第30話 彫金
中井を離れた英二と西は、英二の判断で、南千住のビジネスホテルに入った。南千住は山手線の外側に位置し、中井からは二十キロほど離れている。
英二が住む北千住とは荒川を隔てて一駅の距離だ。
狭いワンルームのベッドに腰掛けた西は、煙草を咥え、英二にも箱を向ける。
「いや、俺はやらない。構わず吸ってくれ」
頷いた西はポケットを探り出した。
「これで良ければ」
火を探していると察した英二が、ジッポのライターを投げる。
キャッチした西は火をつけようとして、手に馴染む感じに気付く。
銀無垢のジッポの蓋の上側に”L to M”と彫金が施されている。
探していた、リンがプレゼントしたジッポだった。
–––– なんで、この男がこれを……?こいつは何者なんだ?……
西は動揺を隠しホイールを回して火花を散らそうとするが、指の力加減が上手くいかず、何度目かにようやく着火した。
「あ、あんた、名前は?」
「伊吹だ。あんたは?」
「俺は…西」
「……西さん、彼女のことは…残念だったな……」
西はカーペットの染みにしばらく目を落とし、ボソリと口を開いた。
「–––– 俺のせいで…リンを殺した……」
「……あんた、復讐しようとか、考えてないだろうな?」
西は急に顔を上げ大声でまくし立てる。
「考えるに決まってんだろ!全員ぶっ殺す!リンが浮かばれねぇだろ!」
「そうか。ただその身体じゃ、返り討ちに遭うだけだろう」
「ああ…今すぐはやらねぇ。隙を狙ってやる。直にだ……ぶっ殺す」
西は指先に怒りを込め煙草を揉み消す。
「伊吹さん、あんたも新道組と揉めてんのか?」
「いや、俺は、ばあちゃんの二百万を取り返しに行っただけだ」
西が煙草を咥えながら聞く。
「二百万?……何の金だ?」
「詐欺に遣られたんだよ。オレオレ詐欺」
火をつけようとした西の動きが、一瞬固まる。
「あの新道組がやってる詐欺に、コツコツ貯めてきたばあちゃんのお金を、騙し取られた……」
「そ…そうなのか……」
「ああ。必ず取り戻す。それだけだ」
真っ直ぐに迷い無く言い切る英二の眼を、西は直視出来なかった。
「……でも伊吹さん、相手はヤクザだ。あんた、怖くないのか?」
「いや、ヤクザを怖いとは思わない」
英二の半端ない強さを目の当たりにしていた西は頷いたが、ひとつ疑問が浮かんだ。
「だったら、あんた怖いもん無いのか?」
「いや…俺が怖いのは……」
言いかけた英二が壁時計に目をやる。深夜の十二時を回ろうとしていた。
「もうこんな時間だ、俺は帰る。明日、包帯とか持ってきてやる」
英二はそう言い残し、部屋を後にした。
独りになった西がジッポの彫金を指先で擦っていると、リンと過ごした思い出が脳裏に溢れてきた。
自分に優しくしてくれた、ただ一人の人だった。
その人はもういない。
優しく微笑んでくれたリンは、もういない。
どれほど足掻こうが、二度とリンに会えない。
ベッドに浅く腰掛け背中を丸めた西は、煙草を咥えたまま火をつけることなく、ジッポを握りしめた。
ジッポの蓋は小刻みに震え、カチャカチャカチャと鳴り続けた。




