第16話 嗚咽
会社に着いた隆は、四菱ホールディングスの基幹システムに管理者IDでログインした。
隆のIDは、四菱グループの全CSIRTを統括するSSOIDのため、別会社の四菱自動車のLANにもアクセス権がある。
SSOIDとは、一つのIDで複数のシステムにログイン出来るIDのことで、システムごとの複数のIDとパスワードの組み合わせが不用のため、利便性が高い仕組みだ。
その上、アクセス許可を与えらたシステムにしかログインが出来ないため、アクセス権の管理さえ厳密に行えば、高いレベルのセキュリティを維持することができる。
隆は四菱HDのシステム経由で、四菱自動車のDBサーバーにアクセスした。
四菱自動車のDBサーバーは、事業部ごとにフォルダが分かれており、さらにその下に部門ごとのフォルダがある。
一般社員のIDには自部門へのアクセス許可しか与えていないため、例えば販売部門の平社員が、人事のフォルダを開くことは出来ない。
しかし隆の特権IDは、ほとんどのフォルダに自由にアクセス出来る。
「国内販売事業部、生産企画本部、海外販売事業部……」
組織図に倣った事業部のフォルダが、延々と続く。
「ここかな?……」
先端技術開発事業部のフォルダにマウスカーソルを合わせる。
しかし、マウスに指先を乗せたまま、隆は一瞬躊躇する。
CSIRTと言えども、好き勝手に機密情報にアクセスして良いわけでは無い。
機密性の高い情報にアクセスするときは、機密性のレベルに応じた、部門のセキュリティ責任者の事前承認が必要だ。
しかし、どうしてもクレイオスの欠陥を突き止めたい隆は、マウスをクリックし、先端技術開発事業部のフォルダを開いた。
フォルダの中には、“AI”と”自動運転車”の二つのフォルダがあり、隆は自動運転車のフォルダをさらに開く。
自動運転車のフォルダは、自動車を構成する、通信系、制御系、安全系、ボディ系、の四つに分かれ、そこに設計図を加えた五つのフォルダに分かれている。
隆は、通信系のフォルダを開いた。
隆の専門はITネットワークであり、自動車は門外漢だ。
しかし、近年の自動車は、いわば走るコンピューターとも言え、パソコンが度々OSのアップデートをするように、自動運転車も、モーターなどの駆動系が完全に停止している間に、自動でOSのアップデートを行なっている。
そのために欠かせないのが、通信ネットワークだ。隆の専門分野であるネットワークの切り口から、自動運転車のセキュリティホール(脆弱性)を検証できる可能性があると、隆は踏んでいた。
他のフォルダも一通り見た隆は、自動運転車のフォルダごと、隆個人が管理しているクラウドサーバーに、ダウンロードした。
※※※
人がまばらになったロビーで仮眠を取っていた英二は、目を覚ますと四階に上がった。
壁の時計は午後七時を回っている。
香織が手術室に入ってから、およそ四時間経つが、赤いランプは灯いたままだ。
一階に戻った英二は、隆からメールが来ていたことに気付き、タップする。
隆が闇サイトで調べた特殊詐欺関連のURLが、いくつか貼り付けてある。
英二は上から順番に開いて確認すると、一つの情報に目を留めた。
『高額アルバイト 一日で二十万円も可!文京区、豊島区、北区、荒川区、板橋区、足立区で働ける方。平日一日だけの勤務も可。毎週日曜日十時から、大久保中央公園で説明会開催 TEL 080-8938-XXXX』
–––– 香織の容態次第では、明日の説明会に行ける ––––
英二がそう考えていると、「そろそろ閉めますので」と警備員に促され、英二は病院を後にした。
※※※
深夜、新橋のカプセルでうつらうつらしていた英二の携帯が振動した。
ディスプレイの時刻は、深夜二時過ぎだ。
電話は聖路加中央病院からで、香織の手術が終わり、一命を取りとめたとの連絡だった。
簡単な容態の説明の後、香織を集中治療室に移しますと、職員は病室番号を伝えた。
英二がすかさず初江に電話をすると、初江はすぐに受話器を取った。
香織が生きていると聞いた初江は、消え入りそうな声で「よかった……」と一言だけ漏らし、その場にへたり込んだ。
次に英二は、隆に電話を掛ける。
「英二さん!香ちゃんは?」
「手術はひとまず終わって、香織は無事だ」
「–––– 香ちゃん、よかった……」
隆が深いため息とともに緊張を吐き出す。
「ただ隆君……香織は、意識不明のままだ」
「え……」
「……それと、下半身の損傷が激しいらしく、生涯、自分の足で歩くことが、出来ないかもしれない……」
隆が言葉を失う。
「このまま、二、三週間、意識が戻らなければ、香織は植物状態になる……」
何も返さない隆に、英二が続ける。
「すまん……ばあちゃんには、手術が成功したとしか言えなかった。ただ、隆君には、本当のことを言っておきたくて……残酷だよな……」
「–––– 英二さん、僕は、香ちゃんと結婚するって決めたんです。だから、これからどうなろうと、生涯香ちゃんの手を離しません。本当です……」
「隆君……」
受話器から微かに溢れる英二の嗚咽に、隆の瞳から大粒の涙が溢れ、顎を伝ってぽたぽたと落ちた。




