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燭蛾  作者: 美輪神 龍也
23/53

第23話 旱星

猛暑日の金曜日、午前九時過ぎ。

インフォメールのチェックをしていた田中奈々は、一通のメールに目を止めた。

「……来た」

一読した田中は束の間手を止めて、周囲を見渡す。

あいにく隣の先輩豊原や、主任の篠原はミーティングで離席中だ。

田中は迷わず、受話器に手を伸ばした。


出社早々に隆の内線が鳴る。

「はい、CSIRT横尾です」

「HD広報の田中です。おはようございます」

「あ、田中さん、おはようございます」

「……二通目が来ました、argusから……」

「え!…」

「出社してすぐにインフォを確認したら、九時に届いてました…」

「わかりました。サーバーから直接受信するので、転送は不要です。あとはこちらで預かります」


※※※


‾‾‾‾

四菱グループホールディングス

ご担当者 殿

お世話になります。

怨社のクレイオスが起こした事故、

大変残念です。

しかし、クレイオスの重大な欠陥を

放置している怨社は、もっと残念です。

明日、私の警告を無視したことを、

後悔することになるでしょう。

argus

‾‾‾‾


隆が転送したメールを、部長の棚橋と課長の岡田もデスクのPCで確認する。

「横尾君…これは……?」

岡田が狼狽うろたえた声を出す。

「はい……これは、argusからの二通目のメールです……犯行予告だと思います」

「たしかに……明日、何かやる気だ……」

岡田がゴクリと唾を飲み込む。

「……明日」

棚橋が腕組みし、つぶやく。

「部長、これはさすがに、警察に……」

「私もそう思う。ただ岡田課長、わかってると思うが、判断するのは自動車だ」

「どうしましょう……」

「横尾君、自動車総務に転送してくれるか?私は、今から自動車に行ってくる」

「わかりました。今すぐ転送します」


棚橋は鞄を手にすると、足早にオフィスを後にした。


「岡田課長、どう思いますか?」

「どうって…自動車がどう判断するかってこと?」

「はい」

「うーん横尾君……正直、難しい質問だよ。クレイオスは、四菱自動車久々の大ヒットで、予約が十二万台を超えたんだよ」

「十二万台…それはすごい人気ですね」

「そう。テスラのモデル3(スリー)の四十万台には及ばないけど、四菱にしたら場外ホームランレベル」

「しかも、事故の前の話だけど、予約の勢いを見て、増産体制も敷いたばかりなんだよ。しかも、社長肝いりのプロジェクトだ……」

「つまり課長、この二通目のメールを目の当たりにしても……」

「そうだね。せいぜい、脆弱性を検証する間は納車を延期するとか…せいぜいね」

「そうですか …でも、それでセキュリティホールが埋まって、被害が無くなるなら、僕は納得します……」

隆はそう言いながらも、複雑な思いに囚われていた。


仮に製品に、セキュリティ上の脆弱性があったとしても、それをサービス提供者側が消費者に隠し、ソフトウェアやファームウェアのアップデートと称して、脆弱性を修正したもので上書きしてしまえば、消費者は気付かないままだ。

つまり、不具合を隠蔽するもしないも、提供者側の良心次第だ。

何年後かに、IoT製品が当たり前に家庭に入り込み、消費者が知らないところで、個人情報や家庭内の映像が漏れて悪用されたとしても、仕様上のミスをたやすく隠蔽することが可能となれば、原因を突き止めることが、今以上に、困難になるかも知れない。

四菱自動車が、納車を延期している間にセキュリティホールを埋め、何事も無かったかのようにクレイオスを納車することも可能だ。


隆はこうしたIoT社会の怖さを、あらためて感じていた。


※※※


午後になり帰社した棚橋は、すぐさま二人を応接室に呼んだ。

「部長、いかがでしたか?」

棚橋は渋い表情で束の間黙っていたが、しばらくすると固く結んだ口を開いた。

「……残念だが、四菱自動車としては、特に対応は取らないそうだ……」

予想はしていたが、二人とも言葉が出ない。

「……せめて、納車延期とか……」

腕組みをした棚橋は首を横に振る。

「それも、無い」

「ああ、ウチの会社、どうなってんだ」


棚橋がふーっと溜息を一つ吐き出し、二人の目を見る。

「現時点でこれ以上、我々に出来ることはない。あとは、明日何事も起きないことを、祈るしかない……」

「たしかに、そうですね……」


三人は重い空気を引きったまま、応接室を出た。


※※※


同じ金曜日の夜、新宿区中井の古いマンションの廊下に、美味しそうな中華の香りが漂っていた。

料理をするリンの後ろ姿を見ながら、西守は久しぶりの休暇を満喫していた。


水曜日にヤバイ奴から逃げた後、昨日今日と西は、二日間オレオレ詐欺の事務所を閉めていた。

またいつ、ヤバイ奴の襲撃を受けるかも知れない。慎重な西は、迷わず休業にした。

もちろん、組には内緒のため、掛け子には自腹で二日分の時給を多めに払い、口止めした。

そして、肝心の二日分の回収金は、仮想通貨から用立てれば事足りる。


回収班は口止めせずとも、素人に詰められたことを、黒木がわざわざ組に報告する筈がない。

そんなことがバレたら、特殊詐欺を統轄する大川事務長の逆鱗に触れ、下手打てば無縁仏になるのがオチだ。


当然、特殊詐欺は平日が勝負のため、平日休むことは御法度ごはっとだ。

ただ、西守程度のエリア長クラスだと、土日も組の用事で突然呼び出されることも多く、西はオレオレ詐欺を始めてからここ数年、丸一日休んだことが無かった。

しかし、この二日間は愛するリンと、ずっと一緒に居る。

しかも、料理上手なリンの手料理を、心ゆくまでじっくりと味わえる。

このまま手持ちの金が増え続けて、足抜けしたら、リンにオーナーシェフを任せて、中華料理店を開くのもアリだ。

美人シェフのチャイニーズレストラン、悪くない。

そんな妄想に目じりを下げていると、「守さん、ご飯できたよ」とリンが料理を運んできた。


リンに紹興酒をお酌してもらい、手料理を平らげた西は、煙草を吸うためスマホを片手に、ベランダに出た。妊婦のリンへの気遣いだ。


西がコールマンのラウンジチェアに腰掛け、夜空を見上げると、旱星ひでりぼしあかく輝いていた。

珍しい星を見上げながら一服していると、スマホが振動し着信を告げる。

「西です」

「柴崎だ。お前、電話でろよ」

柴崎は城北ブロックのブロック長で、西の直属の上司にあたる。

柴崎は、水曜日に西が金庫部屋で潜伏していた時に電話を掛けたが、その後西がスマホの電源を切ったことを忘れていたため、しばらく不通になったことをとがめたのだ。

「すいません、失礼しました」

「まぁいい。西お前、月曜日の報告会、頼んだぞ」

「はい、承知してます」

「俺の城北もだが、お前の足立区以外の成果がさっぱりで、事務長の機嫌が最悪なんだよ。他のブロック長も、皆ビビってる」

「事務長は、お前の成果を全員の前で讃えて、他のブロックに発破を掛ける腹づもりだ」

「承知しました」

「全員の前で、今回の上納分をドサっと見せつけてやれ」

「わかりました」

「西、頼んだぞ。終わったら美味いもんご馳走してやる。じゃあな」

「はい、楽しみにしてます。失礼します」


電話を終えた西は「チ!」と舌打ちをした。

–––– てめぇは手足動かさねぇで、頼んだじゃねえだろ。どうせ組の金でキャバクラ付き合わせて、奢ってやったヅラしやがるんだろう。

冗談じゃねえ。早いとこあの野郎を出し抜いて、顎でコキ使ってやる ––––


悪態をつきながら、西は仮想通貨取引所のアプリをタップする。

投資した金がどれだけ増えているか、毎日の西の楽しみだ。


西はギョッとし、スマホに顔を近づける。

西が投資している仮想通貨nam(ナム)の残高が、ゼロになっている。

「–––– おい、嘘だろ?」

西はアプリを一度クローズし、再度立ち上げるも、残高はゼロのままだ。

一度ログオフし、ログインし直し、もう一度残高を確認する。

やはりゼロのままだ。

西は意味が分からずに、しばらく呆然とする。


仮想通貨を始めた当初の西は、分散投資をしていた。

仮想通貨は、元祖であるビットコインと、イーサリアムやリップルなどのアルトコインに分かれる。アルトコインとは代替通貨の意味で、ビットコインの代わりになる仮想通貨ということだ。

アルトコインはビットコインに交換できるので、代替通貨(Alternative Coin)と呼ばれる。

アルトコインはビットコインに比べて、ビットあたりの単価が安いため、手を出しやすい反面、種類も千種類と多く、今後どのコインの価値が上がるのかは、予測が難しい。

そのため西は、安定感のあるイーサリアムなど数十種類に分けて投資をしていたが、つい最近、五番手のnam一本に絞り勝負に出ていた。

namは順調に市場での流通量を増やし、比例して西の資産もうなぎ上りに爆発的に増えた。

しかし、およそ十億円相当あるはずが、なぜかゼロになっている。


西が “nam”でググると、仮想通貨取引所のコインバンクがサイバー攻撃に遭い、四百億円相当のnamが盗まれたニュースやツイートが、画面にズラリと並んだ。


–––– コインバンク、サイバー攻撃で四〇〇億円流出?

–––– 仮想通貨nam、四百五十億円相当が盗難


「嘘だろ……」

左手で口を覆いながら、ツイッターで、#nam を検索すると、被害報告が次々とアップされて止まらない。


–––– 三百万溶かした……(ToT)

–––– 脂肪フラグ確定(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

–––– メシウマwww


組に隠して、組の金をぎ込んで増やしてきた金が一瞬でゼロになり、西は頭の中が真っ白になった。

「……不味まずい……不味い……」

月曜日の報告会では、上納金およそ七千五百万円を現金で納める義務がある。

手持ちの金は、ヤバイ奴から逃げた時の現金一千五百万と、あとはリンに任せている口座の残高だけだ。おそらく二百万も有れば御の字だろう。


「上納金だけじゃねぇ……組の金で仮想通貨を買ってたことがバレたら……大川に殺される……」


西は震える手で煙草を付けると、苦い煙を吐き出す。

暗闇にゆらりと立ち昇る白煙の隙間から、旱星ひでりぼしが、怪しく紅く輝いていた。


猛暑日が続いた時に現れる旱星は、干ばつや不作などの予兆とされ、古来より不吉な星として、忌み嫌われてきた。

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