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燭蛾  作者: 美輪神 龍也
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第31話 F36ライトニング

四菱ホールディングスCSIRTの岡田は、棚橋の代理として業務に忙殺されていた。

三日前の月曜日、四菱自動車は記者会見を行い、道義的責任については謝罪をしたが、クレイオスの製造責任については明言を避けた。

全国ネットで放送されたこの会見に対して、一部のジャーナリストが批判し、批判に追随する声も相次いでいた。


「横尾君、明日も自動車で会議があるんだけど、深掘分析ディープアナリシスが重要なテーマなんだよ」

「そうですか。たしかに、深掘分析の結果次第では、四菱自動車も、ハッカーの攻撃を受けた被害者側だって証明できますから、世論に大きく影響しますね」

「そうなんだよ。去年十二月に、ハッキングによる自動運転車の事故の責任は国が保障するって、政府が方針発表したし」

「ええ、たしか…たとえば盗難車が事故を起こしたら、車の持ち主には責任が無く、事故を起こしたドライバーの責任だけを問う考え方と同じですよね」

「そう、それ。普通の事故だと保険使うと保険料が上がるけど、盗難車が事故を起こして保険使っても保険料は据え置き。考え方は一緒だよな」

「はい。そう考えるとなおさら、クレイオスがハッキングされてたことを深掘分析で証明出来るかどうかが、重要になってきますね。クレイオスはハッキングで操られてたのか、単なる誤作動だったのか……」

岡田が腕組みをして、悩ましい顔を向ける。

「で、これを明日私が、自動車の技術陣の前で説明しないといけないんだよ、TODOも含めて。ただ、棚橋部長や横尾君ほど知識が無いから、どうポイントを絞って説明したものか……」

「そうですね……僕から棚橋部長に、聞いておきましょうか?」

「え?それは助かる!それを明日の午前中に、私にも分かるように、説明してくれるかな?」

「はい、承知しました」


隆がさっそく棚橋にメッセージを送ると、棚橋が二つ返事で快諾し、二人はその日の夜、八重洲で会う約束をした。


※※※


同じ頃、四菱重工業の中会議室では、防衛事業部の武藤取締役事業部長と部下の橋本課長が、ずらりと並んだ書類の山を前にしていた。

「橋本君、これで全て揃ったんだな?」

「はい、プレゼン資料は全て揃いました。あとは取締役、予定価格調書のみです」

書類の前では橋本の部下たちが一部づつ手に取り、入念にチェックを行なっている。


この中会議室は半年前から、武藤が陣頭指揮を執る、政府の次期戦略防衛構想への入札準備室として使っている。

ロの字に並んだ長机の上には、四菱重工が提案する戦闘機F36ライトニングに関するプレゼン資料が、提案領域ごとに分けて置いてある。

F36ライトニングは最新鋭のステルス型戦闘機で、航空自衛隊や世界中の米軍が配備しているF35の後継機だ。

先の米朝首脳会談でトランプ大統領が金正恩総書記に、韓国の米軍の規模を縮小すると約束したことで、極東における日本の軍事力増強が、米国から日本への至上命令となった。

米国追従を掲げる安倍政権は、平成二十八年に計上した防衛費四兆円に上乗せする形で、二兆五千億円の追加予算を計上した。

この追加予算が、F36を中心とした防衛力強化に充てられ、四菱重工はF36のエンジン、組立て、アフターメンテナンスの三つの領域で入札に挑むことになった。


四菱重工は四菱ホールディングスの中で、自動車と双肩そうけんを成す事業会社であり、年商は四兆一千億円を誇る。

その中でも、インフラ、原子力、防衛宇宙の三大事業は、世界中の競合企業と抜きつ抜かれつの争いを繰り広げている。


「武藤取締役、レイシオンはどう出て来ますかね?」

レイシオンインダストリーズ社は、インフラ、原子力、軍事産業を中核事業に持つ米国の企業で、長年にわたる四菱重工のライバル会社だ。今回の入札には、四菱重工と全く同じ領域で入札表明をしており、事実上は四菱重工とレイシオンの一騎打ちだ。

「そうだな……先方は自衛隊との取引では我々に劣るが、米軍との取引実績が豊富だ。そこを前面に出すことは間違いない。今回、自衛隊に配備されるF36は、いわばテストを兼ねた導入で、その後米軍に配備されることは、既定路線だからな」

「そうですね。ただ、我が社も、自衛隊との取引実績で優勢ですし、民間機ですが、YRJで研鑽してきたノウハウも豊富です」

YRJは四菱リージョナルジェットの略称で、四菱重工と四菱航空機が共同開発した旅客機だ。

設計、開発、組立、試験、アフターまで四菱がワンストップで提供している。

「そうだな。そう考えるとあとは、入札価格の勝負だな。将来的な米軍配備を見据えて、今回の自衛隊の入札価格を低目に見積もり、どちらが価格で優位に立つか。そこが分かれ目だろう」

「そうですね。米軍への配備は将来的に、二千機は見込めますからね……F36の機体価格だけで、ざっと、三十兆円……」

武藤が頷き大きく溜息をつく。

「我社も社運を賭けて挑むが、敵も同様だろう」

「はい、あらためて気合いが入ります」

「うむ、いよいよ入札も近い。心して掛かろう」

「はい!」


橋本は武藤が去った後も、部下達と夜遅くまで資料のチェックに励んだ。


※※※


夜七時にしては空が明るいこの日、東京八重洲の飲屋街は多くのビジネスマンで賑わっていた。

八重洲はニュース映像の印象もあり、ビジネス街のイメージが強いが、百店を超える飲食店が軒を連ねる、多国籍のビジネスマンで賑わう繁華街でもある。


和風割烹を模した落ち着いた雰囲気の居酒屋で、隆と棚橋はカウンターに並んで座り、ビールで乾杯した。

「部長、お忙しい中すみません。あと…本当に僕のせいで、今回は申し訳ありません」

ジョッキを置いた隆が神妙な顔で頭を下げる。

「横尾君、もう済んだことだ。それに、今はヒマを持て余してるよ」

棚橋が笑顔で答える。

「本当に、すみません……」

笑顔で返された隆は、余計に心苦しくなった。

「よし、その話はここまでだ。それより、ディープアナリシスの話だろ?」

「はい、岡田課長も来れれば良かったんですが、まだ会社です…」

「岡田課長には苦労かけるな……まぁ、頑張ってもらうしかないが、スキルアップの絶好の機会でもあるしな。彼なら大丈夫だろう」

自分のせいで謹慎処分になった棚橋が、意外にも淡々としていることで、隆は少し、罪の意識が和らいだ。


「本題だが、本来は即時分析でリアルタイムなログの監視が出来ていれば良かったんだが、今となっては手遅れだ」

「はい、そうなると、ネットワークフォレンジックに移るしかないですよね」

「うむ。まぁ遡及して出来る範囲に限定されるが、ネットワークログやPCAPの分析、サーバーや端末などハードウェアのデジタルフォレンジック、ハッカーが仕込んだスクリプトが見つかれば検体解析。そして、これらを全て行った上での、攻撃全容解析。ここまで出来て始めて、ハッカーがクレイオスを操作していたことが証明できる」

その後も棚橋は隆に、深掘分析の具体的な方法を、時間を掛けて丁寧に説明した。


「部長、ありがとうございます。本当に勉強になりました」

「あとは、岡田課長に上手に咀嚼そしゃくして伝えてくれ」

「はい、わかりました……僕にとってもクレイオスのセキュリティホールを明確にすることは、すごく意味がありますし……」

棚橋が隆の微妙な言い回しに気付く。

「それは…CSIRTの役割としての意味と、それ以外に横尾君にとって、別の意味がある、ということか…?」

隆は婚約者の香織が銀座の事故で意識不明になったことを、会社の誰にも話していなかった。

公使をきっちり分けるのが隆のスタンスで、また、話す機会も無く黙っていた。

しかし、上司であり頼れる先輩でもある棚橋に、隆は自然に経緯を打ち明けた。


「–––– それで横尾君は、規程を犯してまで自動車の機密情報にアクセスしたのか……知らなかった……」

「はい、すみません……どうしてもargusが許せなくて……それと、サイバーセキュリティに対する四菱の危機意識の低さに危機感を感じて……」

「そうだったのか……。それで、香織さんはまだ……」

「ええ。命の危険は乗り越えました。ただ……意識は戻らないままです……それがこの間の事故で、香織と同じ目に遭った人があんなにも増えてしまって…………本当に、奴らを許せません」

「……そうだよな」


その後も二人は一時間ほど話し、会計は棚橋が奢ってくれることになった。

隆は先に店を出て、入口近くから会計をする棚橋を見ていると、スーツを着た白人男性が棚橋に話しかけ、会話をしている姿が目に入った。

「すまん、お待たせして」

「部長さっきのあの外人、お知り合いですか?」

「あ、いや…私を知り合いと勘違いしたらしくてな。白人には東洋人が、みな同じ顔に見えるって言うからな」

「そうだったんですね……あ、部長、ご馳走さまでした!」

「いや。また何かあれば、遠慮なく連絡してくれ。私も会社のことが気になるしな」

「はい、そうさせて頂きます」


その後、電車で帰る隆は八重洲地下街への階段を降り、棚橋はタクシーを拾いそれぞれ帰路についた。

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