表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/31

思惑

「やったね、これで毎日、怪しまれずに打ち合わせできるよ」

「そうだね」

 昨日に引き続き、恵理と一緒に貸出窓口に座りながら、義人は()ねるというより、(あき)れたような気分で返事をした。

 声色にも、その調子がにじみ出ている事を自覚したが、首謀者の方は、至って涼しげな様子のままである。

「ちなみに昨日は、投げ飛ばしたわけでもないのに、安久下君、急に先に消えてったんだよ」

「ああ、やっぱり、そうだったのか。ごめんごめん」

 一応、向こうでは五組と七組の男子が作業している事もあり、小声で話していた。六組が木曜に回ったが、それでも男女四人ずついる金曜は、一番、作業人数が多い事になる。

 女子は恵理の提案通り、一階の事務室の方で、登録作業をしている。事務の人が、忙しそうに両者間を往復していた。

「どうやら無意識に消えていったあたり、あれは、自分の力ではどうにもならないんだろうね。だから考察とか取り決めとか、ある程度、こっちで話しておいた方がいいかなって。メールやチャットは、長々するには入力が面倒臭いし、電話も、長いとお金かかるし」

「チャットソフトの音声通話は? スマホでも使えたでしょ、あれ」

 河津達と長話をする時に、使う事があった。複数人での会議通話機能もあるので、電話よりも、ずっと便利である。

「容量と電量を、結構持ってくらしいよ、あれ。まあ、とりあえずは、ここを確保できたし」

「まあね……ところで昨日は、特に重要な話の途中だったわけではないよね?」

「うん。ただの雑談の途中……あっ」

「何?」

「そうそう、『安久下』って、かなり変わった名前だよね、って聞こうとしていたんだった。そしたら、消えてたんだ」

「ああ、そういう事。確かに、すごくどうでもいいかも……まあ、『朱野』も、『しゅ』って読むのは初めて見るけどね。『あけの』なら見た事あるけど」

 やはり、誰から見ても珍しいのか、実際に年配の教師が、読み間違えている時もあった。

 もっとも、出席番号順に当てていった時だったので、『斎藤の次の時点で気付けよ』と思ったのは、義人以外にも多かっただろう。

「『あけの』だったら、出席番号で安久下君の背後を取っていたと思うけど」

「表現が、穏やかじゃないね……」

「でも、私のは知らないけど、安久下君の場合は歴史学一家だから、何か家系図とか残ってるんじゃない?」

「うーん、そういうの見せられた事はないけど、京都に下安久(しもあぐ)って所があって、そこが出所とは聞いたね。でも、『しもあぐ』ってちょっと特殊な読みだから、その地名になじみがないこっちの方に来てから、どこかの時期で、読みやすいように字を入れ替えつつ、素直な音にして、安久下にしたみたいなんだよね」

 机の上に、指で書きながら義人は説明したが、彼女はそれを、興味深そうな様子で見ていた。

「京都……応仁の乱の時に、戦火から逃れてきたって形?」

「いや、京都って言ってもかなり北の、舞鶴(まいづる)湾に面している方だから、直接戦火に包まれた所じゃないよ。でもまあ、当時そこを治めていた一色(いっしき)氏が西軍に付いちゃってたから、応仁の乱の後にだんだん逼迫(ひっぱく)していって、ご先祖はその時期にこっちに移ってきたって、じいちゃんから聞いた」

「へえ、しっかり、家系に歴史が伝えられてるんだね、すごい」

「そう言ってもらえるとはね。てっきり、落ち武者扱いされるかと思ったけど」

「して欲しい?」

「辞退します」

 素直に感心した様子だった彼女が、速やかに猫の笑みになったのに対し、義人も速やかに対応した。

「じゃあ、別の質問。歴史学者だという、そのおじいさん、現役というからには、何歳?」

「今年で六十二歳……のはず」

「安久下君が今年で十七歳だから……わお」

「父方の方なんだけど……まあ、若い方だろうね」

「納得の家系だねー」

「納得されても困るけどね……」

 拗ねるように視線を外しながら、義人は言った。ついでに辺りを見回すが、昨日はわずかながらいた利用者が、今日に至っては、誰一人として来ていない。

 ひょっとしたら、委員がたくさん集まっているのを見て、引き返したのかもしれない。これなら、今日だけは図書室を休みにしても、よかったのではないかと思う。

「それで、今夜についてだけど」

 だらだらと雑談を続けた後で、最後に重要な事を思い出したと言わんばかりに、彼女が言った。

「外に行くんでしょ?」

 向き直る拍子(ひょうし)頬杖(ほおづえ)をつきながら、義人は尋ねた。

「まあ、そうだけど」

「やっぱり、大した打ち合わせなんて必要ないんじゃ……」

「いや、一つ問題があって」

「何?」

「私達二人とも、この街の出身なものだから、外の方も、おおよそ決まりきってそうだなあと」

「ああ、それはあるかもね。家とか、どこか中の間取りは知らない建物に入ったくらいだったら、職員室みたいに、適当に想像補完された中身になるだけだろうし」

 それでは彼女は満足しないだろうと、義人には分かっていた。

「うん。だから、知らない場所まで行きたい所だけど、そうすると、結構、移動しないといけないかも」

「基本、熟知しているのは自転車で移動する範囲内だけど、親の車で通った道もあるからねえ」

「そうだね……あっ」

 彼女は机の上に置いていた両手を浮かせ、何か思いついたようである。

「今度は、何でしょう」

「今言われて、思いついた。乗り物だよ、乗り物探そう」

「ええ?」

「夢の中だし、少々拝借して無免許運転しても、問題ないでしょ。強姦未遂でも、捕まらないんだから」

「いやあ……ドアの鍵は何とかできるにしても、結局、エンジンキーないと、動かなくない?」

 昨夜同様、後半部分には反応せずに、義人は尋ねた。

「そうやって、自分から可能性閉じていったら、実際にそうなってしまうのが、あの世界じゃないの? ここはもう、何でもできるくらいに思わないと。電気だって、原理を知っているわけでもないのに、点いてたでしょ?」

「ああ、まあ、そうだね……」

「何でもいろいろ、試してみない事にはね。とりあえず、今日の待ち合わせは図書室ではなく、正面玄関にしよう。よろしくねー」

「はいはい」

 ため息をつきながら時計を見ると、話し込んでいる内に、すでに終わりの時間が迫っていた。



 昨日とは違い、至って平静な精神状態だったが、それでも義人は、素早く家事と日課を済ませていた。

 母の帰りが早かったので鉢合わせたが、昨日の態度も含め、特に不自然に思われた様子はなかった。やるべき事をさっさと済ませるのは、無条件によい事であるとしか、考えていない節がある。

 雑談のついでに、図書委員の仕事が急変して、平日は毎日お務めする事になった(むね)も伝えたが、『それでも今日くらいの帰宅時間なら、家事に支障はなさそうね』という、乾いた反応しか返ってきていない。

 いつもそういう調子なので、時折、本当にこれで家族なんだろうかと不安になる時もあるが、適度に距離感があるお陰で、家族内の喧嘩はほとんどなかった。

 とにかく全員が全員、個人主義なので、義人自身、強い反抗期があった記憶がない。やるべき事をやりつつ、勉強で成果を出せば報いてくれるし、ある意味、ホワイトな環境でもある。

 そして全ての日課を済ませると、義人はいつもどおり、自室でパソコンを開いていた。風呂も洗濯も終わって、後の予定は就寝を控えるだけという時間が、一番落ち着く。金曜の夜ともなれば、なおさらだった。

 彼女からは、特に新しいメールなどはなかった。図書室で話した通り、後は向こうの正面玄関で待ち合わせるだけだろう。

 ただ、土日に関しては、メールでやり取りするしかない。

 もっとも、そうそう何か、長々と話さなければならなくなるような事態になるとは、思えなかった。不思議な事は多いが、基本的に自分達の知識以上のものが出てこないなら、そう大した事が起きるとも思えない。

 ただ、仮にそれで彼女が飽きたとしても、脱する方法は分からない。逆に、急に見られなくなる可能性もあるだろう。

 とにかく前例がない以上、事前に資料をあたる形で調べる事もできないのだから、このまま過ごしてみる他はない。向こうで解決の糸口が見つからなかったとしても、それは同じだった。

 そう思いながらも、義人は元のような明晰夢を再び見る事ができなくなるかもしれない事に対して、昨日ほど、悲観的ではなくなっていた。

 言葉にして交わしたわけではないが、彼女と和解できた事で、心に余裕ができたからかもしれない。たったそれだけで、ずいぶんと気の持ちようが変わっている。

 もはや焦りはないが、昨日よりもさらに早くパソコンを閉じ、寝床に入る事にした。何だかんだ、自分が今となっては、この事態を悪しからず思っている事に、義人は気付いていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ