会議
恵理達の姿が見えたのは、因幡の話が終わって、少ししてからの事だった。
「おーい、恵理ちゃーん! と、アホ狐」
因幡がヒレを振りながら、そちらに向けて呼びかけるが、あくまでも自分から飛んで行きはせず、二人を待っている。
二人は、いくつか言葉をやり取りしつつ、ゆっくりと歩いてきていた。
因幡が待っているのは、二人にもその猶予を与えるためだろう。そういう気遣いができる性格なのだという事が、義人にも、つい先ほど分かった。
「そろそろ、出るよ」
「せやな」
表情がはっきりと見えるようになった辺りで、義人は因幡に言い、因幡はそれに応じて高度を下げながら、口を大きく開いた。
「恵理ちゃんが来るまで、義人と一緒にテストしとったんやで。因幡『改』って所やな」
「結局、何も変わってないだろ」
義人は小突きながら言ったが、それは率先して明るい空気を作ろうとしてくれている、因幡に合わせての事である。
そして何より、彼女自身から『いつもどおりに接してくれる』よう言われた事に関して、義人は真剣に取り組んでいた。ふざけた言動によって、目的を真剣に果たそうとする因幡は、今の義人にとって、何よりも頼れる存在になっている。
「その事なんだけど……やっぱり、あんなのがいたんじゃ、空は危険だと思う。フライトは、ちょっとした移動で使う場合を除いて、やめておこう」
恵理が、テンションの低い声で言う。だが、いつもどおりに振る舞おうと努めているのが、分かった。この上は、建設的に話を進めていく方がいいだろう。
「じゃあ、どうする? 今後は、地道に街の調査を?」
「方針をどうするかって所も含めて、今日はちょっと、話し合いをしたいな、って思って。とりあえず、図書室に行かない?」
「あ、ああ、そうだね。あの骨の化物の事とか、いろいろ考えないといけないしね」
「ほな、行こか」
因幡がそう言い、率先して空中を進み始めた。何度も振り向いては、『はよ、はよ』と急かしてくるが、義人はそれを諌めながら、恵理とともに、きちんと上履きに履き替えてから向かった。
校舎に入った最初の二日間もそうだったが、現実感が強いせいか、遠慮が無用な世界であっても、土足で上がるのは躊躇してしまう。
因幡が饒舌な一方で、今日まだ義人の前では口を開いていない玉藻は、その事実とは反対に、何か言いたげな様子で、義人に視線を送ってきていた。何について言いたいのかは、明白である。
だが、因幡がせっかく作ってくれた雰囲気を保つために、義人は、あえてそれに気付かないふりをする必要があった。
程なくして図書室に着いたが、そこに因幡と玉藻がいるのは、新鮮な風景に見える。思えば、恵理との結び付きが強い場所だが、余人を交えて話すのは、初めての事だった。
「とりあえず、そこに座ろっか」
恵理が指したのは、四人席の机である。自然と、恵理と玉藻が並び、その向かいに、義人と因幡が座った。
玉藻は犬や猫のような、前足をそろえた、ちょこんとした座り方をしているが、胴が短いとはいえ、鮫の姿をした因幡は、尾ビレを椅子にあてがいながら、胸ビレを机の上に置いていた。
人間で言えば、手を置くような格好をしているつもりなのかもしれないが、ヒレが短いせいで、まるで斜めに腕立て伏せしているような格好である。
「お前、いつもどおり、空中に浮いておけばいいんじゃねえの?」
「こういうのは、形から入らなあかん」
「ヒレが、ぷるぷる震えてるぞ」
「男には、苦しゅうても耐えなあかん時があるんやで、義人」
「そういう話か……?」
「まあバカ鮫は放っておいて、本題に入りましょう」
「ア、アホ狐……後で、覚えときいや……」
因幡は、場を和ませようとしてやっているようだったが、震え自体は演技ではないようで、本当につらそうにしている。そこまでしなくても、と思いつつも、義人は玉藻の言う通り、話を前に進める事にした。
「本題って言うと、まず、何だろ。あの、骨の天使の謎とか?」
「そこは、重要な所だね。この世界、私達の知識と認識の限りのものがあるっていう話だったけど、あんなもの、誰も想起してないはずだから」
義人の提起に、恵理がすぐに反応した。ある程度、あの化物に対しても、後から冷静に考えてはいたのだろう。
「安久下君が持ってるゲームに出てくる、悪役じゃないでしょうね?」
玉藻が、ぎろりと義人を見ながら言う。声色に棘はないが、主同様、目付きが鋭い。
「いや、あんなのは、ゲームにも漫画にも出てきた事ないから、安心して欲しい……今まで、何かで見た事もないよ」
怯みそうになった気持ちを堪えて、義人は声を落ち着けながら言った。
先ほどの物言いたげな視線の事もあり、玉藻に対しても、少し気後れがある。そもそも、義人にとっての因幡がそうであるように、恵理本人の分身である。
「安心って、逆にそっちの方が、安心できんのとちゃうか? ここには、人間は義人と恵理ちゃんしかおらんはずなのに、それ以外の何かが干渉してきたって事やろ?」
ヒレをぷるぷると震わせ続けながらも、因幡が言う。やはりこいつには鋭い所があるなと、義人は内心思った。
「すごい。因幡君が、洞察してる」
「世も末ね」
「どっかで聞いた、やり取りやなあ……」
「二十四時間くらい前かな」
義人も茶々入れをしたが、表情こそ変わっていないものの、恵理がいつもと同じ節で喋ったのは、因幡のお陰である。
「でも……そうだね。因幡君の言う通り、何か他の存在がいるって事かもしれない」
「どうなんだろう。他にも、一緒にこの明晰夢を見ている人が?」
自分で言いながら、もしそうだったら、ここでの自身の汚点を、その人物にも知られた事になるのだろうかと、義人は思った。
「でも、他に人の姿なんて見かけてないし、まして、あんな上空にまで、影響を与えてくるとも思えないわ。雲から出てくる私達を待ち構えてた感じなのも、気になる所ね」
「ん? つまりこういう事かいな。『姿の見えへん、人ならざるものが、ずっとこっちを見とって、ワイらを襲おうとしとる』……」
「あんた、ふざけてると燃やすわよ」
怪談の語り手のような声色で言った因幡に、玉藻が冷たく言い放ったが、因幡はいつものような反発をせず、右に左に、周囲を見渡した。
「せやけど……何ちゅうか、今も何となく、誰かに見られとるような気、せえへん? 何か、心なしか、声が聞こえるような気もすんねん」
「あんたねえ。皆を楽しませようったって、しつこいと逆効……ん?」
呆れたように因幡を注意した玉藻も、そう言いかけたまま黙りこくり、頭の上の耳を、周囲に動かし始めた。
「えっ? ちょっと、玉藻まで、どういう事?」
さすがに恵理も、慌てて不安そうにしながら、玉藻の方を向いて言った。
「しっ、静かに……あなた達も、聞こえない?」
玉藻も因幡も、遠くを見るような表情のまま、真剣な様子である。だまされたと思って、義人も耳を澄ました。
「……ったなあ……いく……も、範囲が広……こん……初めてだよ……」
「えっ?」
小さくだが、確かに義人にも聞き取れる程度の声が、聞こえてきた。
「静かに。このまま、聞いてみよう」
恵理が、小声で言った。彼女にも、聞こえたようである。
「って、えっ? ……して? そもそ……おかしい! 意識なんて……事自体が……まさか、これも? ……が、こんな形……がるだなん……これじゃ、ミイラ……」
初めは明確な方向性もなく、どこからともなく聞こえてくるかのようだったその声は、徐々に近く、生々しく収束していった。
「声が、近うなってきたで……」
因幡が、小声で言うが、相変わらず、ヒレをぷるぷると震わせていた。こんな急転した事態なのだから、もう普通に浮けよと思うが、今は突っ込んでいる場合でもない。
「もう、どうしてくれ……これ。新しい……連続……あっ、一度……ったら、ひょっ……ずっと、こう? この形……囚われるのか……自身が、押し込め……もう、すっかり……」
声は、徐々にはっきりとしてきた。そして、その発生源が収束した先は、南側の窓だった。
全員でそちらを見たが、凝視する内に、窓の下側に、何かの先端のような白いものが、ちらりと映った。窓の外は、四角形にくぼんだ形状なので、足場になっており、そこに、その何かがいる。
「あっ、声が出てるのか……ああ、声……るなんて! ああ……そうか、意識した事で、彼らが……としての……を……そもそもこれを……実感? つまり、今や……僕……いや……人称なんて、それ自体がおかしな事だ! ああ、僕はこれを、意識して絞らないといけないのか! って、絞れてない!」
声は、はっきりしてくるのと同時に、徐々に大きくなっていった。何を言っているのか、内容は理解できないが、それがまた、怖くもある。困惑している風ではあるが、どこかマッドサイエンティストのような、狂人じみた台詞回しだった。
「バカ鮫」
玉藻が、因幡の方を向いて呼びかけた。
「分かっとるわ、アホ狐。ワイとお前の二人で、とっ捕まえるで」
因幡も、いつの間にか、ヒレで体を支えるのをやめて、椅子から体を浮かせた状態になっている。
「『せーの』で行くわよ」
「ええで。まず、ワイが窓を割るからな」
過激な話を進める二人に、義人は内心では困惑していたが、ここで大きな声を出すわけにもいかないし、声の正体を調べたいのも確かなので、二人がやり取りするに任せていた。
すぐに二人が、取り決めどおりに『せーの』の声合わせをし、矢のように飛び出していく。
因幡が体を大きくしながら、体当たりして窓を割り、玉藻は高く跳んで、窓の割れ残った部分を飛び越えていった。
「なっ、アイツ! この高さから飛び降りおったで! しかも、平気で走り出したやんけ!」
「私が追っておくわ! あんたは、二人を連れてきて!」
「お、おお! そうやな」
二人のそのやり取りの直後、近くに生えている木の揺れが見え、葉の擦れる音がした。玉藻が足場から、それを伝って降りたのだろう。
「義人! 恵理ちゃん! ここの足場使って、はよ乗り込むんや!」
因幡がさらに体を大きくし、こちらに向けて、口を開けた。慣れたのか、すぐに座席も作っている。
「こうなったら、仕方ないか。行こう」
「う、うん。そうだね」
義人が恵理を促しながら、椅子を飛ばすように立つと、彼女も続いて立ち上がった。
危険な事は先にしようと思い、窓まで先に駆けていって開き、残ったガラスのかけらを払った後、近くにあった椅子を窓の前に置いて踏み台にし、足場に降りた。
窓のくぼんだ空間は、あまり広くないため、因幡は口をぴったりと付けているわけではなく、わずかに間が開いている。
「ワイの体は普通の氷とちゃうし、滑りはせえへんから、安心して飛び込んできてええで」
「ああ」
返事をし、腕を上げながら飛び込むと、因幡が言う通り、滑りはしなかったが、着地後にバランスを崩しかけて、義人はよろめいた。
「よっ……っととと」
「義人、そのまま、そこの端側におるんや。手を延ばしとくんやで」
小さな声で、因幡が言ってきた。恵理達が来る前に言っていた、外には響かない喋り方をしたのだろう。
義人は返事をしなかったが、それは因幡の意を汲んだからだった。すでに、彼女が足場まで降りてきている。
「朱野さん!」
義人は、因幡の言う通りに端へと寄りつつ、中央に向けて右手を延ばした。
「うん、行くよ」
彼女がうなずき、跳んだ。そして、着地と同時に、互いに手をつかみ合う。
その直後、義人と同じように彼女はよろめいたが、義人は彼女の方へと踏み込んで、握りあった手に力を入れ、彼女を支えた。彼女は前へとのめりながらも、義人の右手に両手で体重を預け、留まった。
「ありがとう、安久下君。やっぱり……いざって時、頼れる感じがするよ」
「あ、いや……大した事は……」
微笑みながら言ってきた恵理に対し、義人は照れ臭くなり、彼女と手を握りあったまま、空いた左手で頭をかいた。
「ええ雰囲気のトコ悪いけど、アホ狐だけに任せとけへんし、急ぐで。はよ、席に座るんや。足場とか作るで」
「お、おう。そうだったな」
義人は急いで席に座ったが、彼女はそれまでも、それからも、つないだ手を離さなかった。
観覧車の時に感じたのと、全く同じ質感と、温かさが伝わってくる。同じ轍を踏まないよう、義人はこみ上げてくるものを身中に抑え込んだが、出口を失ったそれは、義人の心の中を駆け巡り続けた。
因幡の方も、今日会ってすぐにあんな話をしておきながら、足場や台、手すりを作る一方で、義人と恵理の間には、何の仕切りも設けなかった。




