ぬいぐるみ
義人は目が覚めてすぐ、パソコンを点けた。彼女のあの言い方では、いつ連絡が来るかも分からず、早めに備えておく他はない。
そうしてメールソフトを開くと、さっそく着信があったが、彼女からのものではなかった。
「げ」
送信主は河津で、しかも送信時間は昨夜、ちょうど義人が寝た頃のようである。
さらにその内容は、『明日は野球部も休みみたいだから、斎藤達とも一緒に、皆で遊びに行かないか』というものだった。寝る前にこれを見ていたなら、昨日の義人の認識は、間違いなく変わっていただろう。
だが、こうなっては仕方ない。彼女からは、いつ連絡があるかも分からず、断る他はなかった。手短に、返信の文面を書き、送信する。
いつもなら、この手の話は、学校であらかじめ済ませるので、誰かが、帰ってから思いつき、提案を回していったのだろう。
とりあえず、いつでも出られるようにと、すぐに着替えを済ませ、ポケットに財布と携帯を入れた。もはや資金はマイナスだが、持っていかないわけにもいかない。
そうしてすぐに一階に降り、朝食にありつこうとした所、この数日、顔を合わせていなかった祖父と、ついに鉢合わせになった。
「おう、義人。休みの日なのに早起きとは、えらいな!」
うれしそうに、元気よく言う祖父に対し、義人は『げ』という内心の反応を隠して、乾いた笑いで応えた。
そして、すぐに自分の朝食を用意して席についたが、案の定、『ここの所、聞けてなかった近況』を長々と聞き出され、それを終えてからは、さらに長い祖父の近況を、聞かされる羽目になった。
時の感覚が、なくなっていく。朝食を食べ終えても終わらず、すでに、飲み物のおかわりを続けている状況である。
そうして祖父の話に付き合いながら、『このじいちゃんなら、バラエティ番組の司会も務められそうだ』と、内心考えていた折、祖父が、義人の席の背後にある時計を見て、大仰に驚きを表現した。
「うお、もう、九時すぎたか! いかん! 今日はちょっと、ゼミの学生と出かけるんでな! すまんが、続きはまた今度な!」
そう言って、祖父は慌てながら、食器の片付けを始めた。
「あー、食器は俺が洗うから、置いておいていいよ、じいちゃん。時間、押してるんでしょ?」
「おっ、そうか。すまん。今度、何か買ってやるわ! じゃ!」
祖父は、指をまっすぐそろえた片手を縦にして謝意を示すと、すぐに荷物を引っつかんで玄関へと直行し、素早く家を出ていった。
長年、日常的に接してきた義人からすれば過剰なきらいがあるが、勤め先の大学では、面白おかしい話をしてくれる教授として、学生からは人気という話である。
人付き合いも面倒見もいいので、研究仲間だけでなく、今日のようにゼミの学生とも、よく出かけているようだった。
「げ」
洗い物を済ませて部屋に戻った後、義人はすでに朝から三度目になる、その反応をしてしまった。
送信時刻が一時間近く前になっている、恵理からの出頭命令が届いていたのである。
「遅い」
顔を合わせてすぐに、不機嫌さを隠さず、いつもより低い声で、恵理が言った。
「ご、ごめん……ちょっと、じいちゃんに、捕まってて」
息を切らしながら、義人は謝罪した。
呼び出されたのは、夢の中で玉藻が白兎を追いかけた道でもある、川沿いの自転車道の合間に設けられた、屋根のある休憩所である。
義人はそこまで、全速力で自転車を漕いできていたが、出発時間からして、恵理からの指定時刻である九時に、間に合うはずもなかった。
「遅れるなら遅れるで、それが分かった時点で、連絡くれないと」
元が、強気な眉と、切れ長の目なので、表情全体が険しくなると、かなり迫力がある。
「あ、ああ……ごめん。部屋に戻って……メール見てすぐ、焦って飛び出しちゃった」
言いながら、そのためにパソコンの電源も切り忘れたという事を、義人は思い出した。
「もう……まあでも、パソコンのメールに頼ってるから、こうなるんだよね。そういう事もあるだろうから、電話番号、交換しよ」
「あ、そっか。そういえば、してなかったね」
それこそ今日、彼女が電話をしてくれていたら、祖父からの解放も、早く済んだだろう。義人は、そう思って後悔しながら電話を出し、言われた番号にかけて、登録を済ませた。
「こういう日、携帯は絶対、持っててよ?」
「うん。一応今日も、携帯は持っていたんだ……ごめんね」
「……分かった。いつまでも怒ってても仕方ないし、さっそく、本題に入るよ」
彼女はため息をつきながらそう言うと、休憩所の机に置いていた、小さなナップサックの中から、ぬいぐるみを取り出して、義人に見せてきた。
「えっ?」
彼女が出したのは、他ならぬ、白兎のぬいぐるみである。頭身も服装も全く同じそれを見て、義人は驚きの声を上げるしかなかった。
「こ、これは? どこから?」
「私の部屋の、押し入れの中だよ。最初から引っかかってたけど、昨日、ようやく思い出して。それでも確証はなかったから、あんな言い方したんだけど」
確かに昨日、彼女は『時間がかかる』だとか、『見つかれば』と言っていた。押し入れの中を、朝から探し回ったという事だろう。
そして、突き付けてきた彼女から受け取って手に持ち、全面をまじまじと見ている内に、義人ははっとした。
「これ……確か昔、家にあった……あれ? でも、こんな服じゃなかったような……」
顔の雰囲気も、違う気がする。しかし、はっきり間近で見られなかった、夢の中の白兎の時とは違い、心に引っかかるものはあった。それがあるから、因幡も反応していたに違いない。
「ネットで調べたんだけど、何種類かあったみたい。兎の家族、って設定らしくて。この子は、長男のお兄さん」
「ああ、なるほど。そういう事か……」
「安久下君のも、まだ家にある?」
「いや、もう、ないと思う。母さん、時間が経ったら、何でもすぐ捨てるから」
部屋に未整理の状態で物を放置していると、母が掃除に来て、何でも勝手に捨てられるので、義人は自然と、自分で掃除し、物を取捨選択して、整理するようになっていた。母が全く部屋に入ってこなくなった今、母なりのしつけだったのだろうと思っている。
そのため、このぬいぐるみの経緯は覚えていないが、一人っ子の男子である義人の家からは、早い内に消えてしまっていたのは間違いない。
「にしても……こいつが、呪いの人形みたいな感じで、俺達に夢を見せていたって事?」
「それは、分からないねー。明らかに関連はしてそうだけど、安久下君はもう持ってないし、私にしても、ずっと押入れの奥の箱に、収納したままだったから。呪いにしては、今さらって感じ」
軽い調子で、彼女が言う。向こうでも、人骨だらけの館に突入しようと言うくらいなので、心霊に対する恐怖は、ほとんど持ち合わせていないようである。
「ううむ。じゃあそれ、どうするの? 一応今日、どこかお祓いにでも行く?」
例のごとく、メールには待ち合わせの時刻と場所が書かれているだけで、何をするかという旨は、全く書かれていなかった
「いや。寺にしろ神社にしろ、そんな信心深くもないし。むしろ、真逆の所に行って、謎を確かめようっていうのが、今日の目的だよ」
彼女の笑顔を見て、すぐに嫌な予感がした。多分、当たるだろう。




