死に至るまで
―あれからどのくらいの月日が経っただろうか。俺は幾度となく"死"を繰り返してきた。いずれも失敗に終わっているが、その度に苦しんでいた。
ならば生きろと言われるも、生憎こちらにはそうする為の金が最早無い。金が欲しくて職に付いたが、毎日同じような事を繰り返し、ロボットのようにこき使われ、無表情・無感情のまま生活していた。
この職の唯一の救いは毎日同じような時間に帰れる事だったが、仕事の辛さを考えると割に合わなかった。それでも、両親の事を考えたら苦にはならなかった。
―しかしそれも過去の話。
あの日、1つの事故によって両親が亡くなった。あの時、俺が居れば助かったのだが、それすら叶わなかった。
しかも親父は多額の借金を抱えており、遺産を全て費やしても返済出来なかった。親父は俺を苦しめたくない、あるいは苦しんでいるのを見せたくなかったのか、俺には一切伝えなかった。挙句の果てに、借金の担保に家と土地を指定していて、住む場所すら失っていた。
残された物は何も無い。強いて言えば、今着ているこの服とSIMの無いスマホくらいだ。反面、失った物は"全て"だ。今日食べる食料すら無い。希望や勇気なんて物はとっくに無くなっている。感情なんて物ももはや思い出せない。仕事で仲間など作れるはずがない。学生時代の友達も皆離れていった。
こんな今、"さよなら"を伝える相手など居ない。俺は現世に何も残さずそっと死ぬ気で居た。しかし今回ばかりは"死"を成功させる前に"自分の存在"をどこかへ残しておきたかった。何故かは分からない。これが本能とやらなのか?それとも"死"に対する感情なのか?いずれにせよ、この事は誰にも分からない。
しかし、"自分の存在"を残すべき場所が自分には思いつかない。家も、家族も、友達も無い。ただ、この状況の中、何故かふと小学校の時のクラスメイトの住所をうっすらとだが思い出した。俺はその僅かな記憶に基づいて、その場所へと向かう事にした。途中で降った時雨が俺の感情を表しているようだった。
時雨が止んだ後、俺はそのクラスメイトの家に辿り着いた。俺がインターホンを鳴らすと、彼は素直に出てきた。もう20年も会っていないから思い出すのには時間が掛かったが、お互いうっすらと覚えていた。
二人は空白の20年を埋め合わすかのように話をしたが、どうやら苦しんでいるのは俺だけでないらしい。大震災や大不況、更には不治の病と色々苦労した人も居たらしい。中にはブラック企業に入社したが、あまりの苦しさに死んだ人も居た。
そんな話をした後、彼は自分のゲームプレイを一度見てほしいと言い、引き出しから古いゲーム機を取り出した。丁度自分が高校の時に流行っていたゲーム機で、自分には懐かしく思えた。聞けば彼はそのゲームの世界記録保持者らしい。彼は慣れた手付きでゲームを攻略していき、バグを多様してあっという間にクリアしてしまった。俺は画面と操作の両方を見ていたが、何をしているのかさっぱり分からなかった。スタッフロールで許されないとか何とか言っていたが、俺には理解出来なかった。
しばし経った後、久々に感情を思い出させた友達に"最後の"別れを告げ、俺は夜の街へと消えていった。コンビニの前を通ったときに遺書を書こうかと思ったが、伝える相手が居ないので書く事はやめた。
そして俺はとあるビルに隙を見て忍び込み、誰にも見つからずに屋上に向かい、自身の人生は呆気ない物だったと考え、自分の惨めさを泣いた。
夢が砕け散ったあの日、希望の灯火が消えたあの日、そして全てを失ったあの日。その度にに人を恨み、嘆き、苦しんだ。この辛さは二度と感じたくない。例え未来が成功しても、悲しみから逃れる事は出来ない。無が有に変わらないのと同じように、死んだ親は帰って来ない。当たり前の事なのだが、俺にはその事実を受け入れる事が出来なかった。ならば、親の所へ"帰ろう"ではないか。
俺は"最後の"覚悟を決め、靴を脱ぎ、ビルの端に立ち、親の元に向かう。
「親父、おふくろ、今から行くよ。」数日後、"彼"が持っていたスマホにはこのような文章が残されていた。
(死神のノートに続く)
この話は作者がガチで病んで自殺願望が湧いた時に書いた話です。
現代日本における自殺問題・労働問題辺りを意識して書いた話というなろう系では多分異質な作品。
この後に続く話が「死神のノート」という話。




