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声なし王女と教育係  作者: 白藤結
第一部
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四章(5)

 ルークは一人、人気(ひとけ)のない廊下を歩いていた。

 クラリスの顔色が悪かったため彼女を退場させて部屋に送り届けたものの、彼自身はまだ舞踏会に参加するため会場へ向かっていたのだ。

 行きと同じで人通りのない空間。こんなときは思考に没頭しやすい。


 いろいろと取り留めもなく考えていると、ふと、先ほどまでの出来事が思い起こされた。突然の隣国の第二王子の来訪に、舞踏会で第二王子と踊るクラリス。その光景が脳裡で明滅して、……過去と重なった。

 青空の下、さわさわと芝生が揺れ、木々が大きな影を落とす。そんな庭園で、短い蜂蜜色の髪が〝あの子〟の動きに合わせてなびいた。振り返った彼の瞳は。

 ――ルーク!

 首を振る。違う。似ているだけで、彼は〝あの子〟ではない。だから気に病む必要はないのだ。そうわかっている。理解している。

 それでも、気分は晴れなくて。


 ルークはいつものように前髪を掴もうとしたところで、そういえばオールバックにしていることに気づき、仕方なく額を押さえるだけに留める。すぐそばにあった窓を見れば、そこには苦しげな表情を浮かべた男性がいて、慌てて表情を取り繕った。それでもどこか感情が隠せていない気がして。


(クラリス様のことも言えないな……)


 いつも感情を隠すよう言っているのに、注意しているほうがこれでは。呆れ果ててしまう。心の中でこっそりため息をついた。

 そのとき、舞踏会の会場が近づいてきたからか、前方から一組の男女が近づいて来ているのが見えた。二人とも舞踏会を抜け出してきたのか煌びやかな服装のままで、男性のほうは楽しげだったが、女性のほうはひどく怯えている様子で、しきりに視線をさまよわせている。彼女はルークを見つけた途端ぱぁっと顔を輝かせたものの、すぐに何かに思い至ったのか恥ずかしげに視線を下へ向けた。その様子に思わず目を細める。


 確か今まで通ってきた廊下には休憩室があったはずで、男女で舞踏会を抜け出し、そちらの方向へ行くなど……〝そういうこと〟をするとしか思えない行動だ。しかし男性のほうはともかく女性はひどく怯えた様子。ということはつまり……

 ルークは男女とすれ違う瞬間、「すみません」と声をかけた。


「休憩室に向かわれるのですか?」

「はぁ?」


 男性は急に話しかけてきたルークに対し、苛立ちをあらわにした声を発してきた。貴族らしくないな……と思いつつ、ルークは落ち着いた態度で言葉を続ける。


「確かにそちらの女性は体調が悪そうですが……男女お二人ですと、誰かに見られたら変に邪推されてしまいますよ。たとえば……お二人は婚約者なのだろうか、とか。それで今後婚約発表をしないとなると、そうですね……社交界から爪弾きにされてしまうかもしれませんよ」


 わかりやすくそう言えば、男性はさっ、と顔色を変えた。ルークが暗に「このまま彼女と〝そういうこと〟をするのならば噂を流すぞ」と言ったことを理解したのだろう。ギリ、と鬼のような形相でこちらを睨みつけてきていた。


 男性はルークよりも少し年上で婚約者がいる可能性が高いし、いなくとも婚約者を決めるのは親だ。それにもかかわらずこのようなことを噂で流され、否応がなくこの女性と婚約しなければならない風潮になったのならば、親に叱られるのは目に見えていた。

 男はふんっと鼻を鳴らすと、何も言うことなく荒々しい足取りでそのまま進み始める。ルークはそれについて行き、肩を掴まれていた女性は体勢を崩しながらも、どこかほっとした様子で歩みを進めた。


 そのまま三人は無言で進み、やがて休憩室に着く。男性は去り際、「覚えてろよ」と不機嫌そうな声でルークを脅し、そのまま背を向けて来た道を戻っていった。……もしかしたらまた懲りずに新たな令嬢でも捕まえるのかもしれない。そう思い、つい顔を歪めると、女性が「ありがとうございました」と言ってきた。男性がいなくなって気が抜けたのか、彼女はへにゃりと柔らかな笑みを浮かべている。

 ルークは「いえ、」と口にした。


「あの男性を退けるためとはいえ、あなたたち二人の噂を流すと言ったのです。そうなってしまえばあなたにも迷惑がかかってしまったでしょう。それしかなかったとはいえ、申し訳ないことをしました」


 今回は男性が引いたため何とかなったものの、もしかしたらあの男性が喜んで本当に彼女を妻に迎える可能性だってあったのだ。そうなったらまた別の手を考えるだけだが、説得できないことだってあるかもしれない。もう少し情報収集をしてから挑むべきだった。


(しっかりしないとな……)


 ルークが見張っているとはいえ、クラリスにだってこのようなことは起こりうるのだ。きちんと常日頃から様々な情報を集め、このような場面でも効果的に対応できるようにすべきだろう。

 そう思って一人反省していると、「そんなことありません!」と女性が言った。


「あのままではどうなっていたのかわかりませんから。……本当にありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げる女性に困惑しつつ、ルークはお礼を受け取った。このままでは彼女はずっと礼を言い続けるだろうと思われたからだ。

 女性が顔を上げて微笑んだのを見て、もう大丈夫だろうと思い、「では、私はこれで」と休憩室の前から離れようとする。

 その直前、ふと気になり、ルークは尋ねた。


「そう言えばあの方は誰なのでしょう? 恥ずかしながら把握しておらず……」

「ああ、バトラム・クーレンス様ですわ。クーレンス公爵家の四男の」


 名前を教えられ、そう言えばそんなやつもいたな、と思い出す。本人がさほど優秀ではない上に公爵家の人間とはいえ四男であるため重要度が低く、記憶の奥底に埋もれてしまっていた。こういう一見さほど重要ではない人物も覚えておかねばな、と思いつつ、ルークは今度こそ一礼をしてその場を去っていった。



   ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



「くそっ、あの野郎め」


 静かな夜の庭園。バトラム・クーレンスは苛立たしげに壁を叩き、ケッ、と唾を吐いた。怒りが胸の底から溢れてくる。

 ルークらと別れたあと、彼はもう一度どこかの令嬢を捕まえ、今度こそ人気(ひとけ)のない場所で致そうとした。その際にふと頭に浮かんだのは、以前、王女に邪魔をされたせいで今日と同じように手を出せなかった令嬢――レティーシャ・ウィルターだった。リベンジをしようと何気なく話しかけたのだが、警戒されたのかまったく相手にされることなくて。


(今ごろあの女を連れ込んでいるはずだったのによォ……!)


 どれもこれも、邪魔しやがったあの男のせいだ!

 ――本当はそんなことないのだが、バトラムにとってはそれが真実だった。彼自身に何も悪いことはなく、女を連れ込むのは彼に認められた当然の権利であり、今現在女を抱けていないのはルークのせいだと思っていた。

 彼はギロリと鋭い眼光で虚空を睨みつける。

 そのとき――


「――そんなにあの男が煩わしい?」


 突然声をかけられ、バトラムはハッ、とそちらを向く。木陰に隠れるようにして、いつの間にか男が立っていた。

「誰だ!」と声を発せば、男は一歩こちらに近づき、その容貌が月明かりの下に現れる。

 バトラムは息を呑んだ。


「おまえは……」

「手を貸そうか?」


 そう言って、男は妖しく笑った。

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