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搭乗

「お、始まったみたいやな。ワイらもう、完全にセットになっとるな」

 石柱が見えたのと同時に、上から因幡の声がし、義人はそのお陰で、すぐに状況を認識した。

「そうみたいだな。お前の方が、先にいたわけじゃないだろ?」

「せやで。ワイも今気付いたばかりで、すでに義人が下におったからな。完全に同時やろ」

 因幡が、高度を下げて義人と並びながら、飄々(ひょうひょう)とした様子で言う。

 昨日の事を、特に根に持ってはいないようだった。義人から受け継いだのは記憶情報だけで、やはり性格は違うのだろう。

 もっとも、喉元(のどもと)すぎれば熱さを忘れるという点に関しては、自覚のある、義人の性癖でもある。だからこそ、恵理ともすぐに和解できていた。

「彼女達は……」

 言いながら辺りを見回したが、姿は見えなかった。待ち合わせ場所は、今回から、この石柱の前のはずである。

「まだ、おらんみたいやな。金玉音頭(きんたまおんど)(おど)るなら、今の内やで義人」

「勝手に、変な音頭を作るな」

「作ったん、義人やろ」

「そんなもん、知らねえよ。人の記憶を捏造(ねつぞう)すんな」

「は? これやで?」

 そう言うと、因幡は空中で盆踊(ぼんおど)りのように胸ビレを左右に振りながら、歌い始めた。

「はっああっあ~キンタマあーああ~しーぼればーあふれてくーるよ~はードッコイショー、ドッコイショー、精・液!」

 実演され、すぐに思い出した。これも中一の時の忘れ去りたい記憶の一つで、性教育の後、皆から笑いを取ろうとして、自分で作った歌のようなものだった。

「それかよ! お前、勝手に変な手振りと名前付けてんじゃねえよ!」

「ワイは義人自身でもあるから、著作権的にセーフ」

「そういう問題じゃなくて……」

「やっぱり、男ってしょうもないわね」

「そうだねー」

「えっ?」

 声を聞いて後ろを振り向くと、恵理と玉藻が、冷たい目でこちらを見ていた。

「ちょっ、いつの間に」

「ワイが歌い始める頃に、来とったで」

「見えたなら、歌うのやめろよ!」

「アホか! 歌は人に聞かせるためのものやろ!」

「『著作権』と言うからには、安久下君が作った歌?」

 逆ギレする因幡に反論しようとした所、恵理に割って入られた。

「せやで、恵理ちゃん。義人が、(よわい)十三にして作った名曲や。才能あるやろ?」

「そうだねー」

 彼女は因幡の方ではなく、義人の方に向き直りながら言った。先ほどまでの冷たい目は、義人をからかう時に見せる、いつもの猫の笑みに変わっている。

 よく考えたら、因幡は義人の弱みを、誰よりもたくさん知っている。

 昨日は因幡がひどい目に()っているのを見て、内心、どこか安心した気分になっていたが、ひょっとすると、この中で最も地位が低いのは自分になるかもしれないと、ひどく不安になりながら、義人は思った。

「それより、試したい事があるんじゃなかったの?」

 玉藻が、恵理に向かって言う。義人にとっても、助け舟だった。

「ああ、そうだったねー。ちょっと提案というか、お願いがあるんだけど」

「お願い?」

「うん。安久下君にというより、因幡君になんだけど」

「ワイに?」

 因幡が、意外そうな反応をする。義人も意外に思い、二人で顔を見合わせた。

「うん。これから、外を探索(たんさく)したいって話になってるのは、安久下君の記憶から知ってるよね?」

「せやな」

「そこで、皆を乗せていって欲しいんだけど。飛んでいけば、私も安久下君も知らない場所まで、すぐ行けるだろうから」

 そういえば、当初の予定では、昨日は乗り物を探すという話だったなと、義人はそれを聞いて思い出した。

「いや、上に乗るにも、一人くらいやろ。それに、重いって思うてしもうたら、一人分やろうと、飛べへんかも」

「氷の体なんだし、やろうと思えば、いくらでも大きくなれるんじゃないかな、と思って」

「だから、『試したい事』って言ったのよ。体が大きくなれば、荷の重さも気にならなくなると思うわ。もともと、きちんとした航空力学で飛んでいるわけでもないし」

 玉藻自身も、よく分からない原理で炎を吐いており、『それを言ったら、おしまいでは』という気もする。

「ん? あ、そうやなあ。性悪(しょうわる)のアホ(ぎつね)はともかく、恵理ちゃんにそう言われると、できる気がしてきたわ」

「言うだけでいいのか……」

 無茶振りにしか見えなかったが、因幡があっさりとそう言うので、義人は少し、戸惑(とまど)うような気分だった。

「あ! 義人、疑ったら駄目やで! 急にできんようなってまうかもしれへん!」

「ああ、はいはい。できるできる、お前ならやれる。頑張れ頑張れ」

「何や、その適当な棒読みの応援は……」

 因幡はそう言いつつも、実際に、体を大きくしていった。ただし、胴の短い寸法は変わっていない。

 義人は内心、『本当にできてしまったのか』と驚いていたが、『この世界では、もう何があっても驚くべきではないのかもしれない』という、悟りにも似た心情も、同時にあった。

「ちょうどいい大きさかなー。いや、もう少し、高さが欲しいかな?」

「口から入らないといけないだろうし、確かに、もう少し大きい方がいいわね」

「任せとき。ここまで来たら、一緒や」

 道に寝そべった因幡は、すぐに車ほどの大きさになっていた。まるで、遊園地の遊具である。

「これで、ばっちりやろ。中に入ってみ」

「氷で、できてるんだろ? 冷たいんじゃないのか?」

「今さら、何言うとるんや。そんなの、気の持ちようやと思うで。ワイの体、ただの氷とはちゃうわけやん? ワイ自身、自分が周囲から熱を受ける事はあらへん、って思うようにしとるし。そうやないと、溶けてまうわけやからな。ちいと、触ってみ」

 そう言われて外から触ってみると、確かに冷たさを感じない。元が不思議な物体、ないし生物だから、あまり思い込みなく、都合のいいように(とら)えやすいのかもしれない。

 そもそもこの世界に、厳密に熱量があるわけでもないだろう。外気は適温としか感じないし、因幡の言う通り、気の持ちようだった。

「確かに平気みたいだけど、そう言う割には、昨日は炎を熱がってたよな」

「そら、義人だって、ここで投げ飛ばされても怪我(けが)せえへんかったけど、衝撃とか、痛みとかはあったやろ。多分、基本的には明晰夢として、自分のええようにできるんやけども、同じくええようにできる相手から積極的な干渉を受ける場合、せめぎ合いになるんやと思うで」

「すごい。因幡君が、洞察(どうさつ)してる」

「世も末ね」

 二人のやり取りは、ひどいものに思えるが、因幡は怒るどころか、むしろ喜色を見せている。

「お調子者が実は切れ者って展開、ええやろ。まあ洞察力に関しては、必ずしも、知識量に比例せえへんからな。つまり、知識が同量でも、義人よりワイの方が……」

「せいっ」

 因幡が皆まで言う前に、義人はその体に()りを放った。

「あだー! 何すんねや!」

「うん? いや、お前の仮説を試したんだけど、その通りみたいだなー」

「お前なーっ! 今のデカさのワイに喧嘩(けんか)売ったらどうなるか……」

「そいっ」

 正面から、ぎざぎざの歯を見せて威嚇(いかく)してきた因幡の鼻先を、義人は、拳で軽く殴りつけた。

「あんぎゃあ! 痛い! めっちゃ痛いで!」

「おお、(さめ)って、鼻が弱点って言うからな。その認識で殴ったら、やっぱり、しっかり反映されてるな」

 叫び、のたうちながら後ろへ下がる因幡を見て、義人は先ほどまで()しかった気分が、一気に晴れてきた。

「それは、いい事聞いたわ」

 玉藻が、にたりと笑いながら反応した。主が見せる猫の笑みは小悪魔のようだが、こちらは、悪魔そのものに見える。

「なっ、義人、お前のせいで、あかんやつに弱点知られたやないか!」

「お前が、調子に乗るからー」

「まあまあ、二人とも落ち着いて。せっかく、今から空の旅に出るんだから、仲よくしようよ。今はとにかく、因幡君の力が必要だから、安久下君も許してあげて」

 恵理が、両手の平を見せて小さく扇ぎながら、(いさ)めてきた。

「うう……恵理ちゃんの優しさが、五臓六腑(ごぞうろっぷ)に染み渡るで……せやけどワイ、今ので、深刻なダメージ負ったわ」

「内蔵なんて、一つも持ってないだろ。それとダメージってお前、気の持ちようって、さっき言ってたろ」

「せやから、ワイの気を回復させなあかんねん。飛行機と同じで十全な状態やないと、飛ぶのは危ないやろ? 恵理ちゃんが、足を絡めるように体こすりつけながら、鼻をなでなでしてくれたら、きっと気分がようなって治ると思うねん」

「玉藻」

 瞬時に、恵理の声からは感情が、顔からは表情が消えていた。玉藻も、主の意図を素早く把握(はあく)したらしく、再びにたりと笑う。

「ええ。昨日もあれだけやって無事だったし、多少、焼いてしまっても問題ないわね。何せ、気の持ちようだものね」

「じょ、冗談や! 今すぐにでも飛べるで! ほ、ほら義人、はよ乗れや。善は急げ、悪も急げやで!」

 因幡が必死な表情で、手前側にいた義人を急かしてくる。

「……まあ……とりあえず、入ってみるか」

 少し考えたが、下手な事をする内に、殺気立った恵理達の矛先が、まかり間違って自分に向いてしまわないよう、早く進めた方がいいだろうという結論を、義人は素早く下した。

 鮫らしく、大きく口を開けたままの因幡の下あごの歯をまたいで、中へと入った。先ほど触れて試したように、冷たさは感じない。

「ほらほら、さっさと奥へ行くんや」

 口の中に留まった義人を、因幡が急かす。しかし、義人は実際に入ってから中を見て、問題点に気付いて足を止めたのだった。

「いや、あの……中が空洞なのはいいけど、こう、体の形まんまだと、円筒状だから足の踏み場も大変だし、三人も入るんだからさ、椅子(いす)とか作れない?」

「あんま複雑な構造のものは、作れへんで」

「簡単なので、いいんだよ。とりあえず、まずは扁平(へんぺい)に、床を作ってみてくれ」

「ん? ああ、そのくらいなら、簡単やけども」

 お安い御用と言わんばかりに、因幡は胴部分の下部から、水位を上げるようにして氷をせり上げ、床を作った。奥に進んで踏んでみると、きちんと、しっかりとした硬さである。

「今のを特定の箇所から先にだけ、できたりする?」

「細かい造形やなくて、大雑把(おおざっぱ)な形やったら、できるで」

「よし、じゃあ次は、今俺がいる所の一歩先を同様にせり上げて、段差を作ってみてくれ」

「ん? ああ、そういう事か、分かったで義人」

 細かく、順々に指示しなければならないかと思ったが、因幡は、すぐに座るのに程よい高さに段差を作った後、さらに少し奥にもう一つ段差を設けて、背もたれのある長椅子ができあがった。

「最低限、座る所はできたわね。まだ不完全だけど、私達も、ひとまず入りましょう」

「そうだね」

 義人ができあがった椅子に腰かけると、玉藻は主を促しつつ、九つの尾をなびかせながら、小走りに因幡の下あごを飛び越えて、中に入ってきた。

「あがが。しかし、ずっと口開けとくのも辛いで。歯医者で、中々休憩(きゅうけい)もらえへんかった時を思い出すわ」

「それ、俺の記憶だろ」

「どうでもいいけど、出入りする時に口動かさないで。この状態ではっきり(しゃべ)れてるんだから、それも気分の問題でしょ」

「は、はいな……」

 先のやり取りのせいで、急激に態度が厳しくなった恵理の注文通り、口を動かさずに因幡が答えた。昨日は、口を閉じたら発言を封じる事ができたが、それも気分の問題だったという事なのだろう。

 そして、この場合、『他山の石』と言っていいのかは分からないが、恵理に対してセクハラじみた言動は厳禁だという事を、義人は一つ学んだ。

 玉藻も椅子に上がり、義人の隣に、猫のように寝そべった。尾が二、三本、義人に被さっているが、当人は気にした様子はない。義人も、特に抗議するでもなかった。

「よっしゃ、全員座ったな。飛んでみるで」

 玉藻の隣に恵理も座った所で、因幡が言った。

「ちょっと待ちなさい。まだ、不完全って言ったでしょ。このままだと、あんたが旋回したり下向いたりした時に、皆が大変な事になるわよ」

 玉藻が、上体を起こして言う。確かに明晰夢といえども、このままでは無謀すぎるかもしれない。

「あーせやかてシートベルトなんて作れへんし、足の前に、段差作ったらええか?」

「それもだけど、胸の高さに、こう、突っ張り棒みたいなのを作れないか?」

 義人も、手振りをしながら付け足したが、因幡に見えているのかは分からない。

「んー、ちょい待ってーな。一度壁を作って、そこから不要な部分を削るわ」

 因幡がそう言うと、シャッターのように、氷の壁がひざの上まで降りてきた。そして、徐々に上の部分がなくなっていき、柱と柱をつなぐ(はり)のようにして、直方体が残った。

「おお、台みたいになって、ちょうどいいぞ」

 腕を投げ出して軽く叩きながら、義人は言った。

「よっしゃ、足の方の段差も作るで」

 足の前の方の床がせり上がり、足場ができた。これなら、台とそれとで、体重をかけて踏ん張れるだろう。

「縦の揺れは、これでよさそうね。後は、横よ。その調子で、境目に手すりも頼むわ」

 玉藻が、両側の尾を一本ずつ動かして、自分と義人達の境目を叩いた。どうやら個別に一本ずつ、器用に動かせるようである。

「このくらいの高さでええか?」

 叩かれた場所をせり上がらせて、因幡が言う。いよいよ、本当に遊園地の遊具のようでもある。

「いいと思うわ。二人も、いいでしょ?」

「うん」

「いや、俺達にとってちょうどいいけど、玉藻は大丈夫? つかまれないんじゃ?」

「いざとなれば、尾でそこの台につかまるから大丈夫よ」

「そんな、パワフルに動くのか……」

「気の持ちようよ。ふふふっ」

 相変わらず、笑ってみせた時の方が、怖い顔である。元が、笑顔を作るような動物ではないので、不自然に見えるせいかもしれない。

「よっしゃ、じゃあ今度こそ、飛んでみるで」

「気圧の問題とか起きはしないとは思うけど、一応、高度上げるのは、ゆっくりしろよ?」

「まっかせーや!」

 自信満々に言う(さま)が、逆に不安である。義人は上昇する間、下半身への生々しい浮遊感を覚えながら、ずっと台に手をかけて、いつでもつかまれるようにしていた。

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