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声なし王女と教育係  作者: 白藤結
第一部
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五章(2)

 ぱらり、とページをめくる。つい先日まではすらすらと脳に入ってきていた文字も、今はただ目が滑るだけでちっとも内容を理解できなかった。

 クラリスははぁ、とため息をつきながら本を閉じ、執務机の隅に置いた。そうして椅子の背にもたれかかると、ぼんやりと宙を眺める。


 気分はいつだって晴れなかった。何をしていても、どんなときだって――あまり良くないが舞踏会で誰かと話している最中も――ルークのことは脳裡から離れることはなく、クラリスは彼のことについてばかり考えてしまっていた。今は何をしているのだろう? 陰口とか言われて苦しんでいないだろうか? それともすぐに気持ちを切り替えて、クラリスがしようとしていたように研究に打ち込んでいる? ……なんとなく当たっているような気がする。


 ルークはいつだって感情の制御が上手だった。それこそあの夜のように、何を考えているのか時折まったくわからなくなるくらい、すごく……

 胸がいっぱいいっぱいになって思わず顔を顰めると、そのまま机に突っ伏しった。いつもならルークが注意してくれるだろうけれど、彼はもうここにはいない。さらに侍女の誰にもこの部屋に入らないよう言っていたから、注意する人は今現在周囲にはいなかった。


 瞼を閉じれば鮮やかに浮かび上がるのはあの夜のこと。もう苦しくて、悲しくて、クラリスは必死にその映像を消そうとする。が、それが消えることは決してなかった。

 ……クラリスが最後に見た、ルークの姿だから。

 大切な人のことを、忘れたくなくて。思い出せばつらいからきれいさっぱり忘れ去りたいのに、そんなことはしたくなくて。

 矛盾していることはわかっていたけど、それでもこの感情はどうしようもできなかった。


 ふっ、と、顔を伏せたまま(わら)う。オリオンと約束をしていたのに、結局こうして未練タラタラに彼のことを思っている。本当に――情けない有り様だった。

 大きなため息をつき、クラリスは体を起こすと椅子から立ち上がった。そのまま窓のそばにまで行き、空を眺める。

 今にも雨の降り出しそうな雲に覆われた空が、あたかもクラリスの心情を反映したかのようにそこにはあった。




 その夜もジェラードにエスコートされての舞踏会だった。クラリスは憂鬱な気分のまま、けれど何とか笑顔を取り繕って会場に入場する。

 今日は名前もよく知らない伯爵の主催する舞踏会だった。ルークが教えてくれた重要な貴族リストの中にはなかったはずだから、おそらくエリオットの派閥の者で、会場にいるのも彼の派閥の者ばかりだろう。視線がものすごく痛い。


 当たり前のことだが、敵対派閥の長が別の者への案内――と言えるのかは微妙な状況だが、一応そういったことになっている――として舞踏会に乗り込んできたのならば、何か裏があると考える。おそらくクラリスもそれを疑われて、ない腹を探られている状況なのだろう。……本当にジェラードに連れて来られただけなのに。


(ジェラード様も、そこらへんに気を使ってほしいんだけど……)


 心の中でそっとため息をつく。他国とはいえエスコートする者を敵対派閥の舞踏会へ連れて行くというのは、あまりにも常識外れな行動だった。こういうのはやめていただきたい。切実に。

 そんなことを思っていても、クラリスには何もできないのだが。というより注意する勇気がない。


(ルーク……)


 ぽつりと、心の中で呼びかける。少し前までは別に対立派閥のところへ連れて行かれたって、まったく気にもならなかった。

 いつだって隣に彼がいたから。

 二年間ずっと背中を見せてくれていて、クラリスが何か失敗しかけたときもどうにかして助けてくれる彼がいたから。彼さえいればクラリスは、たとえ対立派閥の者ばかりの場所でも初めての城の外でも、どんなところだって行けたのだ。それくらい、彼は必ず自分を守ってくれると、信じていたから。


 けれど彼はもう隣にはいない。

 去ってしまった。

 ――永遠に。

 その事実に改めて打ちひしがれていると、「どうかしましたか?」という声とともにぬっ、と視界に顔が映り込んだ。思慮深い――ただしルークとは違って冷淡な碧の双眸。ジェラードだ。


 クラリスは思わず目をぱちくりさせながら、――いえ、なんでも、と手話で伝える。エッタの声を聞き、ジェラードは「そうですか」と言って微かに表情を動かした。どこか悲しげな雰囲気を帯びているが、瞳の冷たさは変わっておらず、肌に刺さる視線が気持ち悪い。

 それを表情に出さないよう必死に取り繕っていると、そっと肩に手を回された。


「いつか話そうと思えたならば話してくださいね。私はクラリス様の味方ですから」


 その言葉に、ぞくりと背筋を悪寒が伝った。

 ルークからも似たような言葉を言われたことがある。そのときはその優しさが心地よくて安心したけれど、ジェラードのは違った。ひどく不快で、気持ち悪くて、おぞましい。思わず顔が引きつってないか不安になるほど。

 ――……ありがとうございます、とクラリスは何とかして伝えると、さりげなく彼の手を振り払おうとした。そのとき。


「王女殿下!」


 どこか聞き覚えのあるようなないような大声が聞こえ、クラリスは一瞬動きを止めるとそちらを振り返った。

 そこには赤茶色の髪を持つ、そこそこ体格の良い男性がいて、こちらに向かって近づいてきているところだった。一瞬誰だかわからず首を傾げかけたものの、その深い蒼の瞳を見て思い出した。ルークの〝自称〟ライバルでエリオットの派閥の人。確か名前は――


 ――こんばんは、ニール・ファービア殿。

「ああ、お久しぶりです、王女殿下!」


 相変わらずの大声で思わず耳を抑えたくなるのをこらえながらクラリスは手話を紡ぐ。彼はルークのライバルらしいから、十中八九学院の卒業生なのだろうが……正直こんな様子を見ては本当にそうなのか疑わしくなる。ルークも言葉にはしなかったものの彼のことをそれなりに認めているようだったから――そうでなければあれほど親しげな、オリオンに対するような態度を向けたりはしないだろう――成績は良いのだろうが……


 そんなことを思っていると、ニールは何やらポケットをゴソゴソと漁っていた。しかしなかなか見つからないようで「お?」とか「あ?」とか言いながら、かなりの時間全身のポケットというポケットに手を突っ込んで何かを探していた。

 どうしたのだろう? と不思議がっていれば、「見つけた!」と子供のように大声を出してジャケットの裏のポケットから純白の封筒を取り出し、クラリスに渡してきた。


「部屋で開いてください、とのことです。では!」


 それだけ言って、用は果たしたとばかりにニールはさっさか歩いていった。相変わらず嵐のような人だ、と思いながら封筒をひっくり返し、宛名を見て――思わず凍りつく。

 そこには「エリオット・ハルディア」と、流麗な字で書かれていた。

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