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燭蛾  作者: 美輪神 龍也
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第13話 銀座

朝から晴天に恵まれた土曜日の銀座は、多くの人で賑わっていた。

一年前の四月にオープンした地区最大のショッピングモール”銀座シックス”の人気も集客に拍車をかけ、外国人観光客、カップル、若いファミリーなどが歩行者天国に溢れ、華やかで上品な銀座の街並みを楽しんでいた。


昼少し前、銀座中央通りに面したカフェレストランでは、横尾隆が英二に挨拶を終えたところだった。

広い店内は満席だが、香織が一時間ほど並んだおかげで、三人は大きな一枚ガラスのすぐ近くの席に座れた。

爽やかな木の香りに満ちた店内はアンティーク調で統一され、天井の木製のシーリングファンが、やわらかな風を運んでくる。

通りに面した高い天井からは、横幅一杯にガラスを伝い水が流れ、ガラス越しの中央通りが水の中の世界に見える。

三十五度近い外とは別世界の清涼感が、猛暑を忘れさせてくれる。


「あらためて、香織をよろしくお願いします」

英二が丁寧に頭を下げる。

「いえそんな、こちらこそよろしくお願いします!」

隆がコップの水を一口で飲み干す。

「隆ちゃん、緊張してる?」

「そりゃするよ」

「お兄ちゃんやさしいから、大丈夫だよ。あ、でも、曲がったことする人には、容赦ないから」

香織が舌を出す。

「ちょっと、脅かさないでよ……」

「香織、隆君がよけい緊張するだろ」

英二は苦笑だ。

「隆ちゃんは大丈夫だよ。お兄ちゃんに似て、正義感強いから」

隆が頭を掻く。

英二は素直な隆に好感を持った。

香織の二つ年上で、英二の二つ年下の隆が、弟のようで嬉しかった。


※※※


同じ頃、四菱モーターズ目黒店では、一台のクレイオスが納車手続きを終えた。

タッチセンサーのドアを開け、コックピットに座った久保田は、満足気に頷く。

ITベンチャーを経営する久保田にとって、自動運転車は、趣味と実益を兼ねた理想の車だ。

自動運転車の先陣を切る、テスラのモデル3(スリー)に次いで、世界の注目を集めているのが、この四菱クレイオスだ。

自動運転車レベル4で、走行する環境によってはシステムが全てを操作する、テスラのモデル3と同等の性能たが、およそ百万円も低価格だ。


久保田が、センターコンソールからせり上がるタッチパネルを操作すると、クレイオスは静かに、氷の上を滑るように発進した。

クレイオスはそのまま、久保田がナビにセットした銀座に向けて、首都高二号目黒線に入る。

後ろを走る車の運転手が乗り出して、クレイオスのエンブレムに驚く。

左の走行車線のドライバーが羨望の眼差しを向け、前を走る車が慌てて走行車線に避ける。

見栄っ張りの久保田は有頂天だ。

このまま銀座に乗り付けて、銀座シックスで妻にプレゼントでも買って帰るか。

ついでに、温泉ドライブにでも連れてってやれば、浪費癖に渋い顔をする妻の機嫌も取れる。

久保田は軽やかに、クレイオスのアクセルを踏み込んだ。


※※※


銀座のカフェでは、話に花が咲いていた。

「隆君、うちに来てくれたら、ばあちゃんに紹介するよ」

「はい、ぜひお願いします」

「ばあちゃんも、孫の顔が見れるって喜ぶだろうな」

「ちょっとお兄ちゃん、気が早すぎるよ」

まだ、プロポーズもされていない香織が慌てる。

「二人は結婚前提なんだろ?」

「はい!もちろんです!」

「隆ちゃん……」香織がはにかみ照れる。

「だったら、問題ないだろ」

「……そうだね。おばあちゃんの喜ぶ顔、みたいよね」

「あと何年、ばあちゃん孝行できるかな」

「おばあちゃん、あれ以来、元気ないしね……」

「あ、隆君ごめん。せっかく挨拶に来てくれたのに」

「いえ、気にしないでください。香ちゃんから聞いてます。本当に酷い……」

「–––– 隆君、香織から年金のリストじゃないかって聞いたが……」

「はい、そう言いました。実は香ちゃんに話した後、闇サイトを調べたら、年金機構のリストが売りに出てました……」

「闇サイト?」

「ええ、闇サイトです。普通に検索しても探せないホームページで、アドレスを知らないと、見ることが出来ません」

「そこで、そんな情報を売ってるのか……」

「はい。個人情報の他にも、足がつかない携帯、コンピューターウィルス、芸能人の盗撮動画、ドラッグ、改造銃とか、表では流通出来ない物が、売り買いされています」

「警察は、摘発しないのか?」

「それは難しいです。海外のサーバーを幾つも経由していて、なおかつ、多くは国内に拠点がありませんから」

「治外法権か……」

「ええ。そう言えば、特殊詐欺の求人も出ていました」

「本当か?隆君––––」

「ちょっと二人とも、いつまでそんな話してるの?」

香織が頰を膨らます。

「あ…香織、ごめん……」

「俺ちょっとトイレ行くわ」

「あ、じゃあ僕もお供します」隆も立ち上がる。

「香織、トイレどっちだ?」

香織が慌てる二人に吹き出し、店の奥を指差す。

「あそこの、お店の奥の入口を出て、左に行けばあると思うよ」

「ちょっと行ってくる」

トイレに逃げる二人の後姿に、二人が良い兄弟になりそうな予感がして、香織は自然と笑みをこぼした。


※※※


血の気が引いた久保田の顔から、脂汗が噴き出していた。

首都高を降り銀座に近づいた途端、クレイオスのハンドルが勝手に動き出した。

ハンドルだけじゃない。

アクセル、ブレーキ、ウィンカー、操作系の全てが久保田の意思を無視して、誰かに操られているように勝手に動く。

「目的地を変更しました」

突然のナビのアナウンスに、久保田がカーナビに目を走らすと、目的地が銀座中央通りになっている。

–––– 中央通り…歩行者天国だ……

久保田は必死にステアリングを切ろうとするが、頑として一ミリも動かない。ブレーキも石のように硬い。噴き出た汗で全身がびっしょりになる。

メーターの速度は百キロを超えている。

クレイオスはそのまま晴海通りを疾走すると左折し、中央通り入口の歩行者天国の看板を弾き飛ばし中央通りに突入した。

人で賑わう中央通りに車が入り込む隙間はない。

いきなり突入してきた車に、歩行者天国に溢れる人々が目を見開き四方八方に逃げる。

モーターで走るクレイオスの静寂性が裏目に出て、真後ろに迫るまで歩行者が気付かない。

振り向きギョッとする老人の顔が目前に迫り、ドン!と跳ね上げる。ベビーカーを抱きしめる母親の背中をかすめる。

久保田が必死にクラクションを叩くが鳴らない。

逃げ惑う人々の数多の悲鳴が交錯し、天国が地獄になる。

中央通りを直進したクレイオスは、一旦右に大きく膨らみ、左に急ハンドルを切ると、タイヤから白煙を上げて、目的地にセットされた、一枚ガラスのカフェレストランに迫る。

カフェレストランに並ぶ行列が一斉に逃げるが、店内奥の入口を見ていた香織は、気付かない。

しかし、多くの客が香織の方を見ながら、慌てて椅子を蹴倒し一斉に席を飛び出す。


クレイオスの前輪が縁石に乗り上げ、跳ね上がる。


異様な雰囲気に香織が振り返ると、クレイオスがガラスを突き破り、目を見開く香織を黒い影でおおった。


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