第29話 紅い華
新大久保の古いマンションの四階から、乾いた破裂音が窓ガラス越しに外に漏れ、下を歩いていた通行人が思わず空を見上げる。
黒木が引金を引くよりも早く、這いつくばった西の改造銃が火を噴き、黒木の左太腿を貫いた。
黒木の銃弾は蛍光灯を砕き、細かいガラスの破片が降り注ぐ。
太腿を掴む黒木の左指の隙間から血が溢れ、顔が歪む。
英二は頭を低くし背中を丸めると、息がかかるほどの至近距離に疾り、渾身の右ストレートで黒木の鼻骨を潰す。
黒木が咄嗟に鼻を押さえ腹はガラ空きだ。
英二は「ひゅっ」と一息吸い、地の底から突き出るような左アッパーを黒木の肝臓に突き刺す。
一瞬息が詰まり黒木がぼんやりと英二を見る。
右手の指から銃が滑り落ちる。
英二は「ふっ!」と一息吐き、左右のフックで黒木の頭を揺らし、さらに頭を少し下げると直線を引くような右ストレートで、顎先を跳ね上げた。
頭をガクンと左に傾げた黒木は、よろよろっと足を交差させ、そのままドサッと横倒しになった。
英二は深く深呼吸をし、掌で汗を拭う。
「あんた、大丈夫か?」
西に肩を貸し立たせる。
「あ、あんた…何者だ……?」
「それより、ここは出た方がいい」
英二は大久保通りでタクシーを拾い、西と後部座席に滑り込む。
「とりあえず出してください」
タクシーが走り出した数秒後、反対車線に黒いセダンが滑り込んだ。
セダンを降りた柴崎らは小走りで歩道を横切り、マンションに消えていった。
※※※
「すまないが、この車で中井に寄らせてくれないか?」
「ああ、構わないが」
「助かる。大事な女を待たせてるんだ」
タクシーがマンションの正面に横付けすると、
「ここで待ってて貰えるか?」と西が聞く。
「…なんかの縁だ、付き合う」
英二も車を降り、二人はロビーから部屋のあるフロアに上がる。
西が鍵を差し込みガチンと捻り、ノブを回し扉を引くが、扉が枠にガツンとぶつかる。
西の顔色がサッと変わる。
もう一度鍵穴に鍵を挿そうとするが、焦って鍵先が滑る。
ようやく鍵を入れ、ガシャンとシリンダーを回すと扉が開いた。
玄関口に逆さになったスニーカーや放り投げたようにサンダルが散らばり、玄関マットが斜めに波打っている。
「リン…」
西はリビングに走り扉を開ける。
西陽で暖まったリビングの熱気に、血の、鉄のような生々しい匂いが混ざり鼻腔に絡みつく。
ベランダから射し込む陽射しが、血で赤黒く変色した深紅色のワンピースと、赤く染まった月下美人の花を照らしている。
リンの身体から流れ出て床に広がる血がワンピースの裾に染みて、その全体が、紅い華のように見えた。
リンは、ベランダのすぐ横の壁に背持たれ、頭をうな垂れて、死んでいた。
「リン!リン!」
西は駆け寄ると、まだ生暖かい血の泥濘みに両膝をつき、リンの両肩を激しく掴み前後に激しく揺さぶる。
意思を持たないリンの頭が左右にぐらぐらと揺れる。
「おいっ!リン!リン!」
なおも揺さぶる。
首が取れかけた人形のように頭がぐらぐら揺れる。
「リン……リン……」
西は血塗れの両手でリンの頬を持ち上げる。
目を閉じ生気を無くした青白い顔が正面を向く。
「あ…あ…………」
西は、瞳孔から光を失ったリンの頬のあたりを両手で覆うように持ち、息が掛かるほど顔を近づけ、固まったようにじっと凝視する。
後ろで見守っていた英二が、右の手の甲を下に向けたリンの指先に気づく。
–––– あなたを あいしています
息絶える寸前に、リンが血で綴ったものだった。
「我爱你」
西がリンと初めて一夜を過ごした夜、リンが西に教えた言葉だ。
「我…爱…你……凛……我爱你……」
西はリンの亡骸を抱きしめ、悲しみを帯びた尾を引くような嗚咽を漏らし続けた。
しばらくすると射し込む陽がやわらぎ、陽が落ち始めていた。
英二が西の肩に手をかける。
「あんた、ここに長居するのは不味い……もう、彼女を眠らせてやろう……」
英二は西を引き摺るようにして、マンションを後にした。
リンの左の掌は、産まれて来る子を庇うように、お腹に添えられていた。




