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委員

 目が覚めた。そしてすぐに、夢の中で起きた事を思い出した。布団(ふとん)を振り払うように上体を起こして、全身を確認する。

 服は、寝間着。かかとと尻に、痛みは残っていない。そして、思いを遂げられなかったものが、天を()いていた。

 一体、何だったのか。

 そう思いながら、しばらく呆然として天井を仰いだ後、時計を見た。目覚ましの設定時間まで、残り十分弱。

 この時間では、二度寝するわけにもいかない。そもそも、上体まで起きた上、意識がはっきりと覚醒(かくせい)してしまっている。

 だが、もやもやとした感覚が、義人を次の行動に移らせるのを、遅らせていた。

 欲求を遂げられなかった不満もあるにはあるが、それよりも、どうしてそうなったのかという点と、それも含めた、今回の夢全体への疑問の方が強い。映る場景も、流れる感覚も、いつもより妙に生々(なまなま)しかった。

 それに、顔に物がぶつかった時の、他の部位へのそれとは異なって、一瞬混乱してしまう所や、背中から叩き付けられた際の、息が詰まって(うめ)きさえ上げられなかった所など、かなり現実的な痛みへの反応があった。

 起きた今でも生々しく思い出せるが、その痛みが残っているわけではないし、当然、(あと)があるわけでもない。

 しょせん、夢の沙汰(さた)か。義人は一度、大きく息を吐いた。

 明晰夢にしても、完全に思い通りにならなかった事が、これまで全くなかったわけではない。特に、行為までこぎ着けても、その最中に、夢自体が終わってしまう時もあった。

 無邪気に空を飛んでいた頃も、制御(せいぎょ)が思うようにいかず、風に流されるような形になった事もある。

 今回も、きっとそういう(たぐい)のものだったに違いない。そう思う事にして、義人は目覚ましを解除し、ベッドから出て、衣装棚へと向かった。



 朝礼を終えて一限目の準備をした後、義人は残りわずかな時間ながら、旧友の河津(かわづ)と雑談をしていた。

 学期はまだ始まったばかりなので、席順は五十音順のままである。中学までは、男女で出席番号が別れていたが、平山高校は、男女混合だった。

 姓が安久下(あくした)である義人は、往々にして一番である事が多かったが、高二になって突如(とつじょ)相川(あいかわ)赤木(あかぎ)秋吉(あきよし)、という三人と同組になって、これまでで最も数字の大きい、四番になっていた。

 その癖、か行は河津一人しかおらず、(いちじる)しく偏っている。もっとも、そのお陰で、義人はこれまた初めて、年度初めから席を動かずに雑談できる環境を手に入れていた。

 そして今、何よりも重要なのが、二列目の先頭になっている朱野恵理と隣でなく、顔も見ずに済んでいる事である。

 しょせんは夢の沙汰だと思い直したものの、やはり今しばらくは、視線を合わせづらかった。今も彼女の横顔と、上から見下ろしてくる表情が、脳裏に焼き付いてしまっている。

 机の配置は、一列六人なので、前から四番目の義人は登校した際、自然と後ろ側の入り口から入ったが、その時点ですでに、静かに自分の席に座る彼女の後ろ姿が確認できている。

 前を見ていると、どうしても、その後ろ姿に意識が行きかねない事もあり、朝礼が始まるまでの間も、河津の方に向き直って、話をしていた。この席位置には、感謝しかない。

 彼女の名前の読みが『あけの』でない事にも、同様に感謝する必要がある。どちらかと言うと、そちらの方が素直な読みだろう。危うく、河津ではなく、彼女が背後になる所だった。

 どうにか、この金曜まで乗り越えれば、土日を挟む間に、落ち着く事ができるだろう。自分の気持ちの問題である以上、時間が何よりもの薬である。

 今日木曜の一限目は、苦手な数学だったが、気を(まぎ)らわせるものを求めている今の義人にとって、頭を悩ませる難問は、歓迎すべきものとなっていた。



「次、図書委員」

 担任の福地(ふくち)が言うが、例のごとく、誰も手を挙げない。

 表記上、『総合』となっている、木曜の最後の時間だった。

 特に何も行事がない時期は、体育教師による保健の授業として、性教育や、中学の頃から見飽きている、薬物、飲酒、喫煙などに関する、害を訴える映像の視聴などがある。

 何かある時期は、いわゆる『学活』として、学級ごとの決め事を話し合う。特に、学期が始まったばかりの今は、何よりもまず、各委員の担当を決めなければならなかった。

 しかし、二年生ともなれば、各委員の仕事がどういうものかは皆把握(はあく)していて、その中でも図書委員は、放課後の時間を取られてしまうという事を、誰もが常識のように知っている。

「先生、図書委員って、よその組と交代で、放課後に図書室の仕事するんですよね?」

 つい先ほど、体育委員の候補に挙げられながら、同じく挙げられたサッカー部の三浦に上手く押し付けて回避した、野球部の斎藤が言う。中学時代の級友でもあった男で、調子のよい性格と、要領のよい器量がある。

 か行の名前が河津一人しかいない関係で、彼はそのすぐ後ろ、一列目の最後尾におり、義人は河津と一緒に、廊下側を背にして横を向いて座る形で、発言した斎藤の方を見た。

「ああ、そうだ」

「それって、部活やってないやつがやった方がいいですよね?」

「ん? ああ……部には、委員の仕事と言えば、いくらでも考慮してもらえるはずだが……確かに、その方がいいかもしれんなあ」

 これは、まずい。義人は、中学時代からずっと一貫して、帰宅部で通していた。

「よし、じゃあ男子、部活やってるやつ~」

 斎藤が挙手しながら言うと、皆、彼の軽い調子に付いていって(はや)す風でこそなかったが、負担を回避する好機と見て、一人ずつゆっくりと、黙って手を挙げていった。

「えっ?」

 義人が驚いたのは、見渡す限り、ほぼ男子全員が手を挙げている事だった。自分以外に挙げていないのは、つい先ほど別の委員を拝命した、前の席の秋吉だけである。

「これは、決まりかなあ」

 斎藤が、にやにやしながら、孤立した義人の方を見て言う。

「いや、待て! おかしいだろ! 嘘ついてるやついるだろ、絶対」

「後でばれるような事、皆、しねえと思うけどなあ。特にこの組ね、なぜか俺含めて、野球部九人いるんだよな」

「なっ、何だそれ……お前らだけで、一チーム作れるのかよ。どういう偏りだよ」

 斎藤ともよく話すので、この組に野球部が多いのは知っていたが、九人もいるとは思っていなかった。男子は十九人なので、ほぼ半分が野球部という事になる。

「ちなみに、サッカー部も三人いる」

 斎藤の策略で体育委員を拝命した、三浦が言う。他の二人が、それに反応して、名前を呼び合った。

 すると、その流れで、吹奏楽部とテニス部も二人ずつ、それぞれに証明を始めた。

 同じ部の証明相手を持たない一人だけという人間は、義人自身が証人でもある、陸上部の河津だけだった。当人も、これには喜色を隠せず、にやにやしながら、それを主張している。

「野球部の九人足したら、これで十七人かな。後はすでに別業のある秋吉君、そしてお前ね。証、明、終、了」

 独特な音程で言う数学教師の決め台詞を真似しながら、斎藤が言う。皆は笑っていたが、義人はあまりにもとんとん拍子で、きれいに都合の悪い展開が続いた様子に、絶句していた。

「じゃあ、男子は安久下か」

 教壇から、黙って様子を眺めていた福地が言い、さらに斎藤が囃すように拍手すると、全員が続き、それは決定事項になった。

 悪乗りしているのか、女子の過半も、笑いながら拍手している。義人はそれを苦々しい表情で見ながら、朱野恵理の方にも一瞬目を()ったが、彼女は、微動だにしていないようだった。

「お前、ずっと部活もやってないのに、これまで委員とか行事の代表とかの役、全部回避してきたからなあ。年貢の納め時ってやつよ」

 全てを諦めて、自分の席で脱力した義人に対し、河津が言う。

「お前は知らんだろうけど、俺は中一の時に、学級委員だったんだよ」

 河津とは小学校の頃からの付き合いだが、中学では、中一の時だけ、組が異なっていた。

 斎藤と級友になったのも中二からであり、中一の頃に同じ組だった人間は、何の因果か、皆違う高校に進学している。

 もっとも、それで助かった面もあった。中一の頃の言動は、あまり人に知られたくない所がある。

「じゃあ、その後三年間、無職だったんじゃね? そろそろ、もう一回働いとけよ、ニート」

 斎藤が、後ろから楽しそうに口を挟んでくる。

「学生はニートじゃねえよ!」

「はいはい、男子はもう決まったから、静かに。次、女子」

 福地が、面倒臭そうに(いさ)めて、次へと進めている。教師からしても、早く決めてしまいたいのだろう。今日中に、全て決めなければならない。

 決まらなければ、放課後まで延長され、最後はじゃんけん大会になる。去年は、実際にそうだった。担任教師としても、残業のかかった話なのである。

「で、女子も部活やってない人間を、ふるいにかける形でもいいかな?」

 素早い解決方法に味を占めた福地が尋ねるが、女子の中には、さすがに斎藤のようなお調子者はいないので、反応は薄かった。

 もっとも、内心では男子同様、部活をやっていない人間がやればいいし、早く終わるに越した事はないと、ほとんどの者が思っているだろう。

「ええと、じゃあ一応、部活をやっている人間は、手を挙げてくれ」

 こういう時、皆が積極的に手を挙げたい方に促すのは、上手いやり方である。

 元はと言えば斎藤の策略だったが、もともと、福地はこういう手法に()けていた。面倒臭がりだからこそ、皆を素早く動かして、手早く済ませようとする。

「先生」

 皆が手を挙げる中、遅れて手を挙げた朱野恵理が言う。

 何か部活をしているなら、今の義人にとってはありがたいが、それなら遅れて手を挙げ、福地に呼びかけをしているのはおかしい。義人は、固唾(かたず)を飲んで、その後姿を凝視(ぎょうし)した。

「ん? どうした?」

「私、やります」

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