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具現

 結局、予想外の展開のために、当初の予定だった学校の外に出る事はなく、目と鼻の先の運動場で、二匹もとい二人と、会話する流れになっていた。

 義人と恵理が、自身に関するどんな質問をしても、二人は正確に答えた。細かい記憶まで、完全に一致しているようである。

「せやからワイも、歴史には詳しいねん。玉藻前(たまものまえ)が九尾扱いされるようなったんも、江戸時代からなんやで。それまでは、単なる妖狐(ようこ)扱いや。大陸から、黄砂(こうさ)みたいに九尾の話が飛んできて、影響受けただけやな」

 そんな細かい話を持ち出しても仕方がないだろうと思って義人が言わなかった事を、自慢げに因幡(いなば)が語る。知識こそ義人と同じだが、性格はまるで違っていた。もちろん、おかしな関西弁ともども、そうなるように義人が望んだわけではない。

 義人がエセ関西弁を喋っていたのは中一の頃なので、因幡の精神年齢も、そのくらいの幼い時のものなのかもしれない。

 実際、義人もその頃は知っている事をひけらかさずにはいられないたちで、家でクイズ番組を見れば大声で自分が思った答えを叫んで母に(しか)られ、歴史の授業中も勝手に口出しをして、教師に叱られていた。

「まあ、何でもいいわ」

「そうだね。因幡の和邇(わに)だって、自分で言ってた通り、学説割れてるんでしょ?」

 案の定、二人は涼しい顔で受け流している。因幡はそれが気に入らないのか、歯ぎしりをしていた。目こそ単純な真ん丸だが、口元などが漫画のように不自然によく動き、妙に表情豊かである。

「はん、でも(さめ)(きつね)なら、鮫の方が強いわな。義人は恵理ちゃんに頭上がらんみたいやけど、ワイとお前は、ワイの方が上やで!」

 因幡は大仰(おおぎょう)な手振り、もとい『ヒレ振り』をしながらそう言うが、義人には、どうしてもそうは思えなかった。

「ふうん? 狐火(きつねび)っていう言葉があるくらいだし、あなた、炎くらい使えたりしない?」

「そうねえ」

 無茶振りしてきた主に対し、何の気もないような返事をしながらも、玉藻は空中にいる因幡に向かって、息を吹きかけるように、口から小さく炎を噴射した。

「熱っ! 何やお前! どこに口から炎吐く狐がおんねん!」

 それを言ったら、空中を泳ぐ、氷でできた鮫も見た事はないが、義人は先ほどから呆れたまま、口を開く気になれなかった。恵理達も、因幡を無視して会話している。

「おーすごい。本当に、使えるんだねー」

「それは多分、因果関係が逆ね。あなたがそう思ったから、私が使えるようになったんじゃないかしら。言われて初めて、そうできる気がしてきて、実際にやってみたら、できた形だったから」

「なるほど、さすが明晰夢。便利だねー。ねえ、安久下君、これって、私達も頑張れば、何か特殊な事できたりするんじゃない?」

「えっ? いや、無理はしない方がいいんじゃないかな……俺達の場合、あくまでも人間の体の構成だし。それこそ、火なんて扱ってたら、服に燃え移ってしまうかもよ?」

 義人は二日前にも空を飛んでいたが、彼女の性格を知った今、その事は伏せておいた方がいいと、瞬時に判断した。

 あれやこれやと何をさせられたか分かったものではないし、あるいは義人がそうできる事を知った事で、自分でも無茶をやろうとしてしまうかもしれない。

「それもそうか……確かに、何でも思い通りになってしまったら、それはそれで、反動とか暴発とか、怖い所ではあるねー。ま、何かあれば、二人に任せればいいか」

 その二人はと言うと、身をよじって炎をかわしながら逃げ回る因幡を、玉藻が一方的に追い回している状態になっていた。

「あぢゃぢゃっ! 氷に炎は効くからやめなさいって、子供の頃、ゲームで習わんかったんか?」

「効くから、やってるんでしょ」

 玉藻は、起こしている現象とは真反対に冷たく言い放つと、逃げる因幡へ、さらに長く吹きかけた。

「ひどい! ひどすぎるで! 味方やん!」

「強姦魔の使い魔と、味方になった覚えはないわ」

「とっくに和解済みの、終わった事やん! そもそも未遂やったのに、お前のは完遂しとるやないか!」

「まだよ。全部蒸発して消えるまでやって、ようやく完遂」

 玉藻はそう言いながら跳び上がり、両前足で因幡を捕まえて地面に叩き付け、そのまま胸ビレを押さえつけながら、直に炎を吹き付けた。

「あんぎゃあ!」

 自分の分身のような存在がそうされている事に情けなさを感じる向きもあるが、どうやら自分にその苦痛が反映される事がなさそうだと確認すると、義人は無表情に事なかれ主義を貫いた。

 特に、この怪しげな夢世界では、『自分に痛みや負傷が反映される』と思い込む事で、本当にそうなってしまうかもしれない。他人事のように構えるのは、実用的な態度に違いなかった。

「こらぁ! 義人! 助けんかい!」

 案の定、因幡は抗議してきた。玉藻に抗議しても、聞き入れる様子がないからだろう。

「いや、お前、自分から喧嘩(けんか)売ったんだし、自分でなんとかしろよ……」

「そうよ。鮫は、狐より強いんでしょ?」

 玉藻が、再び因幡の背へと炎を吹きかける。胸ビレを押さえられている因幡は、今や身をよじる事もできない。

「ぎゃああ! 嘘や! ほんの出来心で、優位取ろうとしただけや! 義人由来の男性ホルモンが悪いだけやねん! 堪忍(かんにん)しいや!」

 因幡の体からは、実際に蒸気が見えているが、漫画で理不尽(りふじん)な目に遭って笑いを取る担当のキャラのように、多分こいつは最終的には大丈夫だろうという、謎の信頼感があった。

 そのため、義人はそちらの方の心配はせず、この後の事を、恵理に尋ねる事にした。

「それで、今日は、この後どうする? 予定通り、外を探索(たんさく)?」

「うーん、それなんだけど、仲よくじゃれ合ってるのを邪魔するのも気が引けるし、今日はこのまま、ゆっくりしようか」

 どう見ても、仲よくじゃれているようには見えないが、恵理の場合、本気なのか冗談なのか、分からない。

「まあ、また時間が、半端になってしまった感はあるね……ああそうだ。ここにいられる時間って、どのくらいだと思う? 睡眠の周期って大体、一時間半くらいって聞くけど」

「ふうん? その一時間半が、ここにいられる時間かもしれないって事? でも、一昨日はともかく、昨日は安久下君の方が後に来ておきながら、先に落ちたよね?」

「ああ、そういえば、そうだったね……まあでも、睡眠周期にしても、個人差あるらしいから」

「どうだろうねー。でも確かに、体感、あまり何時間もいる感じではないね」

「俺が消えた後、朱野さんはどのくらい、ここに?」

「それが、安久下君もそうだろうけど、ここから落ちる時は、記憶が曖昧(あいまい)なんだよねー。でも、ずっと一人でぼーっと過ごし続けたような事はなかったと思うから、割合、すぐだと思う」

「なるほど……当たらずとも遠からず、って感じかな。ちなみに明日は土曜日だけど、とりあえず夜にまた、今日と同じでいいのかな?」

「そうだね……でも、集合場所はもう、そこの石柱でいいかもね。私達二人とも、そこからみたいだし」

「その方が、早そうだね。了解」

「土曜の昼はいつも、河津君達と遊んでるんだっけ?」

「え、ああ……そうだよ。あいつが入ってる陸上部が、土曜休みだからね……明日も一応、その予定」

 そういえば、彼女は自分の情報をある程度調べていたのだったなと、義人は改めて思った。昨日はそれで追い詰められたというのに、今や(なご)やかに接しているものだから、我ながら現金なものである。

「ふうん? 最近、日本のブラックな文化を払拭(ふっしょく)しようって事で、生徒も教師もしっかり休みを設けるべきだ、っていう風潮らしいしねー」

「うちは進学校だから、もともと緩かったみたいだけどね。運動場も狭いし、県立公園の競技場も、中学含め、他校との兼ね合いがあるし」

「なるほどねー。ま、それならメールは、朝か夕に送っておくから、よろしくね。ここでの働きのためにも、英気養っておいて」

「はいはい」

 答えながら、義人は肩をすくめた。

 視界の前方では、先ほどから変わらず、因幡が玉藻に炎を当てられて悲鳴を上げ続けているが、すでにそれは、義人にとっても恵理にとっても、環境音の扱いだった。

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