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再来

「あー義人、顔が……ここでもしっかり、赤い跡が見えとるで。どうも現実の怪我(けが)とか病気とかも、ここでは反映されるっぽいな。脳が、痛みや異常を認識しとるんやろ」

 石柱前で気が付いてすぐ、因幡が義人の顔の前まで降りてきて言った。

「実際、痛い」

「多分、内出血やろうなあ。まあこれでも、風呂入る前よりは、よくなった方やな……おろ」

 因幡が、義人の後方を見て言葉を止めたので、振り向くと、恵理と玉藻の姿があった。どうやら、たった今、着いたようである。

「あ、安久下君、頬、あかーい」

「ちょっと、やりすぎたんじゃないかしら……」

 楽しそうに言う恵理を(いさ)めるように、玉藻は引いた声になっている。

「まあでも、自業自得だよねー」

「えっ、いや、八つ当たり……」

「何か言ったー?」

 恵理は素早く義人との距離を詰めると、現実でもそうしたように、笑顔のまま義人の両頬を持って、強くつねり始めた。

「あででで! やめて! めっちゃ痛む!」

「恵理、やめなさい!」

「しょうがないなー」

 玉藻が、珍しく恵理の名を呼びながら(しか)り、彼女も、素直にそれに従った。

「あー、やっぱ、現実の状態が、如実(にょじつ)に反映されとるなー」

 因幡が、解放された後の義人を見ながら、冷静に分析している。『どちらかと言うと、お前が俺を助けるべきなんじゃないのか』と、頬をさすりながら義人は思った。

「今から巨悪を倒しに行くってのに、こんな事じゃ、先が思いやられるよ?」

「いやいや、義人も結構、すごい所あんねん。何せ、恵理ちゃんに一回投げられただけで、きゅぴーんと体で覚えたんか、今日、柔道の授業で、見本になれ言われて石田に投げられた時、受け身がとびきり上手いって、ほめられたんやで。恵理ちゃんも、ほめたってーな」

 床にひっくり返りながら、ヒレで地面を叩くなどの、大仰(おおぎょう)な身振りを交え、因幡が言う。

「なるほど。さすが、因幡君ね。そういう報告は、どんどんして」

「え? あ、おう。何か当初の予定とちゃうけど、まあええわ」

 義人は頬をさすり続けながら、ため息をついた。『先が思いやられる』というのは、義人自身からしても、そうである。



「俺は、このダメージを負った状態で、敵地に連れて行かれるんでしょうか」

 恵理と玉藻が先に入っていた、因幡の中の座席へと座りながら、義人は言った。

 最初に乗った日と同様に、玉藻が中央である。義人としても、今は自分の頬を、恵理の射程圏内に入れたくはない。

 玉藻は、因幡が準備した後、真っ先に乗り込んでいたが、それを考慮して、そうしてくれたのかは分からなかった。単に、すぐに出撃しやすい位置に陣取っただけかもしれない。

「そうだよ。まあ、明日はまた休みだし、今日は、ぱーっと行こう?」

「えっ? 明日、休みだったっけ?」

 恵理がふざけた調子で言うが、寝る前、火曜の授業の準備もしっかり終えていた義人にとって、前半の内容は重要だった。

「明日は昭和の日だけど、平日だと思ってたの? 安久下君、非国民だね」

「帰ってからも、頬が痛くて、よき国民として過ごす余裕はなかったよ」

 家にカレンダーくらいはあるが、義人の部屋にはなかった。日付は、いつも点けるパソコンに常時表示されているので、あまり欲しいと思った事もない。

「まあ、とにかく準備できたし、そろそろ出るで」

 因幡が、さらっと流す。義人は、むすっとした表情のまま、手すりにひじを突いていた。

「でも、あの白兎、大人しく、まだあそこにいるのかしら?」

 高度が、校舎の高さになった頃に、玉藻が疑問を(てい)した。あの白兎も、この世界自体も、謎だらけである。昼間にも動けたりするのか、そもそも昨日に起きた事が継続しているのか、それさえも確かではない。

「あ、そうだ、図書室は……ああ、やっぱりな」

 義人は後ろを向いて、図書室の窓を見ながら言った。

「えっ、何や……って、ワイが割った窓が、元通りになっとるやんけ!」

 振り向いて見た因幡が驚き、体をわずかに揺らした。

「あの白兎君が、直しにきたって事?」

 恵理も驚いた様子で、義人の方を見ながら尋ねてくる。

「いや、この世界が、来るたびにリセットされてるんだと思う。ここは、こうあるはずだ、っていう俺達の認識が、そうさせているのかも。最初に因幡達が出てきた日に、俺がいつもの石柱の近くのブロックを動かしたり掘ったりしたのも、そのままになってはいなかったと思うから」

「あっ、言われてみれば……確かに」

 恵理は口元に手を当てながら、はっとした表情を見せている。

「つまり、あいつは今、必ずしも、あそこにおるわけやないかもしれへんっちゅう事か?」

「でも、街には大きな建物なんて、他にもいろいろあるのに、わざわざ、あの館に行ったのよね。私が追い回している間、他の建物には、目もくれなかったわ」

「そうだな。結局、手がかりはあそこしかない。ただ、昨日破った玄関とか、玉藻が倒した人骨とか、そういうのは、きれいさっぱり、元通りになっているんじゃないかな」

「すご。義人が、洞察(どうさつ)しとるで」

「うん。最近、生意気だよねー」

 茶化してきた因幡に、恵理が笑顔で便乗し、義人はため息をついた。

「まあそれじゃ、振り出しに戻ったつもりで、改めて行きましょうか。とにかく骨どもは、私達が何とかするしかないんだから、茶化してないで、気合入れなさいよ、バカ鮫」

 仕切り直すように、玉藻が言う。今日はどことなく、義人に優しい気がする。

「はん、言われへんでも、ワイが全部、噛み砕いたるわ!」

 因幡は威勢よく言うと、勢いよく発進した。

 逃げる白兎を追いながら、回り込んでの待ち伏せなどもしていた昨日と違い、初めから館の位置を目指して、直進するだけである。すぐに、国道の辺りまで来た。

「えっ? ちょっと、あれ!」

 つい先ほどまで楽しそうだった恵理が、急に慌てながら、前方の空を指差した。

「えっ……嘘でしょ?」

 玉藻の、愕然(がくぜん)とした声が続く。雲の中から、急速に高度を下げてきている、巨大な物体。少しして、義人にも、それが腕を上にした、あの骨の天使である事が分かった。ちょうど、山の手前ほどの位置である。

「また、あいつかいな! 雲の下にも、降りられるんかい! このままやったら、正面に来られるやん! 逃げるで!」

「いや、待て! すでにこれだけ速度を出してるのに、方向転換しようとすると、この前の二の舞だ!」

 因幡が体を傾けようとする寸前、義人は慌てて叫んだ。

「せやかて、どないすんねん!」

「突っ込め! この速度なら、向こうも狙いにくいはず。あの大きさだから、旋回もそこまで速くない。正面から通り抜けて、そのまま、あの館へ行こう!」

「えっ? あっ、お、おう! 合点承知やで!」

 因幡が、速度を上げていく。雲の上の時と同じ、全速力である。

 対する骨の天使は、落下の勢いが弱まりつつあった。地面に墜落するつもりはなく、あくまでも、山の前で迎撃してくるために、減速しているのだろう。

「台につかまった方が、よさそうだね……」

「うん。場合によっては、急旋回もあり得る」

 不安そうに言う恵理に、義人は声を落ち着けて言った。

「ぬう、せやけどこれ、あかんか?」

 因幡は全速で飛び続けていたが、骨の天使の方を見るに、先に通り抜けられるかは、確かに微妙な所だった。

「でも、今さら方針転換できないよ。因幡君、頑張って!」

「んおお、恵理ちゃんに応援されたら、気張るしかないやろ!」

 因幡はそう言ったが、やがて、山のすぐ近くまで来た所で、骨の天使がぎりぎり、因幡の進路を塞ぐ所まで降りてきた。

「駄目! 間に合わないわ!」

 玉藻が叫んだが、義人は、骨の天使の腕が、まだ上に上げた状態から、降りきっていないのを見ていた。

「因幡、このまま、まっすぐだ。腕が振り下ろされる前に、肋骨の間をすり抜けろ!」

「ワイも、そう思った所や!」

 因幡は、やや斜め下へと軌道を取り、義人は台につかまりながら、恵理の方をちらりと見た。表情は硬いが、以前のような不安にかられた様子ではない。

 再び、正面。骨の天使が、体に遅れて降りてきた腕を、予想通り、そのまま因幡へと向けてきている。それが間一髪、因幡の尾ビレをかすめる形で、空振った。

「おおおお、よっしゃあ! このまま、行くでえ!」

 今度は斜め上へと、高度を上げていく。やはり、懐にもぐられた骨の天使は小回りが利かないようで、機敏に動けていない。因幡が、一気に肋骨の間を通り抜けた。

「やっぱり、すぐには旋回もできそうにないな」

 義人は、因幡の背部を通して、骨の天使を見ながら言った。かなりの高速のため、見る見る内に、遠ざかっていっている。

「館は、すぐそこや。着陸準備するで」

「待って! 因幡君、下!」

 恵理が叫んだ時、因幡はすでに減速に入っていた。

「なっ、こんな、しっぽみたいに?」

 骨の天使の脊椎の先から伸びた棘状の尾が、しなるように下から迫ってきているのを見て、義人は驚きの声を上げた。

「バカ鮫、左に避けなさい!」

「分かっとるけど! あかん!」

 因幡は、何とか身をよじってかわそうとし、腹部への直撃は避けられたが、胸ビレに衝突を受けていた。直進する勢いのまま、因幡の体が回転する。

「わっ、ああっ?」

「うおおお!」

 平衡(へいこう)感覚を失いながらも、義人は因幡の口の先の光景から、大きくなりつつある館を見ていた。

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