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飛行

「すごい。本当に航空写真みたいに、上からの景色が見えるねー」

 恵理が、因幡の体を通して、小さくなった建物を見ながら言う。

「実際がこうかは分からないけど、細部が違っていても、概観(がいかん)は変わらないだろうしね。自然に見えるように、表現されやすいのかも」

 恵理の機嫌は直ってきたようであり、義人はそれを感じて、ほっとしながら言った。

 会って三日の内に、ずいぶんと秘せられていた本性を目の当たりにした気がするが、まだ全てではないようである。本性を出している時も、いつも飄々(ひょうひょう)としている風だったので、機嫌を損ねて口数を減らす様を初めて見て、義人は驚いていた。

 そもそも、女性の機嫌のスイッチというものが、今一つ分からない。これに関しては、母がスイッチのはっきりした人間だった事が、義人の経験学習の機会を奪ってしまっている。

 セクハラじみた冗談が駄目という事は分かったが、そもそも、義人はより直接的な行動を、この夢の中での出会い頭にしていたわけで、彼女はそれを、何度もからかいのために持ち出しつつも、怒りをにじませた事はない。

 むしろ、図書委員の初日にそれを持ち出してきた時など、ひどく楽しそうだった。その時の、獲物をなぶって遊ぶ猫のような印象が、義人の中で、彼女の本性として焼き付いている。

 もっとも、猫も暖が欲しい時は人のひざの上に乗ってくるくせに、機嫌が悪い時は人の呼びかけを無視したり、触れてきた手を()んだりするので、ある意味、猫らしくはある。母の実家にいる猫が、そんな風だった。

「とりあえず飛んだはええけど、どうするんや?」

 ある程度の高さになった所で、因幡が言った。相変わらず、発声の仕組みは分からないが、(そば)で向き合って話す時と同じように、ちょうどいい声量で聞こえる。これが、人間の体の中だったら、きっと、こんな風に聞こえたりはしないだろう。

「もっと、高度を上げて。雲まで、行ってみて欲しいな」

 恵理が、いつもの好奇心にあふれた調子で言う。

「目的、変わっとるんとちゃう……?」

「いいから、いいから。まだ、今日の夢は始まったばかりだし、時間に余裕はあるから、いろいろ試してみようよ」

 上の空に、下の街並みにと、すっかり、好奇に目を輝かせている。因幡が言う通り、目的が変わっている節がある。

 そうした空からの景色を見て、一転して機嫌がよくなった辺り、意外と子供っぽい所もあるなと思ったが、もちろん口にはしない。

 そして、主が口数を減らしている間、代行するように場を取り仕切っていた玉藻は、今は何も喋らずに、席に寝そべっている。その我関せずといった姿といい、こいつもまるで猫のようだと、義人は思った。

「安久下君は、飛行機に乗った事はある?」

 怠惰(たいだ)に寝そべったままの玉藻を挟んで、恵理が尋ねてきた。

「あるよ。中学の修学旅行が、沖縄だったからね。家族で東京行った時にも乗ったから、現実の方では、二度だね」

「へえ、いいなぁ。私、乗った事ないんだよね。この光景はきっと、安久下君の記憶から作られてるんだろうね」

「学校から、飛んだ事はないけどね……そういえば、夏にある修学旅行、行き先の希望届けあったでしょ。確か、次の月曜に集めるって」

「ああ、あったね」

 選択肢は、北海道と、東京と、沖縄の三つだった。義人からすれば、下の二つはすでに行った事があるので、河津や斎藤達とも示し合わせて、北海道にしてある。

 希望があまりにも少ない所は廃されてしまうらしいが、四組だけでも結構な数がいるので、北海道の安泰は、確定的である。一応、次の木曜の総合の時間に、それが発表される予定だった。

「東京以外なら、どっちも飛行機だよ」

「えっ? 東京って、飛行機じゃないの?」

 彼女が、切れ長の目を大きくして、驚きの表情を見せた。今日は、やたらと感情表現が豊かである。

「う、うん。何でも、富士山が見えるようにって、新幹線らしいよ。配布資料、見なかった?」

「あー、よく見てなかったねー。それなら、やめた。安久下君は、北海道?」

「そうだよ。他は二つとも行った事あるし。沖縄もいい所で、また行きたい気もあるけど、修学旅行だと、面倒が多いからね」

「面倒?」

 彼女が、小さく首をかしげて言う。身振りやしぐさも、学校では見せない、豊かなものになっていた。

「いや、その……修学旅行だと、どうしても教育の一環として、沖縄戦の史跡とか回って、今の平和云々(うんぬん)、ってなるでしょ? 別に、それに反発したりするわけじゃないけど、やっぱり、せっかく楽しく旅行に来てるってのに、暗い話ばかり聞かされたくないんだよね」

「あー、分かるかも。小学校の時の社会見学が、わざわざ広島まで行って、原爆教育だったなあ。語り部さんのお話、子供ながらに、すごく重かった」

「うん、俺もそうだったよ……展示も、かなりグロテスクだしね。伝えたい事や、意義は分かるんだけれども」

「北海道なら、それもなくて安心、と?」

「配布資料だと、アイヌ文化の勉強会になってて、そっちの方が新鮮さもあって、いいかなって。アイヌはアイヌで、迫害の歴史とかもあるだろうけど、資料の記載見る限り、それメインでやるわけじゃないと思うんだよね。もともと、独特の文化があったわけだから、その紹介が多いと思う」

 あごの下に人差し指の先を当て、資料の内容を思い出しながら、義人は言った。

「沖縄も、そういうの中心にすればいいのに」

「配布資料見るに、それはあまりないんだよね。首里城行くくらいで。後は、俺が中学の時にも行った、防空壕回ったりとかだった。一応、(ちゅ)ら海水族館とかもあるけど」

「じゃあ、私も北海道にしよう」

 両手を合わせ、小さく音を出しながら、笑顔で言う彼女に対し、義人は悪い予感がし始めた。

「えっ……ひょっとして、旅行中も、夜はここに来る事に……?」

「いい実験でしょ?」

「むしろ、物理的に離れた状態でもできるかどうかの実験をする好機では……?」

 内心では、元の明晰夢を見て、好き放題にする好機かもしれないと、義人は思っていた。今の夢も楽しいが、たまには二日か三日くらい、違った息抜きがあってもいい。

「ダメだよ。もしもそれで離れ離れになったら、安久下君が何も知らない他の子を襲っちゃうから」

「『非実在青少年』ってやつ?」

 義人は、ため息をつきながら言った。恵理は今や、すっかり猫の笑みになっている。

「同級生の、他の子と会うかもよ? ちゃんと実在する私を襲おうとしたっていう、前科があるしねー」

「ちなみに義人は、(ひそ)かに付き合っとった元カノを、(なか)ば無理やり押し倒して、それが原因で別れとるからな」

 何の気もないような調子で付け足した因幡のその台詞を聞いて、義人は腰を浮かせ、目を大きく見開いて慌てた。

「なっ、馬鹿お前、その話は」

「へー、筋金入りかー」

「せやで。その時の事を明晰夢で見た際も、平気で襲っとったしな」

 恵理が、にやつきながら好奇の視線を送ってくる中、先ほどまで、家猫同然に寝たままだった玉藻も、首を上げて冷たい視線を向けてきている。

「お前、(しゃべ)っていい事と、悪い事があるだろ!」

「やっていい事と悪い事も分からへん男に言われてもなあ。あっ、そろそろ雲の中に、突入やで」

 義人の叫びを軽くいなしながら、因幡は雲の中へと入っていった。因幡の体の全面に、その淡い光景が映っている。現実の飛行機のような、気流による揺れはなかった。

「わー、すごーい」

「この雲を突き抜ける光景も、義人が持っとる記憶のお陰やろうからな。感謝せなあかんで!」

 外の方に目を移してそう言った恵理に、因幡が(はや)す。話題を変えてくれたと言うよりは、こちらの抗議の機会をかき消したのだと、義人は思った。乗る前にしたやり取りの、意趣返しなのかもしれない。

「そうだねー。このまま、上まで出られる?」

「まっかせーや!」

 すっかり調子に乗った因幡が、さらに上昇速度を上げていき、雲を抜けた。

「なっ、ちょっと、あれ!」

 因幡が白い帯を棚引かせながら雲の上に出た所で、それまで黙っていた玉藻が、座席から立ち上がりながら、真っ先に声を上げた。

「いや、ちょっと……え、ええっ?」

 恵理もそれに続いて、ひどく驚いた様子で、困惑の声を発している。

 前方の空中に、大きな人骨が、こちらを向いて浮かんでいたのである。下半身はなく、脊椎(せきつい)の先が蛇のように長く伸び、その先端は悪魔の尾のように、大きく鋭い三角形の(とげ)になっている。

 そして肩甲骨の先からは、腕とは別に、同じく骨でできた翼が生えていた。図鑑で見たコウモリの指骨のように、横に伸びた翼の骨から何本かが、枝分かれして下まで伸びている。羽ばたかせる風ではないが、それを大きく横に広げて浮かび、空虚な眼窩(がんか)で、こちらを見ていた。

 その、天使の骨格標本のような凶々(まがまが)しい姿は、とてもおぞましく、義人は息を()んだ。雲上で、それが陽光を背にしてそびえる光景は、ゲームの最終局面かのようである。問題は、とても攻略法があるようには見えない事だった。

「因幡、方向転換だ! 逃げろ!」

「お、おお、そ、そうやな! 逃げるが勝ちやで!」

 因幡が、すぐに向きを変えた。もともと、垂直上昇していただけなので、軌道(きどう)(ふく)らませる事なく、その場で回れている。そしてすぐに、ジェットのように直進を始めた。

 因幡の飛ぶ原理も謎だが、今はとにかく、その力で逃げてもらうしかない。骨の天使も、体の向きはそのままに、同じくジェットのように平行移動する形で、飛んで追ってきている。

 これまで、明晰夢を何度も見てきていた事もあって、しょせんは夢の沙汰(さた)だという余裕が義人にはあったが、後ろを向いて、因幡の体越しに骨の天使を見ると、やはり、それなりに恐怖を感じずにはいられなかった。

 ホラーゲームと同じで、仮想であろうと、怖いものは怖い。それが、巨体らしからぬ速さで、迫ってきている。

「ちょっと、バカ(ざめ)! もっと速く飛べないの!」

 玉藻が、後ろから迫りくる骨の天使を見ながら、焦った調子で叫んだ。

「これが全速や、アホ(ぎつね)! 向こうが、デカいくせに速すぎるんや!」

「因幡、高度を下げろ。雲の中に隠れながら、逃げるんだ」

 二人が叫び合う中、義人は極力、声を落ち着かせて言った。

「えっ? あっ、りょ、了解やで!」

「下向きになるぞ。皆、台につかまれ」

 落ち着いた調子のまま呼びかけると、全員、すぐに従った。玉藻は、座席を降りて床の段差に身を預けながら、自分で言っていた通り、台に数本の尾を絡めて、つかまっている。

 そして、因幡が雲の中へ斬り込むように、体を傾けながら鋭い軌道で入っていき、全面が雲に(おお)われると、すぐ後ろにまで迫っていた骨の天使の姿も、見えなくなった。

「ふう。安久下君、意外とこういう時、冷静なのね」

 玉藻が、狐らしからぬ安堵(あんど)のため息をつきながら、義人の方を見上げて言った。

「せやな。ワイも全速出すのに必死で、よう考えとらんかったで。単純な事なのに、混乱しとったわ」

「油断するのは、まだ早いぞ。姿が見えないだけで、追ってきてはいるだろ、多分」

 義人は後方を見遣(みや)りながら、困惑の声を上げて以降、言葉を発していない恵理の方にも視線を配った。台に手を置いたまま、不安そうに後方を見ている。何か声をかけたかったが、いい台詞が思い浮かばない。あまり、そればかりを考える余裕もなかった。

「ええと、つまり……これから、どうしたらええんや?」

「とりあえず、この雲の中でしばらく時間を稼いでから、その後に雲の下に一瞬、出てみよう。その時点で、あの骨の天使がいなかったら、地上に逃げる好機だ」

「いたら、すぐまた雲の中に逃げ込むんやな」

「そうなるな」

「地上……大分飛んじゃったけど、大丈夫かしら。学校からは、すっかり離れてしまったわね」

「仕方ないさ。今は、とにかく……」

 義人が玉藻に言いかけた瞬間、急に、きれいに視界が開けた。

「えっ?」

 義人だけでなく、全員が驚きの声を上げた。雲の途切れ目に出てしまったのは分かったが、問題は、後ろから追ってきていたはずの骨の天使が、すでに前方で待ち構えている事である。さすがに義人も、それ以上の言葉を失った。

「玉藻、焼き払って!」

 目を見開いた、おそらく誰も見た事がないであろう形相(ぎょうそう)をした恵理が、玉藻に向かって叫んだ。

「む、無理よ、いくらなんでも! 本気でやっても、バカ鮫さえ溶けなかったんだから」

「なっ、お前あれ、本気で溶かそうとしとったんかい!」

「いや、お前、そんな事言ってる場合じゃ……」

「『気の持ちよう』なんでしょ? 二人とも、何とかしてよ!」

 恵理の大きな声に、義人の言葉はかき消された。

「せやかて、根性論でなんとかなるってわけやないやろ! 向こうの方が、気も体もデカいに決まっとるわ! 逃げるしかないで!」

 因幡は、骨の天使に気付いた時には減速を始めていたが、それまでが全速だった事もあって、さすがに最初とは異なり、曲がる軌道が膨らんでしまっている。

 義人達は、手すりと台をつかんで遠心力に耐えていたが、すぐに前方の視界に、後方から伸ばされた巨大な骨の天使の手が、抱え込むかのように、因幡の進路を(ふさ)ぐのが見えた。

「ぬあー!」

「ああもう、何なの、このダイダラボッチ! でかい図体して、物理法則くらい、守ったらどうなの!」

 恵理が、今度は因幡の悲鳴をかき消すほどの勢いで、激昂(げっこう)して叫んだ。義人がそれに驚く間に、骨の天使の手が因幡の背へと振り下ろされ、強い揺れと衝撃を感じた。

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