二章(14)
ハプニングが多くありながらも茶会が終わり、エリオットは主催である母に儀礼的な挨拶をして去っていった。クラリスもそのあとに同じ挨拶をして去ろうとしたが、その間際、「クラリス」と呼び止められる。
母が、真剣な瞳でこちらを見つめていた。
――何でしょうか、母さま?
ルークがクラリスの手話を口にする。母は少しだけ苦しそうに顔を歪めたあと、「ごめんなさいね」と、じっ、とこちらを見つめながら謝罪の言葉を放った。どうしてそう言われるのかわからず、クラリスはきょとん、と思わず呆ける。
その間も、母は言葉を紡ぎ続けた。
「本当に、ごめんなさい。私はあなたの母親だったのに……あなたの可能性を、信じることができてなかったわ。こんなふうにお茶会ができるようになるなんて思ってなくて……最初から諦めていた。あなたは話せないのだから仕方がない。そう言い聞かせて、あなたのために何もしてこなかったわ」
「手話だって、私が探していればもっと早く見つかったでしょうに……」ぽつりと呟かれた言葉に、クラリスは首を横に振った。
――母さまのせいじゃないです。わたしだって母さまの立場だったらきっと諦めてしまうでしょうから。
ゆるゆると首を横に振る。けれど母の表情は一切変わらなくて、胸がツキリと痛んだ。
本当に、母のせいではないと思う。母には王妃としての務めがあった上に、クラリスのような〝欠陥品〟が生まれてしまったから、彼女自身も〝欠陥品〟だと口さがない人には言われただろうし、早く次の子を、という重圧もあったに違いない。クラリスのためにあるのかもわからない手話のような意思伝達手段を探す余裕などなかっただろうし、〝欠陥品〟と呼ばれる原因となった子どもにかかりきりになる心の余裕もまたなかっただろう。仕方ないことなのだ。そうクラリスは思う。
しかし母は首を振った。
「いいえ、私はあなたの母親ですもの……もっと気を遣うべきだったわ、ごめんなさい」
ゆっくりと頭を下げる母に、クラリスは右往左往するしかなかった。非があると思っていない人から謝られたところでどうすればいいのかなんてさっぱりわからない。母のせいではないのだから「許す」と伝えることはあまりしたくなかったし、「許さない」なんて豪語同断だ。はたしてどうすれば良いのか……
そんなことを思ってただひたすらあたふたとしていると、やがて母が顔を上げた。その表情はいつもの美しい笑みに戻っていて、先ほどまで苦しげに謝罪をしていたようにはまったく見えなかった。
母は笑う。嬉しげに。
「ねぇ、クラリス。話せないながらも手話を覚えて、様々なことをほかの人と同じようにできるようになったあなたは、私の誇りよ。さすが私たちの娘ね」
それはもしかしたら、何気なく思ったことなのかもしれない。自然と口からこぼれた言葉なのかもしれない。それでも。……いや、だからこそ。
クラリスにとってはこれ以上ないくらい嬉しいことで。
じんわりと胸が暖かくなってきて、頬が緩み、目頭が熱くなる。表情が取り繕えなくなりそうだったけれど、なんとかこらえて笑顔――たぶんかなり気の抜けたものになっている――を浮かべた。
――ありがとうございます、母さま。
ずっとずっと、話せないことを負い目に感じていた。コンプレックスだった。両親の娘だと堂々と胸を張れなくてつらかった。
だけどもうすべてが大丈夫になった。母が自分のことを『誇り』だと言ってくれたことが嬉しくて、幸せで。
ルークがクラリスの代わりに手話を見てその内容を伝えれば、母は珍しく破顔した。その表情は王妃としての作り笑いではなく、幼いころときどき見せてくれていた、慈愛に満ちたものだった。
今度こそしっかりと挨拶をして庭園を去る。来たときと同じ衛兵に開けてもらい、晴がましい気持ちで門を出た。けれどそれではいけないのでなるべく表情が緩まないよう意識しながら歩いていると、見えてきたのは薄い金髪の青年――エリオットを中心とした集団だった。彼はクラリスの姿を目に留めると、淡く微笑む。
「また会ったね」
――待ってたの?
そう尋ねれば、エリオットは「まあね」と言って苦笑した。「少し話したいことがあって」
その言葉にまったく思い当たることがなく首を傾げつつ、クラリスは――なに? と尋ねた。彼は自らの周りに立つ者たちに何か合図を送ると、こちらへ近づいてくる。そしてわずかに屈んでクラリスの耳元に口を近づけると、言った。
「君は何を望んでいるの? 何を手に入れたい?」
――何を望むのか、手に入れたいのか。
その質問の意図はわからない。わからないものの、クラリスはきゅ、と手を握りしめた。胸の奥がざわつく。そんなの、そんなの……
(――わたしだって知りたいわ)
エリオットが体を離した。目が、合う。じっ、と真摯なエメラルドの双眸に見つめられると、あたかも父と相対しているかのような気がしてきた。
彼は少し笑うと、「それだけ」と言ってくるりと身を翻して去っていく。あの様子だと、おそらく迷いを気づかれたに違いない。それがどことなく気に食わなかった。
姿が見えなくなったあと、ルークが「クラリス様」と呼びかけてきた。彼のほうに目を向ければ、ひどく困惑したような、焦ったような表情を浮かべていた。
「何を言われたのですか?」
どうやら彼には何も聞こえなかったらしい。そのことに安堵しながら、クラリスは手を振った。
――…………何も。
見え見えの嘘をついて、――ほら、行きましょう、と告げる。今はとにかくそのことについて触れられたくなかった。ルークはこんなにも自分に様々なことを教えて、未来の選択肢を増やそうとしてくれているのに、当のクラリスがまだ決められていないのは、後ろめたいような気がして。
一人、先を進んでいく。あとから大急ぎで皆がついてくる気配がした。……やっぱり、と、クラリスは思う。
(やっぱり、エリオットは苦手だわ)
クラリスよりも優秀だとか、認められているとか、そんな些細なことはどうでもいい。ただただ、苦手だった。すべてを見透かされているような気がして。クラリス自身でさえ知らないような自分までも、彼の目の前だと暴かれてしまうような気がして。
そのとき、「クラリス様!」と、ルークに呼ばれた。手首を掴まれ、視線が交わる。彼は何かに驚いたような表情を浮かべると、視線を逸らし――そしてわざとらしく真剣な面持ちを浮かべて言った。
「とりあえず、ダンスの練習を頑張りましょう。死ぬ気で頑張っていただきますよ」
……そういえばそうだった、と思い、クラリスも笑いながら頷いた。
――そうね。
醜い気持ちは、厳重に蓋をして胸の奥底に投げ捨てた。




