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図書室

 どうして、こうなった。図書室で朱野恵理と二人きりになった今、義人は気が気でなかった。

 しかも、何も今日の今日、いきなり輪番を務める羽目(はめ)にならなくてもいいだろう。二年四組は、隔週で木曜日の担当なのだという。

 一応、今の所は、何事もなく推移している。普段の義人を知る人間が見たなら、明らかに緊張しているのが分かるだろうが、彼女の方は、特に義人を気にした素振(そぶ)りを見せておらず、涼しい様子である。

 一方で義人の方は、隣に座る彼女の存在を、重石(おもし)でも載せられたかのように、ひしひしと感じていた。こうなってしまっては、いっそ仕事が忙しい方が助かるが、そんな事もない。

 皆から負担を嫌われている図書委員だが、そもそも、実際の仕事内容自体が酷というわけではなかった。

 むしろ、退屈である。嫌がられているのは、その退屈な拘束時間だった。暇だからと言って、早めに閉めて帰るというわけにもいかない。

 図書室を長く開けておくのは、進学校としての意地のようなものの気がするが、実際には、生徒はその意地に応じた利用度をしていない。斎藤が口実にしたように、部活をやっている人間は、すぐにそれに行く時間である。

 図書室では自習もできるが、部活をせずに勉強一筋という人間も、大抵は帰ってから、塾や家庭教師を利用している。

 そもそも、今の組がそうだが、意外と皆、何かしらの部活動をやっている。ネットで母校のサイトを見た時も、各部の所属人数は、中々の数だった。

 どうせ三年目の夏以降は、皆受験に集中するので、好きな事をして、履歴書の足しにした方がいいという事なのかもしれない。

 また、本自体にしても、皆、国語の勉強でさえ、一般図書を読むよりは、参考書を買って利用する者が、ほとんどである。

 同様に日本史や世界史にしても、事細かな人物伝や戦史を読むよりも、試験に出る内容を広く網羅(もうら)している問題集の方が、受験を控える身にとっては、何倍も実用的なものだった。

 教師としても、月並に読書を勧めはするが、何よりも生徒達を受験に勝たせなければならない身なので、『参考書に向き合ってないで、もっと一般図書を読め』とも言えない。

 だから図書室は、どちらかと言うと真面目な人間よりも、少数の物好きな人間がいるだけの空間だった。

 それでも昼休みなどは、ちらほら利用者がいるが、その時間はさすがに生徒に任せるわけにはいかないので、学校事務の人が担当している。

 そして、その事務の人から、初めに二人で一緒に端末操作などを習い、何かあれば事務室に来てくれと言われて、鍵を預かった。時間が来たら、施錠(せじょう)して鍵を返しに行って、終わりである。

 そうして務めに入りはしたものの、わずかに二人、返却に来ただけだった。

 その二人も、彼女が手早く応対して済ませてしまい、義人はいよいよ肩身が狭かった。次が来たら自分がやろう、と構えていたが、それから人が来る様子はない。

 授業は四時半に終わって、図書委員の仕事はそれから一時間だったが、それも後十分ほどで、終わりを迎えようとしていた。

 仕事を始めてからというもの、彼女と会話をする事はなかった。それどころか、彼女の顔を見もしていない。

 どうしても、夢の事を思い出してしまう。それによって挙動不審にならないように、注意しているのだった。

 彼女の方も話しかけてきていないし、特にこちらを見もしていない。それが必要になるような仕事でもなかった。

 ただし、最後に施錠して帰る時は、やり取りする事になるだろう。鍵は義人が受け取ったので、自分が事務室まで返しに行くと、申し出るつもりだった。そしてその時間が、刻一刻と近付きつつある。

 ようやくこの時間にまで至ったが、依然として時間の感覚は長く、静かな空気が重かった。今の組の中にあまり親しい子はいないが、それでもまだ他の女子なら、雑談ができたかもしれない。

 残り五分に差しかかろうかという所で、彼女が突如(とつじょ)立ち上がった。何も言わず、本棚の方へと歩いていく。

 何か、本でも読もうというのか。確かに暇だったから、そうしてもいいくらいだったが、今からそうするのは、逆にもう時間がない。今この段階になって、急に家で読むためのものを、借りる気にでもなったのだろうか。

 気になって目で追ったが、彼女が夢で立っていた辺りの棚で止まったため、後ろめたくなって、目を()らした。自分の気の持ちようの問題でしかないが、正直、気が気でない。

「この辺りは全部、郷土資料か。郷土愛強いよね、うちの学校」

 ここに至って、急に彼女が言葉を発したため、義人は驚いて、逸らした目を戻した。彼女は、棚から取り出してぱらぱらとめくった大判のそれに目を遣ったまま、義人の方を見てはいない。

 だが、『よね』と言うからには、話しかけてきているわけで、急な振りに戸惑(とまど)いはしたが、返答するべきだった。

「あ、ああ、うん。そうだね。全校集会でもいつも、『天下の平高』って、校長も言うし」

 義人は上手く返答したつもりだったが、彼女は特にそれに対して反応はせず、そのまま適当にめくり終えた後、資料を棚に戻した。

「私が最初にここに来た時、この棚の中の本は、すでに知っている内容のものしかなかったんだ。桃太郎のような童話から、昨晩にやっていた参考書の中身まで、全部不規則に、広く浅く。図書室にしてはおかしいと思って、すぐにそれが夢だと気付いたんだよねー」

 義人は当初、彼女が何を言い出したのか分からず、ぽかんとした様子で聞いていたが、最後に『夢』という言葉を聞いて、一転して極度の緊張を迎えた。

 彼女が何について話し始めたのか、すでに明白である。

「でも、そう気付いた所で他にやる事もないし、そのまま本を適当に漁っていたら、急に知らない内容の本が現れてねー」

 思い出した。彼女は確かに、夢の中でそういう発言をしていた。

 だが、本当にそんな事があり得るのか。同じ夢を見て、しかもその中で相互に干渉し合うなど、聞いた事もない。そんな現象が確認されていたなら、すでに世の中は大騒ぎになっているはずである。

 それでも、彼女の話す内容は、義人が昨日の夜に見たものに違いなかった。そして、彼女もそれを確信しているから、話してきている。

「夢の中に知らない人や、得体(えたい)の知れないものが出てくる事はあるだろうけど、知識だけは、そうもいかない。起きてから調べ直したら、どうも正しい知識だったしね。その後に本棚の陰から出てきた人が誰かを考えれば、誰のものだったのかは察しが付くよね」

 彼女の切れ長の目が、義人を(とら)えた。目が合う。逸らす事はできなかった。彼女がそのまま、再びこちらに近付いてくる。

 女子を怖いと思ったのは、これが初めてかもしれない。彼女にとっては尋問の段階だろうが、義人にとってはすでに、真実が確認された状態だった。

「歴史全般が得意科目だそうで、安久下君。それも、中学の時から」

「えっ、あっ、いや……」

 そんな事も、今日の内に調べていたのか。義人は、うろたえずにはいられなかった。

「さっきまでの事はともかく、これは普通の質問だから、素直に答えた方がいいと思うけど? 男子の輪の中で、あの子がかわいいとか、何々が好きらしいとか、女子の話をしたりするでしょ? 女子が、同じような事をしてないとでも、思ってる?」

 どう答えるべきかと言うより、(しら)を切るかどうかについて、義人は頭の中で考え続けていたが、とても冷静な検討ができているとは言えなかった。回答できていないのは、それらが堂々巡りして、渋滞しているからである。

 そんな義人に対して、彼女はすでに貸出窓口の机に手を突いて、詰め寄ってきていた。挙動自体は静かで、威圧的な所はなかったが、実態としては、容疑者の取り調べをしているも同然である。

「多分だけど、家族の中に、歴史に詳しい人がいるんじゃないかな。単なる試験勉強の範囲を越えて、微に入り、細に渡って知っているような人が」

 彼女は、人差し指を義人に向けてきた。さほど力を入れていない弱い握りで、親指も横に力なく開かれたものだったが、義人は横向きの銃口を突き付けられたような気分だった。

「もちろん、女子の会話の中で、家族の詳細まで出回ってはいなかったけど、裏を取ろうと思ったら、河津君辺りに聞けば、すぐの話だよね」

 河津の名前を出されて、義人はびくついた。彼女は、すでに堀を埋め終えた上で、攻めてきている。

 そもそも彼女が先に言った通り、これ自体は普通の質問だった。後で人に聞かれたら分かってしまうような嘘を、つくべきではない。

「え、あ、まあ、その、じい……そ、祖父が大学の歴史学者で、ち、父が……中学教師です、えっと、社会の」

 彼女への恐怖と混乱のあまり、他人行儀な言い方をしてしまったが、彼女はその答えに満足したようで、かすかに微笑みながら、横に構えた指の銃口を引き下げ、窓口から離れた。

「やっぱりねー。だからかぁ、あんなに詳しくて、重厚だったのは。きっと、日頃から家族内で、歴史の話とか聞いてたんだろうね。とても興味深かったから、もっと読んでいたかったんだけど、とんでもない暴漢に襲われそうになってねー」

 彼女の笑みが、一段と深いものになって、義人へと向けられた。

 そうだ、そういう事だった。これは彼女にとっての、確認なのだった。

 だが、そうだからと言って、やはり嘘をつく事はできなかった。彼女に調べられていた時点で、すでに詰みだったのだ。

「どういう事か、分かったみたいだね? まあ、最初から動揺が見えていたから、ほとんどその時点で確信していたけど。あの棚に近付いただけで、目を逸らしたりねー」

 確かに、そこもあった。そして、直後に振られた話題に対して、きちんと回答をしていたために、その後の動揺が、さらに浮き彫りになった面もあるかもしれない。

「本当にそんな事があり得るのか、って所から考えないといけなかったけど、お陰で解明が(はかど)った感もあるね。とはいえ、夢で()えたら、なんて展開、普通はもっと、浪漫(ろまん)のあるものだと思うんだけどなー」

 彼女は手を後ろに組んで、右に左に歩きながら、皮肉の笑みを向けてきていた。本来なら愛らしい挙動と言えそうだが、実態は、捕らえた小動物をもてあそぶ猫である。

 その笑みも、どこか猫のひげ袋のような、不自然な歪みが感じられ、義人はそこに魔性を感じていた。

「え、ええと……」

 もう、図書室を閉める時間になろうとしている。義人はそれを伝える事で、とりあえずこの場を一度逃れ、仕切り直しをしようと考えた。

「ああ、安久下君。心配しなくていいよ。君がやった事、夢の中にまで法が適用されるわけでもないし、そもそもこんな証明不可能な事、誰も信じないだろうから。けど、この後ろめたさから逃れたかったら、ちょっとお願いを聞いて欲しいなあ、って。何せ、一緒に図書委員になったものだから、二週間に一回は、こうしてほとんど二人きりになるしねー。あ、もちろん、お金とかの強請(ゆす)りじゃないよ」

「な、何でしょう……?」

「今夜また、図書室に来て。当然、ここではなく、昨日の夜に会った、向こうの図書室ね。思い通りに動ける夢……明晰夢って言うんだっけ? それを見たなら、またできるかもしれないから。それが、和解の条件みたいなものだと思って」

 彼女が猫の笑みのまま、再び窓口の机に手を突いて、大きく身を乗り出しながら言う。

 そして言葉だけでなく、先ほどよりも強く握った手で作った、人差し指の銃口を突き付けてきていた。

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