第14話 壊れた椅子
トイレから店に戻る英二と隆は、凄まじい轟音に驚き足を止めた。
ガラスが砕け散る音、物が破壊される音、ドン!という地鳴りのような振動が、二人の靴底に伝わる。まるで大地震の直撃を受けたような衝撃だ。
次の瞬間、カフェレストランの裏の入口から、恐怖で顔が引きつった人々が我先にと溢れ出て来る。
二人は咄嗟に入口に走る。
出て来る人の群れが二人を押し戻し、中に入れない。
「香織!香織!」
「香ちゃん!」
「おい!通してくれ!妹がいるんだ!」
英二が隆の手を引っ張り、二人がようやく店内に入ると、異様な光景が目に飛び込んできた。
倒れた椅子やテーブルが至るところに転がり、食事や飲み物も床にぶちまけられている。
正面の一枚ガラスは蜘蛛の巣状に真っ白に罅割れ、枠の残骸だけを残し、天井からドーッと滝のように水が落ちている。その前をガラスの粉が外光にキラキラと光り舞う。
三人が座っていたあたりに、ぐにゃりと変形したガラスが斜めに倒れ、その下に車の車体が見える。
「香織…」
二人は転がるテーブルや椅子を飛び越え、テーブルがあった辺りに走る。
血を流し倒れるカップル。
長い呻き声を上げる女性。
香織の姿が無い。
そのとき英二の眼が一瞬、車の下に光を捉えた。
「香織!」
椅子やテーブルを蹴倒し車の方に走る。
車体の下からかろうじて、香織の肩から上が出ている。英二が捉えた光は、薬指のリングだった。
英二はがつっと香織の手を、力強く握る。
「香織!香織しっかりしろ!お兄ちゃんだ!」
車の下敷きになり動かない香織に大声で叫ぶ。香織の髪は血で赤黒く染まり、身体の下から溢れる血が、床に赤く広がり大量の水に混ざる。隆も床に頬を擦り付け、「香ちゃん!香ちゃん!」と叫ぶ。
「香織!香織っ!しっかりしろ!」英二は喉を枯らして叫ぶ。
すると香織が、幼児のように弱々しく、英二の指先を握り返した。
「お…おにいちゃん…たかちゃん……」
「香織!大丈夫だ!お兄ちゃんだ!ここにいるぞ!」
「お…おにいちゃん……苦しい……」
「香織もうしゃべるな!俺の手を握ってろ!」
その時、ミシ…ミシ……と微かに、木が軋む音がした。英二が眼を走らせ音を探すと、車と床の間に横倒しの椅子が挟まり音を立てている。
その椅子が、車と香織のあいだに僅かな隙間を作っている。椅子が壊れたら最期、車の全重量が香織を押し潰す。
「香織まってろ」
英二は踵を返し車から離れる。
「隆君、椅子テーブルを車の下にかますんだ!早く!」
二人で転がる椅子やテーブルを車の方に引き寄せる。
英二と隆が車の近くまで戻ったその時、ガチャリ!と音がし、運転席の扉が開くと、シートベルトを着けた血塗れの男が、ドサッと転がり出た。
その振動で一二度車が上下すると、挟まっていた椅子がメキメキメキと悲鳴をあげる。
英二が香織の元に滑り込み手を握った瞬間、バキ!と音を立てた椅子が無残に砕け、クレイオスが一気に香織を押し潰した。
香織の吐いた血飛沫が、英二の顔にかかる。
「香織!香織しっかりしろ!俺の手を握れ!香織っ!」
香織が英二の手を、握り返すことは無かった。