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包帯

「おお、義人。ようやっと、目ぇ覚ましたか。いや、夢の中やから、こういう表現するのは、あれやけど」

 気が付いたら、車止めの石柱にもたれかかって、地面に座っている状態だった。話しかけてきた因幡が、目の前に浮かんでいる。

 周囲の場景を確認した後、再び因幡の顔に焦点を合わせた所で、義人ははっとした。

「しゅ、朱野さ……うおっ、つっ」

 義人は急いで起き上がろうとしたが、全身に強い痛みを覚えた。

「ちょっ、無理に動いたらあかん! いくらここが夢言うても、現実の情報と(ひも)付いとるんや! 脳が全身の怪我(けが)を認識しとるから、ここでも、それが反映されとる。昨日のほっぺみたいな、笑えるもんとちゃうぞ」

 因幡に言われて全身を見回すと、そこここに白い医療用テープやら包帯やら、医療具まで再現されているのが見えた。

 後頭部にも、ガーゼの感触と、冷涼感に近い、違和感がある。おそらく治療のために、怪我の周囲の髪を少し、切られているのだろう。治療されている間の意識などなかったが、これも体の触感と認識によって、ここでも反映されているようだった。

 服だけは、いつもどおり制服だったが、上着はなく、シャツとスラックスだけである。そのシャツも、スラックスには入れられておらず、普段着のように、(すそ)が広がっていた。

「痛いのはやっかいだけど、この夢の中で無理をしたって、別に問題は……」

「春休みに、おとんやおかんと一緒に見た医学番組、思い出せや。偽薬の効果とか、精神は確かに体に影響与えとるって話やったやろ? 思い込みで、人が死ぬ事例もあったやないか。お前がここで無理をして、その『無理をした』って感覚を強烈に持ってしもうたら、治るものも治らへんで」

「でも、今まで投げられようが、巨大な手で叩かれようが、大丈夫だったじゃないか。そうやって、平気だと構えていれば……この世界、『気の持ちよう』だろ?」

「それは、現実の体が、もともと無事やったからや。後者なんて、現実にはありえへん打撃やし。今は、現実の方が満身創痍(まんしんそうい)やろ。ここで激しく動き回ったら、実際に寝相(ねぞう)として力入るかもしれへんし、怪我しとる所を、無理に動かそうとしたらあかん。気の持ちよう言うても、今は体がひどい状態なんやから、気力も限界あるやろ。何より、頭打っとる以上、大事があらへん事分かるまで、絶対安静にせなあかんって、言われとったで。恵理ちゃんはひとまず無事やから、まず、落ち着きいや。ゆっくり、一つ一つ話すで」

「……分かったよ」

 義人は立ち上がるのを諦め、力を抜き、呼吸を落ち着けた。痛みもあれば、息苦しさもある。この夢は本当に生々しいと、改めて思わざるを得ない。

「まず、恵理ちゃんは肉体的には、お前も見た、床の割れ目に引っかけた時の、腕の切り傷だけや。それもすぐ止血して、縫合(ほうごう)の必要もなさそうっちゅう話を、救急車の中でしとったわ。まあ、改めて病院で医者が見たやろうから、そこで何と言われたかは分からへんけど、自由に動き回れる状態なのは、間違いあらへん。お前が、体張ったお陰やろうけど」

 軽傷という事だが、因幡の言い方には、含みがあった。

「『肉体的には』?」

「……精神的には……錯乱しとる。お前が意識失った直後の事は、さすがにワイにも直接は把握(はあく)できへんかったけど、救急車に乗ってからの隊員のやり取り聞くに、どうも呼んだんは恵理ちゃんやのうて、山菜採りに来とった、あのじいさん達みたいなんや。お前、あの道の辺りで財布落としとったみたいで、館を見に行く言うたから、まだおるかも思うて直接届けに来てくれた所に、悲鳴を聞いて、駆けつけたっちゅう話や」

「悲鳴?」

「せや。恵理ちゃん……お前が、死んだん思うたんかもしれへん。恵理ちゃんは軽傷やったし、現場の状況を知る唯一の人間でもあったから、一緒に同じ救急車で搬送(はんそう)されたんやけど、車内でも、ずっと涙流しながら、お前に謝っとったんやで。何聞いても『自分が悪い』しか言わへんから、隊員さんが、聞き取りに難渋(なんじゅう)しとったくらいや。過呼吸起こしかけたとか、何とか」

「……俺の怪我が……そんなに重いって事か?」

「医者が言うには、右肩は亜脱臼(あだっきゅう)っちゅう、軽い脱臼。他は後頭部、腰部、右足に、打撲(だぼく)やら挫傷(ざしょう)やら。ほぼ、右半身全部やな。せやけど、レントゲンとか何とか、いろいろ検査する限り、大事はあらへんっちゅう事や。どうも、あのぬいぐるみの入ったナップサックが下敷きになったんと、一階の床も傷んどったせいで、やわらかくなっとったのが、不幸中の幸いやったみたいやで。若いから、このまま脳の方が大丈夫そうなら、入院も一週間くらいで済みそうっちゅう話や」

 天を仰ぎながら、ここまで因幡に言われた事を反芻(はんすう)した。まだ少し、頭がぼうっとしている。

 この世界はいつもそうだが、空の清々(すがすが)しい好天振りが、白々しいものに感じられた。

 じっと考える義人に対して、因幡は何も言わず、待ってくれている。お陰で、義人は因幡に言われた事をゆっくりと理解したが、そうする事で浮かんできたのは、根本的な、一つの疑問だった。

「……俺が気を失っている状態だったのに、何で、お前がそれを知ってるんだ?」

「意識がなくても、外の声は聞こえるっちゅう話、同じ医学番組でやっとったやろ。ワイは、そうして入ってくる情報を拾ったんや」

 それを聞いて、また少し考えた後、義人は小さく息を漏らして笑った。徐々に、思考がしっかりとしてきている。

「何だよ、お前。自分はここで俺が来るたびに生み出されている、継続性のない存在かもしれないなんて言っておきながら、ちゃっかり俺の脳内に常駐して、俺が認識も記憶もできなかったようなものを、しっかり把握してたんじゃないか」

「……せやな。どうやら、ワイが生まれたあの日から、ずっと一緒だったっぽいわ。義人が起きとる時に、ワイは寝とって……現実で起きとる事を、夢のように見とるんやろうな。んで、義人が寝た時に、こっちで目覚める……」

「ああ。俺がここに来た時に、お前の情報が同期して更新されるわけじゃあなく、俺が朝起きてから、ここでの事を認識するのと同じように、お前が自分で、思い出してるわけだ」

「せやな。過去の事みたいに、共有域の記憶もあるんやろうけど……」

「記憶か……お前さっき、『おとん』『おかん』って言ってたけど……俺、最初にお前が父さんや母さんの事をそう呼んだ時さ、違和感覚えたんだよ。単に俺の記憶持ってるだけで、お前の親じゃないだろ、って思ったんだと思う」

「……正しい突っ込みやで」

 義人は、再び小さく息を吹くように笑った。今度は、少しかすれている。

「やっぱりな。すごいよ、お前は」

「……どういう事や?」

「今まで俺が作ってきた思い出を、お前は全部、自分のもののように、持ってるんだよな。だからお前も、俺と何一つ変わらない思いを、俺の家族や友達に対して、持っているはず。でも、実際にはお前はここだけの存在で、その中の誰にも会えない。これって本当なら、すごく衝撃を受けてしまう事だと思う。アイデンティティクライシス、ってやつ」

「……ふん。もしも、ワイの事をすごいと思うたんなら、それはワイを(つく)ったお前に由来するものやで、義人。記憶だけやない。ワイは自分なりの性格と考え方しとるけど、それはワイがここで生まれた時に、お前が定義したんやと思う。細かい所は無意識の沙汰(さた)やろうけど、やからこそ、ワイもあのアホ狐も、紛れもない、お前達の鏡像なんや」

「……そっか。お前をほめると、自画自賛になるのか」

「ええんやで。お前は自賛してええくらい、立派や。男の真価は、いざという時、とっさの行動に現れるもんやからな。せやから、できるやつと、できへんやつは、それが起きる前に、初めから決まっとるんや」

「ありがとう……鮫って血の匂いに寄ってくるって言うけど、お前は相手が弱ってる時、妙に優しいんだな」

「らしくもないで。お前の方こそ、自分が弱っとるのに優しいの、どないやねん」

「ふっ……とりあえず、彼女も無事みたいだから、ひとまずは安心したよ」

 義人は安堵(あんど)のため息をついたが、因幡は依然として、浮かない様子だった。

「それやけど……いくらなんでも、あの錯乱ぶりは異常やと思うねん。車内でずっと、脇目もふらずにわんわん泣きながら、『ごめんなさい、ごめんなさい』って。もちろん、自分をかばって落ちたやつが意識のうなったら、誰でもパニくりはするやろうけど……」

「……助けるために仕方なかったとはいえ、俺が抱きかかえる状態になったのが、よくなかったのかもしれない。観覧車の時と、同じで」

 義人は言いながら、自分の手の平を見た。今でも、彼女の後頭部と背部を抱えた時の、髪の質感と体温の感触が、手に残っている。

「それはありそうやけど、あまり単純な話やないと思うで。手ぇつなぐのはええみたいやから、潔癖(けっぺき)症とはちゃうやろうし、何らかのトラウマかもしれへん。幼い頃に誘拐(ゆうかい)されて、人質として羽交い締めにされたとか……」

「……こんな田舎でそんな大事件あったら、もっと人に知られてるだろうよ」

「そ、それもそうやな……」

「まあでも、何らかの事情はありそうだ……ひょっとしたら、もっと最悪な……性犯罪とか」

 言いながら、そもそも自分が最初に彼女を襲おうとした事実を、義人は再認識した。

 彼女は、笑顔で何度もその事をからかってきたが、あれは実は、彼女の精神の傷を、危うく致命的なまでに、えぐりかけたものだったのではないか。ただの想定だが、気が気でないような気分に、なりつつある。

「せやな……とにかく、恵理ちゃんも今夜また、ここにく……」

 因幡が言いかけた所で、義人はすぐ隣に、砂を踏む音がしたのを感じた。

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