も届かないからわからないが。

 オリオンはその返答だけで自分が研究にかかりきりになっていたことを自覚したのか、「あー……待たせたね、ごめん」と、気まずげに謝ってくる。


「大丈夫だ。俺だって似たような状況になったことがあったからな」

「さすが研究オタク」

「おまえもだろ」


 そう言えば、オリオンはカラリと笑って頭を掻いた。髪が伸び、ざっくばらんに切られていてボサボサだった髪が、さらにひどい有様となる。もう鳥の巣状態だ。

 そんな相変わらず……というか学院を卒業してからどんどん生活の乱れていく彼の様子に苦笑しながら、「ところで」と、口を開く。


「どこでもいいから、屋敷の一室を借りていいか? 本を置きたくて」

「もちろんいいけど……その両手にあるやつ? 何でそんなに持ってんの? 職場クビになった?」


 ルークが職場に書物を持ち込んで他の人と共有していたのは彼も知るところだったのだから、当然とも言える疑問だった。それにしてもニールに続いてまたもや辞職かと思われるとは……と、何だかおかしくなってきて思わず笑みをこぼす。そう思ってしまうだけの量なのだから、ある意味仕方がないのだが。

 苦笑をはきながら、「いや」とルークは答える。


「異動になってな……そこに本を置けないから、代わりに。〝あの家〟は防犯面でどうかと思うからな」

「まぁ、確かにそうだね。だから家を出るなら覚悟しとけよって言ったんだよ、僕は。周囲のことなんて気にしなくてもいいのに」


 その言葉が、ズキリと胸を痛ませる。心にできたかさぶたを引っ掻かれ、ルークは思わずそっと目を伏せた。彼のように周囲に無関心でいられたら、どれだけ良かっただろう。きっとたいそう生きやすかったに違いない。正直、彼がひどく羨ましくて、妬ましい。ルークはいつだって周囲を気にしてしまって、この家でひたすら研究に打ち込む彼のように自由に生きられないから。


 そのとき、「ルーク」と呼ばれた。顔を上げれば、髪と同じく闇のように濃い黒の双眸がこちらを見つめていた。真摯で静謐な瞳に、どうしてだか泣いてしまいたくなる。

 けれどそれをぐっとこらえ、ルークは「……何だ?」と、ぶっきらぼうに尋ねた。


「……いや、別に。ただ、今のうちに本読み返したら? って思っただけ。持って帰ってきたのなら、次の部署には置けないんでしょ? それなら今のうちに読み返しておいたほうがいいと思う」


 その奇妙なアドバイスに、ルークは首を傾げた。


「……どうしてそんなことを?」

「気づいてないようだけど、今の君、研究に行き詰まっているときの顔してるから」


 そう言って、オリオンは面白おかしそうに笑った。そんな表情をしていたのかと知り、ルークも思わず口元をほころばせる。「そうか」と、微苦笑をはいて告げた。


「だったら今から読んでくる。――邪魔したな」

「いや、良い気分転換になったからお互い様だよ。とりあえず頑張れ」

「ああ、おまえもな。新しい論文読めるの楽しみにしてる」

「絶対、度肝を抜かすようなやつ書くから、覚悟しておきなよ」

「それは楽しみだ」


 友の激励にそう返して、ルークはくるりと踵を返した。そして真っ暗な階段を見つめ、思わず遠い目をする。


(この階段を上らないといけないのか……)


 大量の本を持ったまま、およそ二階分の階段を。

 はぁ、とため息をつき、ルークはとぼとぼと歩き始めた。

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