三章(1)
亜麻色の髪が結い上げられ、編み込まれていく。いつもしているハーフアップを原型にしたもので、しかしなかなか細部が決まらないのか、すでにかなりの時間、侍女たちに「あーでもないこーでもない」と言われながらいじくり回されていた。
そんな状況に、確かに可愛くしてほしいとは思うが、せめて、せめてもう少しテキパキとやってほしい、とクラリスは思う。ずっと同じ体勢でいるのも疲れるものなのだ。こっそりとため息をつく。
春。今日はクラリスの社交界デビューの日だった。つい先日十五歳の誕生日を迎えて成人をし、今年の社交界が始まる今日から本格的に大人の一員として扱われるのだ。朝からしていた今夜の舞踏会への準備ももう大詰めで、入念に肌の手入れをして今日のために誂えたドレスを着ており、化粧も施されている。あとは今現在侍女たちが悩みながらいじっている髪型だけだった。
「こっちのほうが良いわ」「いえ、絶対にこっちよ」「どちらもダメだわ! クラリス様は肌が白いのですから……」などと何やら背後で言い争いが勃発しかけている侍女たちに呆れつつ、クラリスは腰から下げていた小さなベルを軽く鳴らした。チリン、と音が響き、言い争いに参加しかけていたエッタが勢いよくこちらを見る。それを確認して、クラリスは手を動かした。
――早くしてちょうだい。
「ですが、クラリス様……」
エッタはどこか釈然としない面持ちだった。完璧に仕上げたいのかもしれないが、すでに舞踏会の開始時刻が迫りつつある。それまでには別室へ行って待機していなければならなかった。
はぁ、とため息をつきながらクラリスは素早く手話を紡ぐ。
――迷うのだったらくじで決めたらどうかしら?
「く……? すみません、クラリス様。早すぎてわかりませんでした」
エッタは手話を覚えているとはいえ、常に多くの仕事が舞い込んでいた。そのためルークほど手話を読み止めるわけではなかったから、今回もそうだったのだろう。そのことに若干のもどかしさを感じつつも、クラリスは――何でもないわ、と返事をして続けた。
――とにかく急いでね。ルークと最終確認もしたいから。
「かしこまりました。――皆さん、早めに終わらせましょう」
エッタはその場にいる侍女全員に聞こえるように言い、髪をいじっていた侍女たちは慌てて髪を結い始めた。それぞれが妥協したのか、結局今までされたものとはまた違った髪型に落ち着く。いつものようにハーフアップを基本としながらも、上げる髪の量は多く、また編み込みもいつもより複雑なものとなっていた。
「終わりましたよ」と言われ、クラリスはそっと椅子から立ち上がる。いつものソファーに、そっと、ドレスがシワにならないよう慎重に腰掛けると、――ルークを呼んで、とエッタに伝えた。彼女はすぐさま部屋を飛び出し、しばらくしてルークとともに戻ってきた。その姿を見て、クラリスは思わず息を呑む。
今日は彼も手話通訳士としてクラリスに同行するため、いつもとは違って着飾っていたのだ。髪はワックスで固められており、珍しくオールバックになっていた。衣装もいつもより煌びやかなもので、ところどころに宝石が取り付けられており、シャンデリアの明かりを受けてキラキラと輝いている。
ルークがこちらを向いた。心なしか普段よりも美しい紫紺の双眸に、どきりと心臓が跳ねる。そっと目を逸らしつつ、手を動かした。
――ルーク、今日はよろしくね。
「はい、もちろんでございます。ではクラリス様、最終確認をしましょう」
そう言って、彼は滔々と今日の舞踏会の流れを語り始めた。クラリスは国王夫妻とともにほかの参加者が一通り揃ったあと、一番最後に会場へ入場する。そして国王の挨拶ののちにダンスが始まるのだ。まず中心で踊るのは国王夫妻で、そこにしばらくしてからクラリスとエリオットが加わる。その後は順に高位貴族からダンスに加わっていく、という流れだ。
そして一曲終わったら挨拶回りの始まり。高位貴族から順にやって来るので、彼らにひたすら挨拶をする。そこにいたってやっと、ルークがやって来るのだ。
「何か急を要する場合はベルを鳴らしてください。なるべくクラリス様のそばにいるようにしますし、聞こえればすぐさま駆けつけます」
――ええ。
ちらりとクラリスは腰から下げたベルを見た。なるべくドレスに隠れるようにしてある金属製のそれは今まで見たことのあるものとは違い、丸い形をしていて突起もついている。どういう仕組みなのかは興味がないため知らないが、その突起の部分を軽く指で動かせばベルが鳴るらしい。ドレスにつけても違和感のないよう、ところどころ色石も使って装飾されており、今回の社交界デビューのために特注で作らせたものだ。ルークが誰かと個人的な話をしていたりする際に、通訳が必要となったらこちらへ注目してもらうために鳴らすことになっている。
ちなみにルークがどうしても空いてないときは、侍女として同行するエッタにその場しのぎで通訳をしてもらうことになっていた。申し訳ないと思いながらもその話を持っていったとき、彼女は「舞踏会に参加する費用もないからちょうどいいです」と、寂しげに笑っていた。
胸を痛めつつもルークのほうを見て頷けば、彼は穏やかな面持ちで口元を少しだけ緩める。……彼はさほど緊張していないらしい。
(そうよね……ルークはとっくに成人してるんだもの。何度も経験があるのだから、慣れていて当然だわ)
そのことに少しだけむっとしつつ、クラリスはきゅ、と手を握りしめた。ルークが最終確認を始めたあたりからいよいよ社交界デビューをするのだ、という現実が迫ってきていて、緊張で心臓がひどくやかましく、指先が冷たかった。
そうしていると、ルークがこちらの様子に気づいたのか、「クラリス様」と柔らかな声で呼びかけてくる。そちらを見れば彼は「大丈夫ですよ」と言う。
「誰かに何か言われたとしても、クラリス様は立派な〝王女〟です。私が保証いたします」
その、言葉に。クラリスの肩からふっ、と力が抜けた。立派な王女……彼がそう言ってくれるのならば、きっと大丈夫だろう。今回のことも失敗なく乗り越えられるはずだ。
ゆるく口元に笑みを浮かべる。
――ありがとう。
「いえ、それだけクラリス様は努力なさってきたのですから。当然のことです」
彼の言葉に嬉しくなりつつ、クラリスはそっと手を離すと左手を手の甲を上にして上げた。ルークはすぐに意図を察し、手を重ねる。エスコートをしてもらうためのものだったが……彼の手は今までにないほどひんやりとしていた。
あれ? と思いつつ彼の手を見れば、若干いつもより肌が青白い気がする。もしかして――彼も緊張しているのだろうか? と思って、それも当たり前のことだと気づく。クラリスを今まで教育してきたのはルークだ。ここで失敗したら終わりで――クラリスの肩にルークの将来がすべてのしかかっているとも言える。
クラリスは右手だけを動かした。
――ルーク、見てて。絶対に成功させるから。
だから心配なんてしないで大丈夫。そういう意味合いを込めて伝えると、彼は淡く微笑んだ。
「はい、かしこまりました、クラリス様」
少しだけでも緊張がほぐれただろうか? と少し不安になりながらも、クラリスは立ち上がり、部屋を出た。
――間もなく舞踏会が始まる。




