第22話 組織の脆弱性
JR山手線の田町駅から徒歩三分に、四菱自動車工業の本社ビルがある。
田町は東海道新幹線が停車する品川駅の一つ隣の駅で、オフィスビルが立ち並ぶビジネス街だ。
四菱自動車工業本社ビルは、地上八階建ての古いビルで、周りのインテリジェントビルに比べると異質だ。
しかし、一階のショールームだけは、異空間のように華やかで、ズラリと並んだクレイオスが、眩しい輝きを放っていた。
この日、木曜日の朝九時から、四菱HDの棚橋は四菱自動車工業の会議に出席していた。
棚橋の目的は、隆が指摘したクレイオスの脆弱性を、四菱自動車として検証してもらうことだ。
開催から一時間が経過し、議題がクレイオスの事故に移ると、場が紛糾し始めた。
棚橋はargusのメールを、大型のモニターに映す。
「これが、先週月曜日の朝、HDのインフォに届いた脅迫メールです」
argusのメールを初めて目にした者も多く、しばらく場が騒つく。
司会をする総務課長の中村が、棚橋に話を振る。
「棚橋部長は、これが、土曜日の事故と関係があると仰りたいんですね?」
「いえ、まだ関係があるとは断定出来ません。ただ、その可能性を無視するのは、危険じゃないかと、そう考えています」
「では、この子供のイタズラみたいなアーガス?が、クレイオスの重大な欠陥を突いて、あの事故を起こさせたと、その可能性があると言うことですか?」
司会をする中村は先週月曜日、横尾隆に、argusのメールの件は自分が預かると言っておきながら、その後は無視していた。そのため、この件が大事になるのを恐れていた。
「”可能性がある”ではなく、”可能性を捨てきれない”。現段階では、そこまでしか、申し上げられません。メールにある、クレイオスの欠陥が本当なのか?これを検証するまでは、迂闊なことは言えません」
クレイオスの欠陥に反応し、先端技術部門の部長が反論する。
「しかし棚橋部長、可能性で言えば、今も入院中のドライバーが無差別殺人目的で暴走した説も、可能性としては捨て切れない。違いますか?」
「その通りです。現時点では、両方の可能性が生きています。ただ、私共として出来ることは、クレイオスに欠陥が無いことを検証し、証明することだろうと、私は考えます」
「–––– 軽々しく私共と言いますが、本業の合間に、その検証とやらをするのは、我々技術部門ですよ?こんな子供のイタズラみたいなメールが来るたびに、いちいち検証していたら、時間がいくら有っても足りない」
「それは失礼しました。もちろん、技術部門の方々のご協力が無ければ、検証も出来ません」
棚橋は四菱のプロパー(新卒入社)では無く、HDのCSIRTが発足して間もなく、エージェント経由で入社した中途入社だ。中途入社にも関わらず、グループを統括するホールディングスの部長であることを面白く思わない連中も多く、また、中途入社ゆえに、社内の人脈が細いことも、四菱での棚橋の弱みだった。
技術部門の攻勢を見兼ねた販売部長が、棚橋に水を向ける。
「棚橋部長がそう仰るには、可能性を捨てきれない根拠に、何か心当たりがあるのでは無いですか?」
「はい、それを今からご説明します––––」
※※※
午後二時過ぎ、ホールディングスのオフィスに戻った棚橋は、隆と岡田を小会議室に呼んだ。
「–––– 結論から言えば、クレイオスの脆弱性の検証は保留になった」
隆の口から「そうですか……」と、落胆の声が溢れる。
「予想はしてましたけど、四菱らしい判断です……」
新卒から四菱育ちの岡田が、半ば投げやりに言う。
「でも部長、私は完全には理解出来てませんが、横尾君の仮説は、検証の価値があるように思えたんですけどね」
「ああ、それは私も同じだ。…ただ、言い難いが、”何を言っているか”ではなく、”誰が言っているか”。あの会議の場での判断基準は、そこにしか無かった……」
「私の力不足だ、すまん」
「いえ、部長、そんなことは……」
「部長、無いと思いますけど警察への通報も……?」
棚橋が顔を左右に振る。
「そうですよね……」
岡田が、さもありなんと納得する。
「こうなった以上、例のメールがイタズラだったことを、願うしかないな……」
「はい、私もそう願います……」
二人が退室すると棚橋は、大きな窓から一望できる東京の景色を眺めながら、
–––– この体質が、一番の脆弱性だな ––––
と思った。




