絶望楽園タソガレ島~裕のクセ~(3)
「いい加減にしろ! お前、そんなこと言って俺を追い出そうとしてるんだろ!? そうやってここを独り占めしようとしてるんだろ!? 見え見えの嘘つきやがって! 騙せると思ったのか!?」
「ち、違います……僕は、ただ、あなたに助かってほしくて……」
「可愛い顔して、今まで色んなやつをこの島から追い出してきたんだろ! 俺も追い出そうったってそうはいかんぞ! 俺はこの島から出る気はない! さっさと失せろ!」
僕が立ち上がるなり強く僕を蹴り飛ばした。また地面に倒れる。腹を蹴られて、うまく息が吸えなくて咳き込んだ。そのまま男は僕を残して去っていってしまう。
待って。ダメなんだ。死んでしまう。犠牲が増えてしまう。お願い。僕の話を聞いて。そんな気持ちが僕の口から発することは許されなかった。喉で支えて動かない。
「ま……て……。お……ねが……」
ひどく咳き込んで、もう言葉を紡ぐことができない。お腹が痛い。息が苦しい。それ以上に、殴られたことがショックだった。ここにいる人はみんな穏やかだと思っていたから。
僕はそれから別の人を見つけては説得しに行った。助かって欲しい。都市伝説でしかない僕ができる唯一のこと。みんなを救えるのは僕だけだ。諦めちゃダメだ。
―殴られた
―ダメだ。諦めるわけにはいかない
―蹴り飛ばされた
―皆を助けるためなんだ
―頬をぶたれた
―僕がやらなくちゃ
―罵声を浴びせられた
―……僕が、やらなくちゃ……
―石を投げられた
―……諦めちゃ、ダメだ……。皆を、助けなきゃ……
痛い
苦しい
悲しい
辛い
どうして
どうして
「どうして、誰も僕を信じてくれないんだよ!」
僕は丘の上で地面に拳を叩きつけながら叫んだ。痛くて自分の手を見たら、手は傷ついたはずの場所が黒くえぐれているだけだった。傷は少しずつ塞がって、痛みも消えていくが、それ以上に僕の胸は痛くてどうしようもなくて、涙が止まらなかった。
昨日声をかけた人が、数ヵ月前声をかけた人が、今悲鳴をあげている。助けてくれと叫んでいる。なにもできない自分が情けなくて、悲鳴が僕を責めるようで、僕は泣くことしかできなかった。
どうして僕はこんなに無力なんだろう。どうして助けたいだけなのに、うまくいかないんだろう。なら、僕はどうしてここにいるんだろう。僕の存在意義がこの島に来た人を救うことなら、救えない僕は、一体なぜここにいる? あと何日こうやってここで泣けばいい? あと何日助けられなかった人の悲鳴を聞けばいい? あと何日、僕は孤独なの?
途方のない日々。いつまで続くか分からない日々。心が壊れるような気がした。今にも体が四散してしまうような気がした。最初はこんなこと思わなかった。それなのに、今は思う。どうして、僕は人ではないの? 人として、僕は立派に生きられたはずだ。僕はここの人達みたいに、人生を無駄になんかしない。毎日を一生懸命生きる。そのかけがえのない時間を持っているのに、どうして皆それを無駄にするの? なら、ちょうだい。
「僕に、その人生をちょうだい……無駄になんかしない。絶対に。だから、だからお願い……僕に、生きる目的を、生きる意味を生きる場所を、ちょうだい……」
自分でも驚くほどのか弱い声だった。どうせここに僕が生きる場所なんかない。生きる? そもそも僕は生きてすらいない。ここにいるだけじゃないか。悲鳴が聞こえた。まただ。また僕は誰かを見殺しにしたんだ。そんな自責の念が四六時中僕を責め立てる。
お前がまた殺したんだ
助けられたのに助けなかった
お前だけが生きてる
みんな死んでいくのに
お前だけ
お前だけ
お前だけ
もう嫌だ。こんなところ、もう耐えられない。僕は樹からナイフを取り出すと、地面に座り込み、自分の首元目掛けて一気に降り下ろした。こんな世界から消えてしまえば、楽だ。もう何も悩まなくていい。もう、何も苦しくない。そうでしょ? それなのに、
「どうして……?」
ナイフは、止まっていた。首筋に少しだけ傷をつけて、それ以上全く動かなかった。
何度も切り裂いて終わらせようとしたけど、それをしたらどうなってしまうのか、怖くてたまらなくて、自分で死ぬこともできない。僕はナイフを投げ捨てた。
「なんで! なんでだよ! もう嫌だ。こんなの、もう嫌だ! 誰か、誰か僕を助けてよ! こんなの、もう耐えられない!」
助けて。誰か、僕を、助けて……。
ヤサ!
突然誰かの声がした。
聞いたことがある。この声。誰の?
ヤサ!
知ってる。この声。何故だろう。知らないはずなのに。
ヤサ!
途端に涙が溢れ出した。誰だろう。わからない。でも僕は知ってる。この声があるだけで、まるで絶望の中に光が差し込んだようだった。
ヤサ!
誰……? でもその声は……。その、声は……。
その時、僕は脳内を駆け巡る自身の記憶を思い出した。タソガレ島から出ることで消えようとした。それでも迷った僕の視界を彼は駆けていった。一緒に逃げた。彼は僕を助けてくれた。僕に、手を差し伸べてくれた。
「君、えっと、君は……」
「あ、僕? 僕は咲田優一。君は?」
「僕は、田原祐一」
「まさかの名前一緒!?」
「漢字は違うだろうけどね。僕の漢字はこれだから」
「そうなんだ。僕は優しいの優に、漢数字の一だよ。じゃあ、僕のことはヤサ、君のことは祐って呼ぶことにしよう」
裕! そうだ。裕だ!
そう思い出した瞬間、周りの景色がガラスのように砕けた。破片が飛んできて思わず目を閉じた僕は、しばらくして、ゆっくりと瞼を開けてみた。
目の前には彼がいた。優しくて、暖かくて、僕を救ってくれた彼が。
「ヤサ! ヤサ!」
そう言って泣いている裕を見ると、僕は全てを思い出した。そうだ。僕はここにいる。僕が生きる場所が、僕の居場所がここにある。あの頃とは違うんだ。涙が溢れた。僕は体が痛むことなんて構わずに抱きついた。
「裕!」
裕だ。裕がいる。裕がここにいるんだ!
「僕をかばってひかれるなんて、馬鹿だ! 本当に、馬鹿! 良かった。ヤサ、生きてて……。僕のこと、覚えていてくれて、良かった……」
なんで忘れてたんだろう。こんなに大切なことなのに。でも、思い出したよ。それに、また裕に助けられちゃった。裕が、僕をあの苦しい過去から引っ張り出してくれた。助けてくれた。
良かった。君を思い出せて。
良かった。君が生きていて。
僕はまた入院になったけど、何も苦痛じゃなかった。だって、毎日裕が会いに来ては、僕に馬鹿だ馬鹿だと言うんだ。
「なんだよ。僕がいなくて寂しかったくせに~」
と、ふざけて言うと、裕は、
「寂しくなんかなかったもんね。ちょっと会う直前玉ねぎ切りすぎただけですー」
とか言っちゃう。それがなんだかおかしかった。だって、気づいてないんだもん。
「寂しくて夜も眠れなかったんじゃないの~?」
裕は右手で頭をかきながら言う。
「安眠妨害するやついなくて熟睡でしたー」
図星の時、右手で頭をかく。僕しか知らない。それは、君のクセだ。