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燭蛾  作者: 美輪神 龍也
27/53

第27話 至近距離


水曜日、英二は朝から香織の見舞いに訪れていた。

容態は幸いに安定しているが、意識は戻らないままだ。

英二はベッド脇の丸椅子に座り、香織の右手を少し持ち上げると、消毒済のビニール袋に入れた撫で守りをその下に置き、右手を被せた。

手袋をはめた手で香織の頭を撫でながら、枕元のクマのぬいぐるみに目をやると、幼い頃の香織の記憶が蘇ってきた。



夜の訪れが早くなった秋の終わり頃、五歳の香織は一人で家を抜け出して、帰ってこない英二を探しに駅の方に向かった。

 いつも英二に手を引かれて歩く道端でしばらく待ったが、英二は帰ってこない。

香織は道沿いの公園に入ると、二メートルほどのジャングルジムをよじのぼ登り、高いところから英二を探した。

入れ違いで帰宅した英二は香織がいないことに気づき、慌てて探しに出た。

すでにとっぷりと日が暮れて外は真っ暗だ。

英二が小走りで公園の前まで来たとき、微かに女の子の鳴き声が聞こえた。

英二が公園に入ると、ジャングルジムのてっぺんで、クマのぬいぐるみを抱いた香織が泣いていた。香織は登ったはいいが、怖くて降りられなくなったのだ。

英二も上まで上がり、香織が泣き止むのをひとしきり待つ。

「香織、もう大丈夫だよ。泣かないの」

香織がうんとうなずき泣き笑う。

二人は一段ずつゆっくりと地上に降りた。

「香ちゃん!英ちゃん!」

二人が顔を上げると、心配して二人を探しに来た、エプロン姿の初江が駆け寄ってきた。

英二と初江に手を引かれて家路を歩く香織は、嬉しそうに二人の顔を見上げ、ニコニコと笑った。



いつも英二の後をくっついて歩いていた香織に、将来を約束した隆君が現れた。

–––– これからは俺の後ろじゃなく、隆君の隣を一緒に歩いて行くんだ ––––

そう願っていた矢先に、香織は意識不明になった。

英二は胸が締め付けられる思いだった。


※※※


応接室の革張りのソファーに踏ん反り返る大川は、靴の先でせわしなく床を鳴らしていた。

「柴崎、二日経つが、奴を捕まえたんだろうな……」

「いえ……申し訳、ありません」

大川は目を剥き足を上げると、応接テーブルを蹴り飛ばした。

向かいに立つ柴崎のすねに角がガツンと当たる。

「ぐっ!……」

柴崎が顔をしかめよろける。

柴崎は月火と二日間、回収班の黒木らと共に、新大久保の西の事務所や、大久保界隈をくまなく探し廻るも、西の消息を掴めずにいた。

「柴崎、お前が西の七千五百万、立て替えんのか?」

「は、いえ……」

「どう始末つけるか聞いてんだバカヤロウ!」

怒声に心臓がぎゅっとなる。

大川が突然ずいと立ち上がり、柴崎は咄嗟に身構えた。

「おい、黒川んとこのお前、ちょっとこい」

「は、はい!」

大川は手帳に何かを走り書きし、若手に渡す。

「ここに電話で確認しろ」

「承知しました!」

「誰か車廻してくれ、出掛ける。お前らは西の捜索を続けろ。今日中に連れて来い」

「はい!」

大川の車を全員で見送り、柴崎らは西の捜索に走った。


※※※


玄関口で靴を履く西の背中に、リンが話しかける。

血のように赤い深紅色しんこうしょくに純白の月下美人をあしらったワンピースは、西のお気に入りだ。

ここ数日険しい表情の西に喜んで貰おうと、リンは朝から、西が好きなワンピースでお洒落をしていた。

振り向いた西が、リンの美しさに目尻を下げる。

「守さん、帰りは何時ころ?」

「ああ、二時間くらいで帰る」

「気をつけてね……」

組同士の抗争中と信じ、心配そうに西の目を覗き込む。

「ああ、大丈夫だ」

玄関扉から足を踏み出した西が振り返る。

「リン、俺が帰るまでは、誰か来ても開けなくていい。絶対にだ」

「うん、わかった。気をつけていってらっしゃい」

不安な気持ちを隠し、リンは微笑みながら扉を閉めた。

西が最後に目にしたリンの笑顔だった。


※※※


病院を後にした英二は、築地駅から地下鉄とJRを乗り継ぎ、新大久保駅で降りた。

改札を左に折れ数分歩き、大久保通り沿いに建つ、西の事務所があるマンションに足を踏み入れた。

エレベーターで四階まで上がり事務所前に来ると、ドアノブをガチャガチャと回してみる。

やはり人の気配がしない。

一旦マンションを出た英二は、詐欺グループの動きを思い返していた。

受け子の説明会は大久保中央公園。その後監禁されたのは公園から近い歌舞伎町のビル。金が集まるのはこのマンションだ。奴らは以外と狭い範囲で行動している。

英二は歌舞伎町方面に足を向けた。


※※※


同じ頃、西は英二のすぐ近くに居た。

新大久保駅で降りた西は、右手のガードを抜けた先にある、通称コリアンタウンに向かう。

韓流ショップや飲食店などが雑然と軒を構える通りは、幸いに平日でも人が溢れ、帽子とサングラスで変装した西を雑踏が隠してくれた。

コリアンタウンを十メートルほど歩いた西は、左手の、建物に挟まれた路地に入る。

日差しが眩しい表通りと違い仄暗ほのぐらい路地は、カビと小便が混ざり合ったような嫌な臭いがする。

西は口で息をしながら、古い二階建てアパートの赤錆びた階段を上がる。

入口扉の右側の、腰の高さほどの位置に、三十センチ四方の小窓と、その下に同じ幅の棚があり、円形の底にイボイボが付いた薄緑色のトレーが置いてある。

昔のパチンコ屋の景品交換所のようだ。

 西は注文した番号のメモと札束を入れた紙袋をトレーに乗せ、小窓の奥に押しやる。

場の雰囲気にそぐわない札束を数える機械の音がババババッと鳴る。

五分ほど待つと、同じ紙袋がトレーに乗って出てきた。西がその場で袋を開け覗き込んでいると、小窓から青白い老人の右手がのっそりと出て、しっしと追い払われた。


西は通り沿いのカフェに入り、一番奥の角の席に座ると、紙袋の中身を確かめる。

二人の偽造戸籍と偽造パスポートの下に、リボルバータイプの改造銃が横たわっていた。

逃亡の準備が少しづつ整い、西の顔に安堵の色が浮かぶ。現金はまだ一千三百万ほどあり、海外逃亡も可能だ。西のマンションは、組の誰にも知られていないため、しばらくは時間稼ぎができる。

その間に西はマレーシア辺りで家具付きの物件を探し、一気にリンと高飛びする計画だった。

マレーシアなら、一千三百万が四千万ほどの価値になる。

カフェを出た西はリンの元に帰るため、新大久保駅に向かった。


※※※


店先に黒塗りのセダンが横付けし、新道組の大川が扉を押し開けると、陽気妃の店長は慌てて煙草を揉み消した。

「どうだ、儲かってるか?」

「あ、はい!お陰様でなんとか……事務長がこちらにお見えになるなんて……」

「最近、西は来てるか?」

「西さん……いえ、もうしばらくご無沙汰しています」

「そうか。あいつが入れ込んでた中国の綺麗な女いたな?」

「……はい。たしか……リンちゃんです」

「そのリンはまだ勤めてるのか?」

「いえ、あのは、半年ほど前に辞めました」

「そうか……送り用のキャストの住所あるだろ。ちょっと見せてみろ」

「はい、すみません、少しお待ちを……」

送りとは、終電が過ぎた後に店の女の子を、車で家まで送り届けることだ。


店長が戻るまでの間、大川がキャストの顔写真を眺めていると、携帯に着信が入った。

「事務長、わかりました。西が降りたのは上落合、最寄りは西武新宿の中井駅です」

「ご苦労。柴崎に中井に向かえと伝えろ」


大川は以前、卑弥娘での慰労会の帰り際、西にタクシーチケットを渡していた。西は降車のとき、チケットに降りた場所を書かなかったため、運転手が代わりに場所を記入していた。タクシーチケットはクレジットカード会社が発行しているため、経費処理上で乗降の場所を知りたいとカード会社に問い合わせれば、教えて貰える。


「事務長、お待たせしました。こちらです」

住所録を開いた店長がリンの名前を指差す。

大川は目を走らせながら柴崎の携帯を鳴らし、店長に携帯を渡す。

「柴崎です」

「柴崎、今から読み上げる住所に向かえ。おい、読み上げろ」

「はい。新宿区上落合一の二四の……」


柴崎ら三人は、リンが待つマンションに向けハンドルを切った。


※※※


大久保中央公園に着いた英二が、木陰でペットボトルの水を飲んでいると、奥の喫煙ブースから大声で話す声が聞こえてきた。

「–––– ああ、わかった。直ぐにそっちに向かう」

聴いたことのある声だ。

英二は樹の陰から様子を伺う。

喫煙ブースから出てきた男は、携帯を片手に慌てた様子で公園を出て行った。


※※※


数分前、新大久保駅の改札に入りかけた西は気が変わり、早足でオレオレ詐欺の事務所に向かった。

近くに着くなり西は、大久保通りを挟んだ反対側から周囲を見渡し、入口付近に知った顔がいないことを確認するや通りを渡り、中に入った。

エレベーターで四階に上がった西は、少し腰を屈めて、エレベーターホールから事務所に繋がる廊下を歩き、ライターを探し始めた。

少しの間、リンと離れることになるため、西はリンがくれたライターを持っていたかった。

事務所から人の気配がしないことを確認すると、入口の扉を開け、中に入る。生暖かい、こもった空気が出てくる。

長机の下や奥の金庫部屋をくまなく探すも見つからない。

西は事務所を出ると非常扉を押し開け、手すり越しに下を見ていると、階下からガンガンガンと複数の靴音が登って来る。

慌ててエレベーターホールに戻ると、住人らしき若い女性がエレベーター待ちをしている。

上がってくるエレベーターのランプが三階に点灯したとき、奥の非常扉が開く音がして、廊下に複数の足音が響き、近づいてきた。

足音が事務所の前で止まったとき、目の前のエレベーターの扉が開き、西は女性の後ろから乗り込む。

無事一階に降りた西は、女性の斜め後ろを微妙な距離で着いて歩き、正面の入口を一緒に出た。

ほっとして手の甲で汗を拭った西の左腕を、黒木の右手ががしっと掴んだ。

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